2008年7月10日木曜日

02104■白神の語源(3)

漢字の語源からで、白い王とは大国主命のことだそうです。

ホツマで探しましたがホツマツタエそのものからではありません。一般にはマユ唾ものですが、私は大変好きな方向です。
どれみふあ・そらさんを引用しました。


なぜ漢字は中国から始まったと思われているかというと、なんとしても自国 (中国) の文字を作ろう
と、中国の権力者が号令をかけたからです。いにしえにヤマタイコクから簡単な漢字を教えられていたので、それを元に作っていったのです。 (山、川、日など)」

「今、思い出しました。白い王と書いて “皇” と呼ぶのは何故かというと、アトランティスの血を引く大国主が白い肌だったからです。その言葉でもわかるように、最初の王は大国主だったのです」

「書いてください。白い王とは大国主のことで、農業の神様として慕われていました。それはイネの栽培をするのに、 “田” を考えたからです。最初は丸い田を作りましたが、それを伝えているのが車田です。一番最初の王が白いと書いた意味がわかるでしょう。そして出雲に田の形を残した巨木の跡があるのは、何としても大国主の働きを残しておこうと思ったからです。“王” という文字は3位一体を認める人のみ、なるという意味です」


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02103■白神の語源(2)

菅江真澄と白神について調べたウェブを参照させていただきました。

男鹿と白山から引用

真澄は、大小の舟が入港する戸賀のようすを書いた後、次のように続けている。  浜塩谷、浜中を経て、三ノ目潟の水がしみだした澄んだ流れのそばに、いくつもの鳥居があり、白神無動尊を祀(まつ)っていた。
 紀伊の国の白神の磯の名をはじめ、陸奥の松前の白神が崎、津軽の深浦の近くにも白神が岳などあり、白神という地名は数多くある。
 白神とは白鳥のことで、白鳥になって飛び去ったと伝えられる日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀(まつ)り、また雷神も祀っているし、白山を祀って、その主祭神である菊理姫(くくりひめ)をつつしんで祀っている。繭(まゆ)の神も白神として祀っている。  すこし行くと路ばたの草のなかに、冷たく澄んだ泉がわきだしていた。  
  草ふかきなかにかくろひくむ人も      いざしらかみの磯のまし水  
塩戸についた。戸賀の家々と湾を間にして向かいあっている景色や、あちこちにある岩の形がたいへんおもしろい。  宮島には厳島姫(いつくしまひめ)の祠(ほこら)が岩の上に祀っているが、そこへ波が軽く打ち寄せている眺めもおもしろい。  雨が強く降りはじめきたので、ここの漁師の家に泊まる。
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真澄が訪れたころも、それほど比率は変わっていなかったと推測する。  一番住民が多い戸賀に、神社がなかったすれば、白神不動尊(無動尊)が全体を統一するほど、神聖な場所だったことになる。  遙か以前に住んでいた「まつろわぬものたち」の神であったのかもしれない。  そんな幻想に思いをはせていたとき、ある勘違いをしているのではないかという気がしてきた。真澄の目的地の1つが、白神不動尊だったのではないだろうか。  菅江真澄の出自は謎に満ちていて、いくつかの説のあることを思い出したのである。
 真澄と白神との関係をホームページで検索して、「異界歴程」という本があることを知り、購入して読むと、男鹿そのものに関してはなにも載ってはいないのだが、さまざまなことを知ることができた。  私自身がよく理解していないために、まだうまく説明できないから、中途半端で終了することになるけれど、いくつか箇条書きにする。  最北の椿で、別説もあると述べた八百比丘尼は、柳田国男の説では白山信仰の宣布者で、ツバキを植えながら信仰を広げていったので北の方までツバキが生えている。  赤神神社や増川八幡にも残っている木の仏像をつくりながら各地を回って歩いた円空は、癩者で白山の聖だったという。  映画「砂の器」の悲しいシーンを思い浮かべてしまうが、穏やかな円空仏に引きつけられる人も多く、「円空仏礼賛」の著者は、赤神神社五社堂の十一面観音に感動してから、全国の円空仏をたずね歩いている。  菅江真澄は、白山信仰と関係が深い白太夫の出自で、円空の足跡をたどって蝦夷にまで渡っている。 「戸賀地区の民俗信仰」では、信仰関係の石碑などが詳しく記述されているか、江戸時代より前のものが残っていないのが不思議な気がした。結局、新しく流行した神によって、上書きされていったのかも知れない。  いろいろな理由から、白山周辺から秋田などに、いつの時代にか移住してきた人も多いのかもしれない。人とともに文化も伝えられたことだろう。  秋田の魚、ハタハタの魚名も白山信仰と関係しているような気がする。
 菊理媛(くくりひめ)を祀っている神社が男鹿半島にもいくつかあるが、この神は謎に満ちている。  日本書紀の10番目の「一書にいう」にだけ登場する。泉平坂(よもつひらさか)でイザナミとイザナギが言い争いをしていると、「このとき菊理媛神が申し上げられることがあった。イザナギはこれをお聞きになり、ほめられた。」(講談社学術文庫 日本書紀 上)と、これだけである。


