2009年2月24日火曜日

03013■菅江真澄 旅の足跡



菅江真澄は今の愛知県東部にあたる三河国(みかわのくに)で生まれました。1783年(天明3年)、30歳のころに故郷を旅立ち、今の長野県塩尻市(しおじりし)を中心に1年余りを過ごしたのち、新潟、庄内(山形県)から秋田、津軽(青森県)を経て岩手・宮城をめぐり歩きました。

1788年(天明8年)夏、津軽半島から当時は蝦夷地(えぞち)と呼ばれた北海道へ渡り、松前を中心にアイヌの人々の風俗を見聞しました。4年にわたる北海道の旅を終えたのち本州へ戻り、下北(青森県)と津軽をおよそ8年間にわたって探訪。そして1801年(享和元年)に再び秋田に入ります。この時真澄は48歳でした。

再度の秋田入りから没するまでの28年間、真澄は秋田に腰を据え、1829年(文政12年)今の秋田県仙北市(せんぼくし)で亡くなりました。76歳でした。生来旅好きであった真澄は、生涯家庭を持つことはなく、また、旅に出てから亡くなるまで故郷に帰ることはありませんでした。墓は秋田市寺内にあります。


03012■歴史を創った秋田藩(菅江真澄)









2009・2・24秋田さきがけに菅江真澄の真実がわかる本の紹介がありました。


『<歴史>を創った秋田藩』志立正知著

菅江真澄の項目が興味深かった。
真澄が秋田で何をしたのか・・・分かってきますね!!


























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まとめ)
・秋田の人が書いたのですから買って読みました、期待しましたが、私の興味の分野ではありませんでした。

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03011■菅江真澄スパイ説「天明の密偵」









菅江真澄の真実に迫ったものに出会いました。



中津文彦の『天明の密偵』は、この菅江真澄の生涯に迫った歴史小説である。
 
だがそれ以上に圧巻なのは、真澄を松平定信派の密偵としたことだろう。真澄が活躍したのは、田沼意次の専横を快く思わない一派が、松平定信を担いで反田沼の狼煙(のろし)を上げた時期と重なる。田沼意次が蝦夷地の開拓で米を増産し、北方貿易でも利益を得ようとしたのは歴史的な事実である。その意味で定信が蝦夷地を探ることで、意次失脚の証拠を掴みたいと考えるのは無理がないし、そのために密偵を送り込んだとしても不思議ではない。
考えてみると、真澄が旅に出たのは二十九歳の時。同年には浅間山が大噴火し、東北では飢饉が続いていた。
真澄は、この時に旅立たなければ次の機会がないという年齢ではない。世の中が落ち着くまで待つことができるのに、あえて旅を続けたのは何故か?

真澄=密偵説を採るならば、その理由が見事に説明できるのである。また現代であれば、大学なども数多いので学問で身を立てることは難しくないが、江戸時代に能力があるだけの無名の人物が、学問で成功するには莫大な金銭が必要だった。真澄も同様で、学問には絶対の自信がある一方で、その前途には常に不安を抱えていた。密偵となることで幕府首脳に認められ、出世の糸口になるならば、その任務に人生を賭けたかもしれないのだ。
『天明の密偵』は、こうした実際にあったかもしれない可能性を積み重ね、真澄の生き様を活写していくが、緻密な考証から生み出される仮説が、小説としての面白さに直結していることも忘れてはならない。
真澄は密偵なので、田沼派の追手に注意しなければならない。特に蝦夷を支配する松前藩は、松平定信の密偵を警戒し、厳重な入国管理を行なっている。この警戒網をいかに突破し、どのような手段で必要な情報を集め、江戸に報告書を送るのか。真澄が松前藩に到着する中盤以降はスピーディーかつスリリングな展開が続くので、上質なスパイ小説を読むような興奮がある。

同時に、浅間山の大噴火、天明の大飢饉、田沼意次の失脚と、続く寛政の改革、蝦夷地での活動を本格化させたロシアの影、松前藩の過酷な政策に蜂起するアイヌの人々など、真澄を時代の転換点となった大事件の目撃者とすることで、庶民の視点から歴史を評価していく手法も実に鮮やかだ。

真澄の探索行は、意次と定信の政治的な暗闘のために行なわれたものである。若者らしい自意識と、自分が修めた学問への傲岸不遜なまでの自信を持つ真澄は、定信派に付くことで自分の生きた証を残そうとしていた。だが密偵として各地を旅し様々な挫折を経験した真澄は、政治的な野心を抑え、人間界の欲望を超越した境地に至る。もちろん、ここには人間的な成長を描くという側面もあるだろう。だが単なる教養小説風な枠組みだけでなく、歴史を真に動かしているのは政治家や武将といった歴史的な有名人ではなく、地道な活動を続けた〈名も無き人々〉であるという認識が込められているように思えてならない。作中で、田沼意次の密偵として蝦夷地を探索したものの、意次の失脚によって職を追われた青嶋俊蔵や佐藤玄六郎らの活動がクローズアップされていたのも、そのためだろう。

