これが、東北の歴史、古代秋田、古四王神社no秘密を解く鍵となりそうです
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『中国史に登場するツングース族』
ツングース族とは、ツングース語系言語を使う民族を指すロシア語だが、その語源は古代漢語の東胡(とうこ)と説がある。 三国の古代史に登場するツングース語系諸族には、「粛慎・穢・獩貊・東胡・扶余・沃沮・高句麗・百済・悒婁・勿吉・靺鞨・女真族」などがいる。
ちなみにオロチ族を、出雲の八岐大蛇(やまたのおろち)の大蛇(オロチ)のことだとする説もあるが確証はないが、古代から海を越えて日本列島に渡ってきたことは間違いない。
『日本書紀』斎明天皇
4年11月、この歳、越国(こしのくに)の守(かみ)、阿倍引田臣(あへのひきたのお み)比羅夫(ひらぶ)、粛慎(みしはせ)を討ち、生きた羆(ヒグマ)二つ、羆皮を 七十枚、献(たてまつ)る。
5年3月、阿倍引田臣比羅夫、粛慎と戦って帰還。虜(とりこ)四十九人、献じる。
6年3月、阿倍臣を遣して、船師(ふないくさ)二百艘を率いて、粛慎を討伐させた。
6年5月、阿倍引田臣、夷(えみし)五十余を献じる。また、石上池(いそのかみのい け)の辺りに、須弥山(しゅみさん)を作る。高さ廟塔のごとし。ここで粛慎四十七 人に食事を馳走したまう。
これは七世紀中頃の事件だが、粛慎(みしはせ)とはツングース語系諸族の古族である。
文中にも夷と粛慎を明確に区別していることから蝦夷(えみし)を指している訳ではない。だが、この時代に粛慎はいない。その後裔である挹婁(ゆうろう)も勿吉(もっきつ)も歴史から消えており、靺鞨(まつかつ)の時代である。
筆者は、靺鞨のなかで日本海沿岸を領域とした虞楼(ぐろう)部か、サハリンの窟説(くつせつ)部の一族が渡海してきたと考える。
『三国志魏書』挹婁伝
其國便乘船寇盜,鄰國患之。
その国、気の向くままに船に乗って強盗を働く。隣国は、これを患(わずらい)とする。
『三国志魏書』東沃沮伝
挹婁喜乘船寇鈔,北沃沮畏之,夏月恆在山巖深穴中為守備,冬月冰凍,船道不通,乃下居村落
挹婁は嬉々として船に乗って金品強奪をする。(隣接する)北沃沮はこれを畏れ、夏季には厳しい山中の深い洞窟で守りを備え、冬季に水面が氷結し、通航ができなくなると山から降りてきて村落で居住する。
いわば挹婁は東アジアで最古の海賊。その後裔の靺鞨なら日本海を渡るのは簡単なこと。
高句麗が唐と新羅の連合軍に滅ぼされる直前にあり、高句麗に服属していた靺鞨の部族には風雲急を告げる時期にあったことから、靺鞨七部と呼ばれる靺鞨内の有力部族でもない虞楼部や窟説部が新天地を求めて、北海道に渡って定住したのだろう。この真偽はともかく、北海道がツングース族の活動範囲内にあったことは事実である。
『オホーツク文化概説』市立函館博物館
およそ6世紀から13世紀頃にかけて、樺太・北海道オホーツク海沿岸・千島列島を中心に、陸獣・海獣狩猟、漁撈、採集活動を生業とする民族集団が居住していました。彼等の形成した北方の文化形態こそ、謎を秘めた「オホーツク文化」です。一般にオホーツク文化は、鉄器や青銅器を有する沿海州靺鞨文化(4~10世紀)、女真文化(10~12世紀)の系統をひいて誕生し、やがて本州の土師器文化(7~11世紀)の影響を受けて発生した擦文文化(8~13世紀)と融合し、吸収されていったと考えられています。
