【資料】 ■ 奈良市 第11代 垂仁天皇陵 菅原伏見東陵 その2 すいにんてんのうりょう すがわらふしみのひがしのみささぎ 垂仁天皇の稜 手前の小さい島が タジマモリの墓 この垂仁(すいにん)天皇さまは、第10代崇神(すじん)天皇の皇子です。 父である崇神天皇の御陵は、奈良県の桜井・天理市の山裾の日本最古の道 「山辺のみち」の途中にあります。まままも、数度この古墳を拝見したことがある のですが、まぁ~大きい!それに綺麗! パパの第10代 崇神天皇陵は、全長240メートル 本人の第11代 垂仁天皇陵は、全長227メートル 息子も偉大なら、パパも 偉大!そして、この垂仁天皇の次息子の第12代は、景行天皇といいますが、 この御陵も全長300メートルほどおまけに、濠が立派で、その長さが1キロメー トル・・・ これは、全国7位という大きさです。 垂仁天皇が求めた不老不死の食べ物 そして、田道間守のお話もあるので、 この御陵も、「蓬莱山」→「宝来山」古墳となったのでしょうか? (^^) ちなみに、田道間守さんのお墓とされている小さな浮島・・・ 元禄時代に造 られた「山陵図」っていうものには、この浮島は描かれてないのだそうです。 へっ・・・ んじゃ~伝説は、嘘だったの? う~ん 幕末には、東南角部分が拡張されたらしいの。そのときに、造ったのかし らん?と思われます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (まとめ) ・「タジマモリの墓は、元禄時代の「山稜図」にはのっていなかった」・・・これは重要なことですね。 ・記紀やホツマには垂仁天皇に遣わされて行ったことはありますが、本当に帰ってから亡くなったのでしょうか。 ・タジマモリ伝説、唱歌、墓地などなど疑問だらけですね・・・おもしろい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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