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02102■白神の語源(1)

白神の語源を調べました。アステカ神話の中の創世神、赤黒白青4兄弟神のうちの一神です。白神は太陽神で創世神(造物主)のことです。緑色の羽毛をもった大蛇の姿だが、人間の前には白い肌と黒髪と髭をもった王の姿で現れることもあった。

09登場人物名前の語源を参照しました。

(貼り付け)

 アステカ神話
名前
登場話
スペル
語      源
テスカトリポカ
アステカ編アステカ軍神
Tezcatlipoka
戦神、創世神で、赤黒白青四兄弟いる中で黒神が特に呼ばれた名。名前の意味の「煙立つ鏡」は足に接いだ黒曜石由来ともケツァルコアトルに見せた歪んだ?鏡とも。トリックスター的性格で、ケツァルコアトルと争い、一度負けるが後に謀略を以て逆襲する。


ケルアルコアトル
アステカ編アステカ善神
Quetzalcoatl
通常ケツァルコアトル。=マヤ神話のククルカン。上四兄弟の白神とされる太陽、創世神。名前の意味は「(緑色の)羽根ある蛇」。(神にも人間の王にも同じ名があり混同され諸説ある;)テスカトリポカに謀略を以て追放される。「戻る」と予言した丁度同じ年の1519年、彼の人姿と同じ白い肌と黒い髪と髭のコルテス率いるスペイン人が来た為、再来したとの勘違いによりアステカ文明は滅びる。

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 ペルーのインカ文明と、ずっとと北にある中央アメリカのマヤ文明。この二つの文化を僕は、ククルカン(マヤ)とヴイラコチャ(インカ)の兄弟文明と呼ぶ。どちらも、古代に遠くからやってきて彼らにいろいろなことを教えた偉大な神々の伝説を共有しているからだ。
 ククルカンは、マヤとアステカに共通する羽のある蛇の神であるケツァルコアトルのマヤの名前でアあり、のちにそれは前インカ文明のヴィラコチャとなったのだ。のちにアステカ文明をほぼ破壊つっくした白人のコルテスは、先住民に最初誤ってこの偉大な白い神、ケツァルコトルだと
思われた。

S・Gモーリー「マヤの冷えログリフの研究」より
 偉大な神ククルカン(羽のある蛇)は、アステカ文化のケツァルコトル(メキシコの光、学び、そして文化の神)のマヤ版だった。マヤの神話では、ククルカンはあらゆるものをまとめる力を持ち、敏を構築し、法を形成して、暦を教える神とされていた。その資質や生き様は、あまりに人間的であるため、実は歴史上実在した人物であったということもそうありえない話ではないくらいだ。法律を教え、社会をまとめた人物であり、そのもたらした恩恵の記憶は、死後でも長い間生き残り、最終的に神格化されたのである。

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2008年7月5日土曜日

02101■秋田白神でテラスとタヌキ石発見!

渡辺広勝氏を隊長とする調査隊が、秋田白神の藤里町岳岱周辺で壮大な古代の配石遺構を発見しました。全体の配石遺構については渡辺隊長の解釈が出てからにしますが、東側ベンチのところには、祭祀場と付属するタヌキ石(?)を報告します。




タヌキの顔(?)
どうですか、明らかな人工にのものです。
タヌキかどうかは皆さんにおはかりしますがとりあえずタヌキとしておきます。







地図がでます

秋田白神岳岱「自然観察教育林」
右上がベンチの位置です






ここがマウンドとなっています。
真東にとんがり山があります。
この隣にいました。













後ろすがたです、さりげなく特に変わったところは見えないのですが、左の写真渡辺隊長の手に囲まれた部分が人の手で加工されています。左手のところに穴が開いています、水が抜けるようになっています。よく見れば尻尾もあります。隣のマウンドには配石もありました。(とりあえず第一報です)

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