2009年9月20日日曜日

01609■大日堂舞楽の舞楽とは



大日堂舞楽の舞楽とは何でしょう


雅楽(ががく)は、日本、中国、朝鮮半島、ベトナムの伝統的な音楽の一つ。

以下、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽(重要無形文化財)を中心に述べる。雅楽の原義は「雅正の楽舞」で、「俗楽」の対。国内の宮内庁式部職楽部による定義では、宮内庁式部職楽部が演奏する曲目の内、洋楽を除くもの、とされる。多くは器楽曲で宮廷音楽として継承されている。現在でも大規模な合奏形態で演奏される伝統音楽としては世界最古の様式である。ただし、雅楽本来の合奏形態としては、応仁以降、徳川幕府が楽師の末裔(楽家)をあつめて再編するまでは、100年以上断絶していたので、平安時代の形態をどこまで継承しているかは疑問である。

2、WIKIでは途中で「舞楽の種類」でてきます
広義には国風歌舞も含まれる。
以下の分類には例外や異論もある。

左方と右方 [編集]

唐を経由して伝来したものを左方舞(左舞)と言い、伴奏音楽を唐楽と呼ぶ。 朝鮮半島(高麗)を経由して伝来したものを右方舞(右
舞)と言い、伴奏音楽を高麗楽と呼ぶ。

平舞 [編集]

平舞(ひらまい)は、文舞
(ぶんのまい)ともよばれ、武器などを持たずに舞う、穏やかな感じの舞。 仮面を付けずに、
常装束(襲装束・蛮
絵装束)で、4人で舞う曲が多い。 例外として、『振鉾(えんぶ)』は鉾を持つ1人舞、『青海波』『迦陵頻』『胡蝶』は別装束、『安摩』『二ノ舞』は仮面を着け笏や桴を持つなど。

走舞 [編集]

走舞(はしりまい)は勇猛な仮面を付け、桴や鉾を持ち、平舞に比して活発な動きで舞う勇壮な舞。 別装束(裲襠装束)で1名(『納曽利』は2名、または1名)で舞う。

武舞 [編集]

武舞(ぶまい、ぶのまい)は、太刀・剣や鉾を持って舞う勇猛な舞。「文舞」に対する言葉。 2名、または4名で舞う。

童舞 [編集]

童舞(どうぶ、わらわまい)とは、元服前の男子が舞う舞楽のことである。近代以降は女子あるいは成人女性が舞う場合も多い。下記の事情から童舞は特に関東地方においては希少価値がきわめて
高い。
迦陵頻』と『胡蝶』は童
舞専用の曲
であり、その他にも『蘭陵王』や『納曽利』等、童舞のバージョンがある曲が多い。仮面を付けずに白塗りの厚化粧をするのが原則であるが、素顔のままや薄化粧の場合もある。


大日堂は今からおよそ1300年前から大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)(通称:大日堂だいにちどう)に伝わる古典舞楽で、昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

その詳しい由来については、数度の火災などにより古記録をなどを失い、江戸時代に記された大日堂由来記など口碑により知らされているだけです。それらによれば、およそ次のように伝えられています。

 養老年中、元正天皇の勅願により、「だんぶり長者伝説」でゆかりのある大日神社再興のため、都より遣わされた名僧行基と共に下向した楽人により舞われたのが、大日堂舞楽の起源と云われ
ています。

楽人から里人に伝承された舞楽は規地村と定められた大里(おおさと)・小豆沢(あずきざわ)・長嶺(ながみね)・谷内(たにない)の4か村(集落)で分担し、明治維新まで地付き神役として守り伝えられてきました。

現在では昭和27年に文部省の無形文化財指定を契機に結成した大日堂舞楽保存会を中心に伝承保持に努めています。

日堂舞楽は、わが国に現存する舞楽の中でも最も古い形が伝えられ、他に類を見ないものであると高く評価されています。 この舞楽を行う正月2日の祭礼を「養老礼式に基づく祭」ということで「養老礼祭」と称しています。


4、舞楽の最も古いものが鹿角市にあることの不思議





①日本で最も古い舞楽がることの不思議。(当地では番楽(ばんがく)というのはたくさん残っています)
②大日堂という名の不思議・・・(大日さんとはアマテラスのこと)
③大日霊神社(オオヒルメムチ神社)・・・オオヒルメムチとはアマテラスのこと

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