天明期は、幕藩体制の矛盾が噴出した時代である。激動の時代に翻弄されながらも、自分の人生を切り開いていった菅江真澄を描いた『天明の密偵』は、同じような混迷の時代を生きる現代人に投げ掛けられたメッセージなのである。


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(まとめ)
・松尾芭蕉を調べていくと真実らしく思えてきます。芭蕉と東北の歌枕については別途にいっぱい書きます。
・菅江真澄は秋田に定住前と・秋田に定住後とに分けて考えるべきなのですね。
 ここが分からないと、菅江真澄研究も片手落ちですね。
・秋田の「菅江真澄研究家」たちは、この観点から調べたら面白いと思うのに・・・・。
 「真澄スパイ」などとは「とんでもない!!」でしょうね。純粋ですね!!

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2009年2月17日火曜日

01207■大湯ペンタクロス図解



大湯ペンタクロス図解
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=40.262368,140.786533&spn=0.203826,0.30899&t=p&z=12

01206■鹿角の五角形



古代ペンタクロス文化研究所さんです

64.縄文日本の文化DNA

自然界が縄文人に与えた五角形(五芒星)知見

縄文五角形★これまで、「万座環状列石」や「五本柱建物」が五芒星図形に基づく地図天文台ではないかとの仮説を提示してきましたが、ここではその図形認識が何によってもたらされたのかを考えてみます。
★自然界には、よく観察すると五角状のものが沢山存在します。例えば花などは五弁類が多くあり、それは世界中でよく紋章などに使われています。(梅、桜、桔梗、薔薇など)
★ここでは、特に縄文鹿角で特徴的な自然五角形を紹介します。ひとつは鉱産資源の豊富な鹿角で象徴的な「黄鉄鉱結晶体」で、最も美しい立体といわれる「正十二面体」です。もうひとつは鹿角の霊峰「茂谷山」。美しい稜線は五角形の突き出した一角、「底辺と斜辺が黄金比」の関係にあります。縄文鹿角人にとっては、二つとも「宝物」でしょう。
★そして人体構造では、お隣の青森県出土の「亀ヶ岡遮光器土偶」。縄文人はここにも五角形を何かの象徴として知見していたようです。
☆彼らは、この共通する自然五角形を一種の「神理図形」として捉えていたのでは?そしてこの図形の「特性把握」により、測定のツールにしたり、結界に利用したりしたのでは?

01205■大湯環状列石の謎を解いて世界遺産に



こんな人が2006年におりました。古代ペンタクロス文化研究所さん

63.大湯環状列石の謎⑦地形と列石

鹿角と万座★「地形」図と「列石」図の比較です。
★周辺の山塊・川筋での相似性がよくうかがえます。
★直線状配石列と黒又山-大円寺との関係がおもしろい。「秘湯」なのでしょうか。
★ここも「メソポタミア」(挟河地)になっています。弥生期では前原遺跡がそうです。
※発見当時の写真から配石状況を復元できたらおもしろいのですが。

縄文・大湯遺跡の謎を解いて、
世界遺産に

01204■世界最古級天文台・大湯



古代ペンタクロスさんから引用
{資料」

世界最古級の天文台?大湯・五本柱建物

五本柱建物★前々回の提示仮説「大湯村生活マップ&カレンダー」で、前回はマップ仮説を提示しました。今回はカレンダー仮説です。







大湯村生活圏★万座台地の西端、大湯川の川原を西に望む地に「五本柱建物」と呼ばれる建造物があります。5本の大柱と周円に47本の柱穴跡から推定復元したものです。

★前回でご案内のようにこの五本柱と鹿角の霊峰・茂谷山とは真東西関係にあり、五本柱からは春秋分の日没に当たります。




★これを生活圏半径に想定して「マップ」を提示しましたが、この周円の47本の柱は何を意味するのでしょうか。

★ここでもうひとつの生活必需・カレンダーづくりを考えてみました。図面では、周円柱のスリットから太陽の日没を観察することにより、一年・12ヶ月を知ることができます。

★また野中堂遺跡やクロマンタを使えば、三角測量により鹿角一帯の自然物の位置決めが可能となります。(地図づくり)

★この推理通りだとすると、先頃発見された中国の最古の天文台と肩を並べる四千年前の「世界最古級の天文台」となります。

★茂谷山(もやさん)は毛馬内富士の異名を持つ美しい山ですが、この山の底辺と斜辺が「黄金比」(五芒星で図示)なのもおもしろい。自然観察に鋭い古代人が、この形から「五角形」を見い出したのでしょうか。

