2010年11月12日金曜日

■民話:八郎太郎と十和田湖






八郎太郎と十和田湖
秋田県には,とてもスケールの大きな伝説があります. 秋田県には十和田湖,八郎潟, 田沢湖の三つの大きな湖があり,それらが舞台となる八郎太郎と辰子姫の伝説です. 八郎太郎と辰子姫に関わる物語はいくつかあります.とくに八郎太郎に的を絞り,火山学的解釈を勝手につけてみました. もちろん根拠も何もない想像なのですけどね.

1. 十和田湖の生い立ち
 (物語のあらすじ:文献により少しづつ違います)
鹿角の草木というところに八郎太郎という男がおったそうな.八郎太郎は,山仕事のために,仲間二人と奥入瀬の山へ行った. 炊事のために一人で川へ水汲みに行くと,そこに岩魚が三匹泳いでいた.太郎は岩魚を捕まえた. 岩魚は,産卵がおわるまで食べないでくれと懇願したが,聞きいれられずに太郎は食べてしまった. 一匹食べたら, あまりのおいしさに, 太郎はあとの二匹も食べてしまった.
太郎の村には,食べ物をみんなで分かち合うという,掟があった. 岩魚を一人占めして食べてしまったのでは, 掟を破ったことになる. 川で他の岩魚を探したが,もういない. 太郎は途方にくれてしまった.
すると,太郎は急に激しくのどが乾き始めた. たえられず,谷川の水を飲んだ.ひたすら飲みつづけた. 
どれくらい飲みつづけたろうか.水面にうつる自分を見て気がついた.太郎は大蛇に変身していた. 
二人の仲間たちが太郎を探しに行くと, 谷川が逆流するような音とともに何かが宙に昇った. はねあげた水が豪雨のように降った. 耳をつんざくような声が天から聞こえた. 天を見上げると,そこには大蛇に変身した太郎がいた.そして,そこにあった川は太郎によってせき止められ,大きな湖ができていた. その湖はやがて十和田と呼ばれるようになった.   
 -その解釈-
案外知られてないと思いますが, 十和田湖というのは火山なのです. カルデラ火山です(阿蘇なんか有名ですよね). しかも,歴史時代にも大噴火をしています.10世紀ころの噴火は,その火山灰が東北地方全体を覆うほどの大きなものでした.
私は,この大蛇の伝説は,ある程度の事実を伝えているのではないかと思っています. もちろん,そんな巨大な大蛇がいるとは思いません. その大蛇の正体は,実は火山噴火時の噴煙柱なのではないでしょうか?いつの噴火かはわかりません.「二人の仲間たち」はこのときの噴火の目撃者で,天に昇る噴煙柱を大蛇と思ったのでしょう. もしかしたら,八郎太郎は,本当に実在した噴火の被害者だったのかもしれませんね.
しかし,十和田湖ができたのは,5万5千年~1万3千年も前のことで, また,湖の二つの半島に囲まれた中湖ができたのは5千400年も前のことです( Hayakawa, 1985 ).火山噴火でカルデラができて, そこに湖ができたことは確かなのですが, 言い伝えの中の八郎太郎による堰き止めという十和田湖の生い立ちが, すなわち本当の十和田湖の形成を表しているものとは考えにくそうです. 縄文時代以前の出来事が数千年間も言い伝えられるのでしょうか?ちょっとそれは信じられません.

2. 八郎太郎と南祖坊の戦い - 八郎太郎の敗走
(物語のあらすじ:文献により少しづつちがいます)

