【問題意識】
・ホツマ天の巻2アヤ
大国主の本当の名前はオオナムチといいます。生まれながらにして優しい性格の持ち主で、人々の信望が厚く、国土経営にも優れた手腕を発揮した。
このように一見順風満帆の国づくりにも、満ちれば欠けるたとえのように・・・・ついにオオナムチは、いわれない諸悪の根源として宮中から攻撃され、国を追われて最北の地、津軽に追放されてしまいました。(これが「出雲の国譲り」)
【資料】
宝亀十一年(780)、岩木山山頂に社殿を造営。
坂上田村麻呂が延暦十九年(800)に山頂社殿を再建し、
十腰内に、下居宮(おりいのみや=麓宮)を建立して、山頂を奥宮とした。
この下居宮が、現在の厳鬼山神社。
寛治五年(1091)、神託によって、十腰内から、
百の沢を越えて、岩木山東南麓に遷し、百沢寺と称したのが本社の起こり。
『日本の神々』(白水社)に、当社に関する伝説が載っている。
昔、大己貴命(=顯國魂神)が、この地に降臨し、
180人の御子を生み、穀物の種を蒔いて、子遊田と名づけた。
その田の中で、白く光る沼があり、田光沼(たっぴぬま)と言った。
ある時、童女が沼の中から「珠」を見つけ、大己貴命に献上した。
その珠の名を国安珠といい、童女を国安珠姫という。
大己貴命は、国安珠姫を娶り、往来半日(一名洲東王)を生んだという。
村上天皇の御代、丹後由良港の海賊が、その神珠を盗み逃亡した。
郡司の長男・花若麿が、美女に扮して由良港へ行き、これを奪還。
以後、岩木の神が忌み嫌うので、丹後の者が領内に入ると風雨となるという。
さらに、山椒大夫で有名な安寿と厨子王の話。
母と安寿姫、弟の厨子王が、筑紫に配流された父をたずねて旅の途中、
姉弟はだまされて、丹後由良港の山椒大夫に売られてしまうが、
姉弟は、当地津軽へ逃れてきた。
そこで、安寿姫は岩木山の神となったという。
後年、厨子王は都に上り、丹後・越後・佐渡の領主となり、
山椒大夫を罰して仇を討ち、佐渡で盲目となった母と再会する。
ということで、丹後に対する独特の思いが、当地にはあったようだ。
藩政時代にも、突然荒天になると、港役人は、
丹後船や丹後人を詮議し、領外に追放したという。
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【まとめ】
・出雲を追放されたオオナムチ(初代大国主)は津軽に追放された(ホツマ)。
・岩木山神社にオオナムチがこの地に降臨(流れてきたこと)した。
・ホツマのオオナムチが出雲から津軽に追放されたことが明らかである。
・北斗信仰から当初は天台宗(慈覚大師)が建てたもの(荒俣宏説)
・坂上田村麻呂が再興したとなっているが、田村麻呂は来ていないので、田村麻呂伝説のと片付けることですむのだろうか。
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