★またクロマンタからは鹿角盆地を一望できますが、万座からはクロマンタの裏が見えません。ここは温泉湧出地帯で、古代では病を治癒させる天恵の地。まさに秘所でしょう。

※伝説では、「十和田湖の龍主・八郎太郎が、鹿角盆地も湖化しようと茂谷山でダムを造ろうとしたので、鹿角の神々に追われて、ついに八郎潟に逃げのびた」とあります。

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(まとめ)
・カレンダー説はこれまた楽しくなります・・・今後の研究に役立つtめ。
・茂谷山が黄金比・・・不思議な山なのです。

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01203■世界最古級地図・大湯



大湯ストーンサークル解明の資料として「ペンタクロスさん」からです。

「資料」

世界最古級の地図?大湯・万座環状列石

大湯村マップ★前回大湯生活地図仮説に従い、現在の自然環境に即してシミュレートしました。




★例の五本柱施設の真西5.5㎞ほどに「毛馬内富士」茂谷山(もやさん)があります。鹿角伝説にも登場する霊峰です。これを「一日生業移動範囲」として円を描くと、鹿角盆地がちょうど収まります。

★円内は、野あり山あり川ありの「採集・漁労生活」には絶好のエリアです。(図・左側

★これを万座環状列石の石組みにシミュレートしたのが図・右側で、川筋や山塊を見比べてみてください。なにか合いそうですね。

★もしこれが縄文・大湯村のエリアマップだとすると、大湯遺跡は四千年前といわれていますので、あの五千年前の世界最古とされるバビロニアの地図と比肩しうる「世界最古級の地図」ということになります。

★おもしろいのは黒又山(クロマンタ)と大湯温泉の関係で、万座の石組みに当てると「直線状配石列」に相当し、その北東の「石囲み」が「大湯温泉山岳部」に当たります。(石囲みの入口に当たる寺の名が「大円寺」というのも傑作。樹齢二千年の大杉が名物です)

★大湯の石は開墾や盗難などで相当量が紛失していることでしょうし、また比較対象の自然地形も変化が考えられますので難しいところですが、ひとつの仮説として提示します。
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(まとめ)
・これはすばらしいマップですね。
・世界最古級の地図ですか。おもしろくなってきました。
・大湯温泉の位置づけも重要なのですね。
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01202■ストーンサークルの推理





大湯ストーンサークル解明の資料として「ペンタクロスさん」からです。

「資料」




縄文・大湯村の営みから「環状列石」を推理する
<大湯全体の実測図がないので、遺跡ガイドマップと夏至日没西北約30度から作図>

大湯地図★約1万2千年前の後氷期の始まりに、縄文時代も始まります。高温高潮時代で、そのピークは約7千年前。縄文・大湯村は寒冷化が目立ってきた約4千年前に登場しますが、今のような雪の降り積もる状況ほどではなかったでしょう。

★縄文時代の生計は「狩猟・漁労・採集」とされ、近年では栗栽培もあったことが考えられています。


★さて大湯村民の生計の中心として「採集」を考えてみましょう。関心事は「いつ、どこで、なにが採れるか」です。それには「繰り返す季節の予見」と「採集地点の記録」が重要となります。活動エリアは「日帰り作業」が可能な範囲がメインでしょう。

★上図をご覧ください。まず「日時計状組石」に注目してみましょう。時計なら最低一基で済むはずですが、大湯にはこの組石が林立しています。単に「時計機能」では済まされない問題です。また村の施設配置は確かに「季節を知る」もののようですが、これも単に「夏至」だけではなさそうです。更に「五本柱建物」が<猿賀神社-黒森山>間、正立五芒星の一辺に沿った線に位置することや<野中堂→黒又山>の真北東配置からも、施設づくりで、なにがしかの「位置決めの要」があったようです。

☆これからは推理です。ストーンサークル装置とは「いつ、どこで、なにが採れるか」を示す「ガイドマップ&カレンダー」だったのではないでしょうか。サークル内は「日帰り活動範囲」で、林立する石柱は「目印となる聖なる山」。村民はこのマップに従って採集(あるいは狩猟)活動を決めていたのでは。

☆そしてその方向指示器が「縄一本あれば簡単につくれる五芒星」だったのでは。
(手で扱えるほどの五芒星なら、同じ長さの棒5本の組み合わせでOK)
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(まとめ)
・古代人の行動エリアは 大湯村の日帰り範囲とすることが分かりました。
・ストーンサークルの目的の推理があります・・・・・共鳴はできませんが!!
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2009年2月15日日曜日