上記からも日本書紀に登場する「粛慎」が靺鞨であることは間違いないだろう。だが、なぜ粛慎と呼ばれたのかについては疑問が残る。粛慎は最古のツングース族であり、最初に北海道や日本海沿岸に現れたのが粛慎だったので、代々ツングース族は粛慎と呼ばれたのかもしれない。あくまで筆者の推測である。
次に、日中韓、三国の古代史に関わるツングース族の年代記の概略をみてみよう。
「旧石器時代末期」
黒竜江右岸の呼瑦県で約一万年前の地層から大量の出土品が出たが、その類型や加工技術が華北地区の旧石器と相似しており、すでに中華諸族との交流があったと推定される。
「新石器時代」
龍山文化(紀元前30世紀-前20世紀)の特徴的な半月形石刀が、吉林、永吉、宁安、珲春、通化、桓仁などで出土。黑灰陶も出土するが黑灰陶も龍山文化の主要な特徴とされる。
「夏時代」(紀元前21世紀-同16世紀)
まだ中原も原始社会の後期にあり、ツングース族の族名は登場しない。
「商(殷)時代」(紀元前16世紀-11世紀)
ロシア沿海地方から松花江流域に粛慎(しゅくしん)が登場する
「西周時代」(紀元前1050年-同771年) 該当なし。
「春秋時代」(紀元前771年-同403年)
河北省の北方に東胡(とうこ)が登場する
「戦国時代」(紀元前403年-同221年)
北方に匈奴(きょうど)、東北に穢(わい)、高夷(こうい)、發(はつ)が現れる。
「秦時代」(紀元前221年-同206年)
穢、發が消えて扶余(ふよ)、高夷が消えて高句麗(こうくり)が現れる。
朝鮮半島の北に沃沮(よくそ)、その南に朝鮮が登場する。
「前漢時代」(紀元前202年-西暦8年)
東胡が消えて鮮卑(せんぴ)、鳥桓(うがん)が登場。
朝鮮が消えて朝鮮四郡と獩貉(わいかく)、半島南部に三韓が登場する。
「新時代」(西暦8年-25年) 該当なし。
「後漢時代」(25年-220年)
粛慎が消えて挹婁(ゆうろう)が登場する。
鳥桓が消えて鮮卑になる。獩貉が獩貊(わいはく)に改名する。
「三国時代」(220年-265年)
「西晋時代」(265年-316年)
黒竜江中流域に寇漫汗(こうまんがん)が登場する。
「東晋十六国時代」(316年-420年)
三韓が新羅、百済、加羅に代わる。河北省の北に契丹(きったん)が登場する。
沃沮、獩貊が消えて高句麗になる。
「南北朝時代」(420年-589年)
扶余が消えて高句麗になる。挹婁が消えて勿吉(もっきつ)が登場する。
「隋唐時代」(589年-907年)
百済、高句麗が消え新羅が残る。後に、新羅が朝鮮半島を統一する。
勿吉が消えて靺鞨(まつかつ)が登場。高句麗が靺鞨(黒水部以外)と連合して渤海国
(ぼっかい)を建て、旧領の大半を回復。
「五代十国時代」(907年-979年)
渤海国は契丹族の遼国に滅ぼされ、渤海人は女真(じょしん)族と改称して臣従した。
「北宋時代」(960年-1127年)
女真族が力を蓄え、完顔阿骨打(かんがんあくだ)が金を建国した。
「金・南宋時代」(1115年-1271年)
モンゴルは南宋と同盟を結んで金を攻め、金の末帝は自決し、金は滅亡した。
「元時代」(1271年-1368年)
「明時代」(1368年-1644年)
女真族は分解されたが、建州の女真族にヌルハチが登場、再び女真族を統一した。
「清時代」(1644年-1912年)
女真族が明を滅ぼして清を創建。文殊菩薩を信奉するので満州(もんじゅ)族と改 称。
1912年の辛亥革命で清朝は滅亡するが、1945年まで満州国として生き延びた。
「現在」
満族(満州族)は、中国では漢族に次いで人口の多い民族として繁栄している。
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