2010年2月2日火曜日

03027■真名井神社と久次岳





















鳥居礼氏の「ホツマ物語」(P76)には丹後の久次岳こそが東北の伝承とともに封印された、偉大なる宇宙祭祀者トヨウケの墓なのではないか。とあります。3年前に現地を訪れ神聖さに感動したことが思い出されます。
(でも、場所は違卯のですね。ホツマからは隣接の山と考えていましたが違うのですね)

1、比沼麻奈為神社(真名井神社)

久次に、式内社比沼麻奈為神社があります。ここには豊受皇大神を主神として崇神の御代より現身で鎮座され、元伊勢の本地であるといわれてます。 
















2、久次岳


二つの峰のうち
左が久次岳

























 久次岳は真名井岳ともいわれ神の山です。地元の人達もあまり足を踏み入れない聖なる山です。
登り始めて半腹と思われる所の鬱蒼と したスギ林の中に上が平らな大石があります。(写真下右)
大石は大饗石ともいわれ、上部が平たく3mに6m位の長方形の石で、注連縄が回してあります。もと
もとこの石は山頂にあったものがここに落下したものだといわれ、土地の古老の話では、豊受大神の
死形が下になっているそうだ、とのことでした。ここで、この石にまつわる地元(鱒留区)の考証文の概
要を紹介します。

 「咋石嶽は豊受大神現身の移り住まわれた地で、神代に月読命を饗膳したことにより斬り殺された土
地である。今も大饗石があるがこれは饗膳を供した霊跡である。その下に御手洗滝があるが、これ
は豊受大神を切った月読命が手を洗った神跡と伝わる。その上には大神社 というところがある。その
右の方に来迎山がある。これは月読命を豊受大神がお迎えした古跡である。切果渓(この谷の下に桐
畑村あり)は豊受大神を月読命が切り果たした地であると伝わる。」



3、「ホツマ物語」の久次岳
 京都府京丹後市峰山町には比沼麻奈為(ひぬまない)」神社があり、その背後に久次岳・・別名真名井岳・・がある。ここにはトヨウケが人体であった昔、この地を訪ね五穀の作り方、養蚕の仕方など、数々の濃厚技術を人々に教えたという伝説がある。また、「丹後国風土記残欠」にも、トヨウケが真名井を掘って水田・畑を作り、民を教化したと書かれているのだ。
 さらに久次岳の山頂には“降臨岩”という巨岩があり、中腹には“大饗石”という、捧げ物を置く八畳ほどの平らな岩もある。この久次岳こそ、古代日本の言霊思想、東北の伝承とともに封印された、偉大なる宇宙祭祀者トヨウケの墓なのではないか。また、この地には朝日宮との関係を思わせる、平安時代に奉納神楽にたずさわっていた“朝日中務”という人物もいた。


4、トヨウケとはどんな神人(ホツマより)
 アメノミナカヌシの生まれ変わりで、全世界的楽園である常世の国を造ったクニトコタチの子孫は、日高見(東北)の聖地高天の原で神を祭るタカミムスビの系統と、その外に出て神々の教えである天成る道を広める系統に分かれている。
 タカミムスビの五代目はトヨウケである。トヨウケはアマテルと並び称される程の偉大な神人であるが、いったいどのような業績を残したのだろうか。
 トヨウケは天界に静まっている言霊の四十九の神すべてを、日高見の高天原の神殿に移し祭ったのである。これにより天地の交流はますます強力になった。言霊の威力によって五穀は豊かに稔り、民の暮らしが潤った。人々は豊かさを天界から受けた神という意味で“トヨウケ”とたたえた。
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