あるとき,南祖坊という修験者が十和田湖へやってきた. 南祖坊は,以前,夢枕に立った神様にこんなお告げを受けていた. 「鉄のわらじをはき, 杖のおもむくままに旅をせよ.鼻緒の切れたところを永住の地とし,念仏三昧の日々を送るように. (一説では,「片方のわらじをはき旅を続け,もう片方を見つけたところを永住の地とし」とある)」
南祖坊の鉄のわらじは,十和田湖のそばで鼻緒が切れた. そこで,南祖坊はここを永住の地とすることにし, 読経を始めた. ところが,十和田湖には八郎太郎という主がいた. 突然,南祖坊の目の前で, 静まり返っていた湖から,竜巻とともに,八つの頭, 十六の角を振り立てた蛇体が天を衝くように突っ立った. 南祖坊と八郎太郎の間でいさかいが始まった. 神のお告げでここが自分の住みかと言う南祖坊と,ずっとここで暮らしてきたという八郎太郎は,互いに譲らず,ついに激しい戦いになった. 八郎太郎と南祖坊は,雲に乗り, 互いの術を次々に用いて七日七晩戦いつづけた. 八郎太郎が霧をまき雲を呼び天地を振動させ,湖面を波立たせ, 炎と燃える八枚の下を巻き上げながら南祖坊へ襲いかかると, 負けじと南祖坊は経を投げつけた.それは九頭の竜と化し, すさまじい戦いとなる. 二頭の竜は互いに火を吹きかけ,山は崩れ谷を埋め,岩の割れ目から火炎が燃え上がり, 振動雷電 風雨激しく,ついに湖の水も溢れて古木を押し流した.八郎太郎はここかしこ切り裂かれ, 大湯川沿いに敗走する. そのあとの足取りは諸説あるが, 大体以下のようにたどったようである. 米代川沿いに下り, 大館盆地から鷹巣盆地を経,そして八郎潟へたどり着き,そこを永住の地とした.
 -その解釈-
 上の青字で示したところは,まさしく火山噴火の描写ですね.しかもかなり激しい噴火のようです.地質学者ならば, これがすぐに火山噴火だと気付くでしょう.
実はなんと,この伝説は火山噴火であるということが,すでに1966年に論文発表されていたのです. 平山次郎・市川賢一による「1,000年前のシラス洪水」という論文です. この論文の中で、八郎太郎が敗走して大館盆地から鷹巣盆地を下って行くというのは, そこを十和田噴火後の「シラス洪水」がおそったと解釈されています. 現に, 鷹巣盆地では火山灰に埋もれた遺跡が数多く発掘されるそうです.
「シラス洪水」という言葉は,地質学者でさえ現在はあまり耳にすることはありません. シラスとは,火山灰のことで, 火山灰を多量に含む洪水をシラス洪水と呼ぶようです. 最近ではこのような現象は「火山泥流」または「ラハール」と呼んでいます. 最近では, コロンビアのネバドデルルイス火山でラハールが発生し, 数10kmも離れたところでアルメロなどといった町を襲い, 二万人もの死者行方不明者を出したという大災害がありました. どうやら昔,秋田県の県北部を横断する米代川沿いでも,かなり大規模な泥流災害があったようです.
 ところで,このシラス洪水の火山灰は,どうやらその直前におきた火砕流に由来するようです. 十和田湖から噴出した火砕流が,現在の鹿角市に流れ込んだことがわかっています. 地質学者の間では, これを毛馬内(けまない)火砕流とよんでいます.戦いに負けて十和田湖から逃げ出した竜は,どうやら「火砕竜」だったようですね.雲仙普賢岳でよく知られるようになった火砕流ですが,この火砕流というのは地を這うように流れ下るので, 昔の人には敗走する竜のようみえたのでしょう.
さて,地層を調べてみると, 毛馬内火砕流のすぐ下には, 火山灰層があります. この火山灰層は,十和田湖から空中に吹き上げられて, やがて空から降下してきたものです. この火山灰層は東北地方全土に降り注ぎました. ずいぶん大きな噴火だったようです.現在でもこの火山灰は東北全土で見ることができます. 先日,私も八甲田山と岩手山で,この火山灰をみてきました.地質学者の間では,十和田a火山灰(To-a)とよばれています.この火砕流が起きるまえの噴火を描写したのが, 南祖坊と八郎太郎の戦いだったのではないでしょうか.
これら十和田a火山灰の噴火や毛馬内火砕流は,古文書や放射性同位体分析の結果から, 西暦915年に起きたと考えられています. したがって,南祖坊と八郎太郎の戦いは,西暦915年のことといってよいのではないでしょうか?
このときはずいぶん大きな火山災害があったのですね.伝説の形でその災害が言い伝えられているのでしょう.
この噴火については,詳しい解説が群馬大学の早川先生のところにあります. 

参考文献
日本の伝説14 秋田の伝説 野添憲治・野口達二 角川書店
ふるさと秋田の昔ばなし 民話シリーズ2 支倉出版
Hayakawa, Y. (1985) Pyroclastic geology of Towada volcano, Bull. Earthq. Res. Inst. Univ. Tokyo. 60. 507-592
平山次郎・市川賢一(1966)1,000年前のシラス洪水 地質ニュース 140 10-28

1 件のコメント:

  1. 八郎太郎の伝説は、亡くなった安村二郎さんが、詳しく検証していました。
    鹿角市教育委員会の歴史研究家で、元学校の先生です。言葉の定義では、伝説とは、歴史的なイベントに基づくエビデンス。民話、物語の曖昧な定義を排除されていました。伝説の内容が、時間とともに、混雑しています。第1に、十和田湖の噴火、シラス洪水と言われた鹿角盆地の水没、第2に、南租?坊と八郎太郎との闘いは、いわゆる領土争いを巻き込んだ、宗教戦争であることです。

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