大日霊貴はアマテル神で男神
このブログは「壁を突き抜ける生き方」をする人だけが共鳴できるものです。 北東北の不思議な地域、クロマンタ、大湯ストーンサークルを中心とする縄文文化の真実を探究する研究会です。 ■右側のラベル分類からもお入りください。 ◆スライドショーはクロマンタのゼロ磁場調査の様子!!
2009年9月30日水曜日
01613■大日霊貴はアマテル神で男神
大日霊貴はアマテル神で男神
01612■秘められた大日霊貴神社
2009年9月29日火曜日
01618■五の宮嶽草刈り場「オシキ」
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「オシキ」
大里部落の裏山の中腹に、官地(国有林)として部落で管理している草地が四反歩あ り、
これを部落の人達はオシキと呼んでいる。
このオシキは昔、五ノ宮嶽に登ったと伝えられる五ノ宮皇子と関連するものであると 伝えられる。
第二十六代継体天皇の第五皇子菟皇子(御母上はだんぶり長者の一人娘秀 子姫、後吉祥姫)が遠く都を
追われ、大里から五ノ宮嶽に登ろうとした際、途中で馬が 倒れてしまい、一人で登ったと云う伝説があり、その馬の倒れた所を「オバフトコ」と 云い、今は湿地になり
小さな窪みになっている。
このオバフトコなる湿地にて、放牧した馬が草を食べたり、水を飲んだり、またこの 地に入っただけ
で悪魔が祟ったようにその馬が死んだと云われる。 このオバフトコで死んだ馬のために、オバフトコから約三百米離れ、馬の入れない可 成りの急斜地を、大里部落では毎年八月七日
の早朝に草刈りし、草はそのまま刈り捨て おき、馬に手向けると云う行事が行われている。
また、このオシキには部落民誰でも草刈りに入れるものではなく、昔から決められた 家柄の人達だけで
ある。その他の人達は、オシキまでの道路端などの草刈りや清掃をし たと云う。 特殊なこととして、
この草地オシキに草刈りで入る場合、「ホー」「ホー」と全員が 叫びながら一斉に入ると云う風習がある。
これはホーホーと叫ぶことによって、馬の鳴 き声が聞こえないようにしているためであり、聞こえる人に
は、その年災難があるかも 知れないと云う伝えがある。
また、向かいに位置するの久保田や尾去沢の農家の人達は、この草地の草刈りの跡を 見て、その年の豊作を占い、赤又は茶色に乾燥した時は豊作、
黒く乾燥した時は不作と 占い眺めていたと云う。
また、このオシキに行く途中御坂オサカの所に楢の木が二本生えており、村人がこれより 奥山に入る場合、
山での仕事の安全を祈願したり無事を祈り、木枝で岐マッカを作り、この 楢の木に懸けて山に入ったと云い、
この所を鍵懸け場と云う。無事帰った時はこの鍵を 取って帰宅したと云う。今から二十年位前の山火事で
楢の木は焼けて倒れてしまった。
[オシキの現地付近] [地図上の位置(オシキの現地付近の山「北林」)→]
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(鹿角WIKIより)
折敷山の、四角(よすま)刈りとも云う。- オシキ刈り
八幡平大里で旧暦7月7日(新暦8月7日)、オシキ刈りが行われる。 四角刈り(よすまがり)とも云い、この日は夜の明けない前に折敷山(おしきやま)へ登り、 草刈をして、その後に山麓の馬頭さん駒形神社)集まる。 大里の人たちは草刈に参加することを普請(ふしん)すると云い、この作業の後は村に帰って一日仕事を休み、楽しむことにしている。
この由来ほ、だんぶり長者伝説の中で吉祥姫の子の五ノ宮皇子が、 五ノ宮獄に登る途中にこの地で乗馬が死んだので駒形神社に祀った。 それで盆の七日目に草を刈って馬の飼料として奉納し、霊を慰めるのだとされている。 この日刈った草の乾いた色の具合によって、その年の豊凶を占うところがある。八幡平の夏井や尾去沢の尾去、 北秋田郡の扇田・大館などの一部の地域で、これらの地区では刈り取られた草の色が赤茶に乾くとその年は豊作に、 黒ずんだ色に乾いた年は凶作になると言い伝えている。
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04014■平田篤胤は神代文字の存在を力説
されている日本人のタブーの一つが、日本に固有の文字があったことです。
2009年9月27日日曜日
2009年9月22日火曜日
04013■山海経には東北が
04060■ホツマと古事記の決定的な違い
神々の系図(概略)・・・・(古事記を中心にまとめたものです)
タカミムスビノカミ カミムスビノカミ
(高御産巣日神) (神産巣日神)
アメノトコタチノカミ ウマシアシカガヒコノカミ
(1)
クニノトコタチノカミ(国之常立神)
(2) ↓
トヨクニヌシノカミ
(3) ↓
ウエジニノカミ スヒジニノカミ
(4) ↓
ツヌグイノカミ イグヒノカミ
(5) ↓
オオトノジノカミ オオトノベノカミ
(6) ↓
オモダルノカミ アヤカシコネノカミ
(7) ↓
イザナギノカミ ・・・
イザナミノカミ
↓ ↓
アマテラスオオカミ ツキヨミ スサノオノカミ
(天照大御神)
↓
2、ホツマによる系図
雲
出雲 アマテル在世 日本の神 日高見の神 オオナムチの動向 神の名 宮殿の場所 アメミオヤ → ↓ アメノミナカヌシ クニトコタチ トホカミエヒタメ トのサッチ ハハゴクニ と トヨクンヌ 日高見 タカミムスビ(1) キノトコタチ ウヒジニ・スヒジニ ツヌグイ・イクヒニ オオトノチ・オオトマエ タカミムスビ(4) オモダル・カシコネ 子供なし タカミムスビ(5) トヨウケ イザナギ・イザナミ 滋賀 ソサノオ アマテル死亡 アマテル 富士山 伊雑宮 カンミムスビ(6) ヤソキネ オオナムチ(津軽へ) タカミムスビ(7) ヨロマロ オオナムチ 出雲から津軽へ処替え クシヒコ オシホミミ 日高見 多賀宮 コモリ ニニキネ ウガヤフキ シマズ
3、ホツマと古事記の違い
①タカミムスビが古事記ではクニトコタチより前、アメノミナカヌシの次にでてきますが、ホツマではクニトコタチの孫となっています。
②タカミムスビが古事記ではすぐに消えてしまいますが、ホツマでは古代東北・日高見の神としてとうじょうします。
③タカミムスビは初代キノトコタチから7代mで登場します。特に五代トヨウケはイザナミノ父として、偉大な神として活躍されております。
③古事記に出てくるカミムスビがホツマには出てきません。そのかわりがトホカミエヒタメでしょうか。
4、古事記(記紀)もカモフラージュの原点か
・東北は田村麻呂のよる蝦夷征伐、天台宗の布教、田村麻呂伝説、歌枕(歌遊び)によって、東北の歴史は完全に消え去った。
・その原点が「古事記」であり、「日本書記」であったと考えれば、すべてのストーリーはなりたちますねエー・・・。
・でもこれは世界の常とう手段、現代だって戦後のマッカーサーのストーリーどおり、乱れに乱れてしまったではありませんか。
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