2013年7月31日水曜日

■915年十和田湖噴火は本当にあったのか?

915年十和田湖噴火の疑問が未だ融けません

1,2009年11月18日のブログ
県立図書館で一の目潟の年縞を見ての疑問でした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
秋田県立博物館の「年縞」展示と、その解説の中での十和田火山に」関する疑問点です。

1、年縞展示です
青札の上が白頭山の噴火の火山灰(938)
下が十和田a噴火の火山灰(915)




左が白頭山火山灰
右が十和田a火山灰

これは別途資料


3、男鹿で確認された広域火山灰




赤の囲いが十和田a火山灰(915年)といわれるもの。





黒の囲いが十和田八戸火山灰(1万5千年前)









4、火山灰・降灰分布図




十和田a火山灰の範囲は西側にはほとんど来ていませんが、どうして男鹿に火山灰の跡が残っているのでしょうか。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2,改めて年縞調査記録


第 3 章 
地域環境史調査
本調査研究では、秋田のローカルをグローバルに直結させるために、2006年11月に男鹿市で年縞に
関する国際ワークショップを実施したほか、2007年3月には、国際的機関IGBP、AIMES、GES、IHOPEと日本学術会議、地球環境戦略研究機関、環境省と共催で国際シンポジウム「地球と人類の未来-アジアから考える」を秋田県大潟村で開催した。この国際シンポジウムでは、目潟の年縞に関する分析結果を報告することによって、目潟が世界の目潟として認識された。なぜ年縞のある美しい大地で文明が発展しえたのかを、そしてこれからの地球と人類の未来はどうなるのかについて、年縞を核にした比較調査研究を実施することによって、秋田のローカルがグローバルに直結した。そのことがとりもなおさず美しい年縞のある秋田県北西部の人々の自信と誇りにつながり、美しい地域の風土への愛着をもたらし、秋田県の人類文明史における位置と未来を予測する上で大きく役立つはずである。
 〔国際日本文化研究センター教授 安田喜憲〕


3,915年十和田湖噴火が見えない

ネットでこの資料を見つけましたが、この資料発表の後で見つかったのでしょうか・・・
抜き出して記します
 なお、本コアには残念なことに10世紀の十和田火山起源のTo-aテラフが認められなかった。この原因については、偏西風や地上風の風向のほか湖底での堆積物重力流による削剥などが考えられるが、現在のところ不明である。

4,やはり疑問

2009・11・20日前後のブログに疑問点をたくさん載せています
・本当に噴火があったのか
・なぜ「やませ」で西の男鹿半島まで飛んだのか
・博物館展示と今回の論文の違いは何か

・・・・・・

謎解きの楽しみが続きます・・・・・


2015・7・12追加です

「やませ」と同じ冷たい空気が動く様子です。


桜島の噴火情報も合わせて

8月18日、鹿児島市の桜島で大規模な噴火が発生し、噴煙が5000mの高さにまで到達。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012意識のルネッサンスを経て
既存のすべての壁が壊れています。すべての事の真実がわかってきます。