菅江真澄「水の面影」現代語訳完成に伴って、解説をシリーズで行います
1,原本発見
「水の面影」解説 菅江真澄全集著者 内田武志
原本は昭和初年に能代の安農家で発見
真澄の他の著書の中に《みずのおもかげ》の書名が数多散見するので、その存在は明治期の研究者にも早くから知られていたが、原本の所有者は容易に判明しなかったようである。
わたくしが、能代市の安濃家から、真筆本《水の面影 上》一冊を借覧したのが昭和二一年の五月である。それを、表紙の写真を撮り、全文を写し終わってまもなく返却したが、その後の能代大火(昭和二四年二月二十日)で消失してしまったそうである。いま、表紙の図版として、このとき撮影した写真を用いた。また本文には、自分の写本を底本とした。
《水の面影 上》の一冊が、どのような理由で能代の安農家の所有となっていたかについて、わたくしの推察を述べてみよう。消失前の安農家には、真澄の原本として、このほかに、《あさひかわ》および、図絵草稿をまとめた《無題雑葉集》も所有していた。《無題雑葉集》の裏表紙には「千穂屋蔵」と記入されていて、鳥屋長秋の蔵書であったことが知られた。真澄の没後、三回忌を期して長秋らが墓を建てたが、そのとき建碑に寄付をよせ、協力してくれた各人に、責任者長秋から真澄の著書を返礼に贈っている事実がある。
安農家は能代で薬舗川口屋を経営し、また代々庄屋をつとめていた家柄だが、真澄と知己のあった人は安農治兵衛恒長である。恒長は大年と号し、国学、歌道に熱心な人であったから、真澄の墓碑建立にあたって、応分の寄付をしたものと思われる。それで天保三(一八三二)年の春、長秋から真澄の著書三冊を贈与されたと考えられる。
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