大円寺は1643年に現在地に移ってきたものです。
1、その昔は観音道場
(「大円寺落慶記念誌」より)
現在の大円寺の建っている場所に、その昔は観音の道場があったといわれている。証しとして、開闢本尊があり、二千年の樹齢を誇る門杉がある。
(開闢本尊は京都清水寺の定朝が作ったと伝承される)
大円寺は北国八十八ヶ所霊場五十五番札所であり、鹿角三十三観音二十五番札所であった。
民間信仰の中で観音信仰は特に盛んであった。江戸時代の中期から明治、大正の頃まで続いたが、現代はほとんど行われていない。
鹿角三十三観音中で大円寺の御詠歌は
・・・欠けもせず余りもせずに円かさよ広き世界に一つの輪の月・・・
観音信仰が盛んだったころは、白装束の巡礼姿で、杖をつきながら参道の杉並木を列を成して歩いた昔が偲ばれる。
2、観音信仰とは(山折哲雄「仏教用語の基礎知識」)
観音菩薩は慈しみ深い女性のイメージを濃厚にもった親しみやすい菩薩で、日本伝来以来、古くからいまにいたるまで広く信仰を集めている。
観音は、聖徳太子の建立した法隆寺にも救世観音や百済観音が安置されており、古くから信仰を集めていた。
観音信仰を説く代表的経典である、いわゆる観音経は、法華教第二十五品(普門品)である。観音信仰はこうした経典とともに七世紀ころから、多くの変化観音への信仰という形で広がっていった、と考えてよいであろう。たとえば十一面、千手、如意輪などの変化観音が、それぞれの造形的特徴から醸し出されるであろう現世利益が期待されて、信仰を集めたのである。
観音をまつる霊場も、はやくから知られ、石山寺や長谷、清水などは、平安時代以来、有名な観音道場であったし、後世、坂東、西国をはじめとした観音霊場が設置されて巡礼もさかんになった。
3、観音菩薩の浄土「補陀落(ふだらく)」
観音菩薩は南インドのボータラカ(補陀落山)という山にいるという伝承がある。それにより、中国では東シナ海の舟山群島、日本では熊野を観音浄土に見立てる信仰が生まれた。熊野には死者の魂がすむという。また補陀落は海上はるかにあるといい、紀伊半島那智の海岸から浄土往生の死を求めて小舟でこぎ出していく行為も生んだ。それを補陀落渡海という。
補陀落渡海は、魂が海上はるかにある常世国に帰るという日本古来の他界観と観音信仰が結びついたものとみられる。
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(まとめ)
・古くからの観音信仰の道場があったこと。
・千手観音が開闢本尊であること。
・開闢百本尊は清水寺の定朝がつくったもの。
・清水寺が観音信仰の霊場であった・・・清水は坂上田村麻呂の創建。
・常世の国の名が出てきました・・・これも気にかかります。
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