古代東北の地で、出雲から津軽の岩木山に流されたオオナムチはどうなったのでしょうか。名誉挽回になったのでしょうか。
アメノコヤネ(天児屋根)、イセ(伊勢)スズカ(鈴鹿)の教えを説く |
ヒタカミ国(旧・陸奥)のタカノコウ(現・多賀城市、国府)、ツボワカ宮(壷若)に坐すオシホミミ(アマテル神の日嗣皇子)とタクハタチチ姫(タカミムスビ七代目タカギの妹)の目出度くも盛大な御成婚の儀も無事終わりました。
喜びに涌き立った国民の心に晴れやかな希望を残して今は落ち着きを取り戻しています。そんな夏のある暑い一日、ワカヒコ(アメノコヤネの真名イミナ)はツボワカミヤの天子オシホミミの元に暑中御見舞いに昇りました。ワカヒコはオシホミミの即位の礼と前後して行われた結婚式にアマテル神のオシカ(勅使)として重要な役割を担った後も、秋に都に帰る日までタカノ国府に滞在していました。
来訪を心から待ち望んでいた君は大層喜んでワカヒコを迎え入れると、御機嫌伺いの挨拶を心良く受けて後、早々に御神酒(おみき)の用意を命じて天盃(てんぱい)を交わし久しぶりにくつろいだ一時を過ごされました。
この時、君は日頃から博識で名高いワカヒコに是非聞きたいと願っていたイモオセ(妹背・いもせ、略してイセ・伊勢)の道を尋ねました。
「アマテル神はイモセ(男女婚姻)の道を開いたと聞くが、我はカスガ(ワカヒコ)にこの教えを受けたいと思う。」
この時カスガは昇殿し威儀を正して君の左に座っていました。
右上座にはヒタカミウオキミ(日高見大公、タカギ)とカルキミ翁(ツガル公、大己貴が出雲の国譲り後ツガルに国替えとなった晩年の尊称)が座り、
続いてカトリカンキミ(香取神社祭神フツヌシ)、タケミカヅチキミ(鹿島神社祭神)、ツクバキミ(筑波公)、シホガマキミ(塩竈神社祭神、宮城)の順に並び座っていました。その他諸司(もろつかさ)を始め諸民(もろたみ)もいつの間にか次々と集まって来てカスガの尊い話を一言も聞き漏らすまいと張り詰めた気持ちで白石に群れ座っていました。
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