秋田城外郭南門が発見されました、ナゼ外郭が・・・
1,秋田城外郭
秋田城は733年から約200年間設置されていました。
秋田城は東西南北550mの城壁に囲まれていました。
奈良時代は710年からですから733年はすぐですね・・・
秋田城は733年から約200年間設置されていました。
秋田城は東西南北550mの城壁に囲まれていました。
奈良時代は710年からですから733年はすぐですね・・・
2,外郭門
【wiki】
4,なぜ日本に、秋田に
日本の戦いは、応仁の乱以降全て「日本国」の覇権を争う戦争ですので、上記の点に照らし合わせば、平安以降日本は、日本列島全体(北海道を除く)がすでに城壁都市と同じ単位になっていたといえます。
つまり日本は平安期に、天皇を中心とした国家体制が確立し、その後政権を誰が担当するかで戦争をしても、(島国ですから)異民族の侵入は原則的になかったということです。
更に平安時代には国家統一のために天皇家をはじめ、貴族や武家も各地に散って政治を行っていましたので、日本列島隅々まで同じ民族としての気分が醸造され、戦争を行ってもそれは覇権争いであって「侵略」ではなかったのです。
このようなことなら、城壁を作り城=国ということをする必要はありませんし、国換えで領地と領民をそのままに、「お上」だけが変わってもだれも文句を言わないことにつながったのです。
【wiki】
8世紀当時の中央政府は、東北地方の蝦夷軍事的制圧を積極的に進めており、日本海側では、708年(和銅元年)に出羽郡をたて、712年(和銅5年)出羽国へ昇格させた。この前後、出羽経営の軍事・行政拠点として出羽柵(でわのき)という城柵が現在の庄内地方(山形県)に置かれた。その後、中央政府の勢力圏が北進したことに伴い、733年(天平5年)12月26日、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田県秋田市)へ移設された(続日本紀)。
なぜこんなに立派なものが・・・洟垂らしの蝦夷の地へ・・・
3,城壁とは
【wiki】
城の文献上の初見は、664年に天智天皇が築いた水城(みずき)で、この時代には文献に見えないものも含め多数の城が九州北部から瀬戸内海沿岸に作られた。また、蝦夷(えみし)との戦争が続いた東北地方では、7世紀から9世紀にかけて多賀城や出羽柵・秋田城などの軍事拠点と行政拠点を兼ねた城柵が築かれた。
これらの城は、中国風の城壁都市の概念から来るものであり、国府として用いられたが、城壁建築技術が低かったため、柵などを築くことで代用している。これらの城は律令制が崩れると共に廃れ始め、武士の時代に築かれ始めたものが戦闘拠点としての狭義の城である。
城の文献上の初見は、664年に天智天皇が築いた水城(みずき)で、この時代には文献に見えないものも含め多数の城が九州北部から瀬戸内海沿岸に作られた。また、蝦夷(えみし)との戦争が続いた東北地方では、7世紀から9世紀にかけて多賀城や出羽柵・秋田城などの軍事拠点と行政拠点を兼ねた城柵が築かれた。
これらの城は、中国風の城壁都市の概念から来るものであり、国府として用いられたが、城壁建築技術が低かったため、柵などを築くことで代用している。これらの城は律令制が崩れると共に廃れ始め、武士の時代に築かれ始めたものが戦闘拠点としての狭義の城である。
4,なぜ日本に、秋田に
長谷川如是閑「日本評論」
「西洋の都市が城壁をもって囲まれ、日本都市が城壁を持たないのも、日本では都市と都市外の地方との文明に境界がないことを象徴している」
「日本文明は、初期においては支那文明、大陸文明の継承に似ていたであろうが、奈良から平安初期にかけて、大陸のそれからまったく独立するに至った」
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教えてgooより
城壁都市というのは、都市そのものが国であり経済単位です。また城壁都市での戦争とは、同盟国(同民族)の覇権争いであったり、異民族の侵入対する戦いであったりしました。
日本の戦いは、応仁の乱以降全て「日本国」の覇権を争う戦争ですので、上記の点に照らし合わせば、平安以降日本は、日本列島全体(北海道を除く)がすでに城壁都市と同じ単位になっていたといえます。
つまり日本は平安期に、天皇を中心とした国家体制が確立し、その後政権を誰が担当するかで戦争をしても、(島国ですから)異民族の侵入は原則的になかったということです。
更に平安時代には国家統一のために天皇家をはじめ、貴族や武家も各地に散って政治を行っていましたので、日本列島隅々まで同じ民族としての気分が醸造され、戦争を行ってもそれは覇権争いであって「侵略」ではなかったのです。
このようなことなら、城壁を作り城=国ということをする必要はありませんし、国換えで領地と領民をそのままに、「お上」だけが変わってもだれも文句を言わないことにつながったのです。
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今回は資料集のようなものですが、この資料はじゅうようなものとなります!
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