03010■平家落人伝説と剣山結界文化






 平家落人伝説と剣山菱形結界文化について      


  剣山周辺の山岳文化については「平家落人」との関連で説明しようとする傾向が強いようですが、はたしてそれで良いのでしょうか。


 ★記紀で最初に登場するのが「アワ」の国名で、律令国家成立時代には忌部氏修験者の活動がうかがわれ、平安初期には修験道陰陽道)・山岳仏教と結びついた空海の霊場結界が設定されています。 


★これより剣菱結界における律令時代以前の無史料状況は、ここが単に未開の秘境だったというより、何らかの事情で中央政権とは隔絶した世界があったからと考えられそうです。


 ★ただその独自の文化性をユダヤ支族ヒミコに結びつけるのはあまりにも短絡で、ここはもっと脚下にある重大な史実「律令国家確立に関わる敗者の動向」に注目すべきです。律令国家は、先住山岳民を「天狗」と呼んで区別し、律令反逆者を「」と呼んで差別しました熊野剣山などに見られる山岳結界は、こうした人々への不可侵別世界を用意していたようです。


 ★平安時代末期の平家落人も、単に屋島で負けて未開の秘境に逃げ込んだというより、そこにある中央政権も手を出せない別世界を意識していたのではないでしょうか中央に睨まれるという点では平家も山岳民も同じです。


 ※弥生時代後期での魏志韓伝には蘇塗ソト)」という風習が記されており、「逃亡者がそこに逃げ込めばもう追わない」というもので、その標に鈴や鼓を掛けるそうです。鬼はソト、福はウチ」の淵源でしょうか


 ※結界標はこののほか、大石注連縄御幣など。これは「防衛」というより「棲み分け結界でしょう(※狭い土地では非常に合理的)。






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03009■日本史のブラックホール・四国



源田実氏の「日本史のブラックホール・四国」から引用  

また、邪馬台国が忘れられた理由について、大杉氏は大和朝廷の大秘密政策の存在を主 張する。


それは、白村江の敗戦と壬申の乱の後、大和朝廷が一時、信望を失い「大君の先 祖は、南海の小さな島の上で、山猿のような暮らしをしていたのだそうな」という噂が流 れたため、天皇家の本当の出自を隠すための政策が行われたというのである。


その政策は 平安時代まで続き、空海が四国八十八箇所を定めたのも、四国の霊地を訪ねる巡礼を本当 の聖域に近づけないための方策であったというのである。


大杉氏は、この大秘密政策によ って四国は「死国」にされてしまったのだと主張する。

2009年2月14日土曜日

01201■十和田湖を取り巻く五亡星



大湯ストーンサークル解明の資料として「ペンタクロスさん」からです。

「資料」
十和田湖を取り巻く「縄文五芒星文化」の残照
戸来と大湯★みなさんは青森県新郷村「戸来」にあるキリスト伝説をご存知でしょうか。あのイエスですが、処刑されたのではなく世界を巡ったすえにこの地に至った、というもので、「キリストの墓まであります。

★「戸来(ヘライ)」が「ヘブライ」に通じそうなことや、村の風習や言語がイスラエルとよくにている、ということから生まれた伝説ですが、その中に「ダビデの星(またはソロモンの星)」とされる五芒星形の家紋を持った、キリストの子孫といわれている旧家「沢口家」が登場します。(Ⅰ図

縄文五角形






★周辺には古代ピラミッド?巨石信仰の「大石神」や超古代文字?が頻出する「ドコノ森」などがあり、ミステリック古代観光地になっています。(資料

★さてキリスト伝説の根拠のひとつとされる五芒星ですが、これが原始キリスト教の「専売特許」ではないことは既に当ブログ紹介済みで、この日本でその最も古いものがお隣りの「大湯環状列石」。ソロモンの王国は三千年前ですが大湯は四千年前で、先輩です。

★先述の沢口家紋のルーツを求めるならば、「ダビデの星」からよりも「大湯五芒星」からが正解でしょう。

★また付近の自然には五芒星を知見できるヒントが沢山あり、近くの青森県・亀ヶ岡遺跡からは五芒星でレイアウトできる「遮光器土偶」が出土しています。(Ⅱ図) ☆まとめますと、十和田湖周辺には私たちがまだ明知できない「縄文文化」が眠っており、それが非常にミステリックな色彩を放っている、ということでしょうか。 ※またこの類のキリスト関係伝説で著名なのが「四国剣山・聖櫃伝説」です。これも背景には五芒星が潜み、実は日本史上最大の秘密を孕んでいるのですが、またの機会に。

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(まとめ)
・大湯ストーンサークル、クロマンタ解明の資料です。
・太古の神都 十和田高原も視野に入れることが必要なようです。

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