2008年12月11日木曜日

01607■大日堂「おば杉」



【問題意識】
大日堂にあった「おば杉」です。しかし不思議なことに石川啄木の「鹿角の国を憶うの歌」には「逆鉾杉」として出てきます。逆鉾杉であれば、大日霊貴(オオヒルメ=ウヒルキ)とともに不思議な世界のことになります。


【資料】
1、まずは、おば(姥)杉として、皆様の資料から。












杜の周りを杉並木が囲んでいる。境内にはご神木としてあがめられた「おじ杉」と「おば杉」の2本の巨木が立っていた。伝説では十四世紀に植えられた杉といわれる。おじ杉は数百年前に枯死したもののおば杉は寛文六年(1666)と昭和二十四年の社殿の火災の際にも焼け残った。しかし、木の傷みが激しく、昭和四十一年に切り落とされた。

『大日堂物語』には「おば杉の皮を煎じてのめば中風が治るとかいうので、明治三十年ごろにはしばしば皮がはぎとられた。」とも記されている。往時には四十㍍の高さを誇ったおば杉の巨大さは、外周十㍍にも及ぶ切り株から忍ぶことができる。切り株は現在お堂で覆われている。


2、逆鉾杉(さかほこすぎ)となれば

貼り付け「鹿角の国を懐うの歌

その流れに、身も心も清めた、
色白の鹿角の乙女たちが、
夕べの礼拝をする。
肩に白雲を頂いた、神寂びた逆矛杉、
その根元の深い溝の中に、
神が住んでいると伝えられている大日堂
壁の墨絵の大牛が、西陽をあびて、
浮き出てみえる日暮れ時、
沈む秋の陽の黄を映した衣裳の裾を乱しながら、
石段を静々と踏みのぼる。
伏目がちに、供物の神米を捧げ持って、
麻の服に素朴にわらで束ねた乙女達の、
黒髪は、まるで神代から続く水の香りがするようだ。
帰路の足どりは、こばしりに、杉の木陰の路を、
すたすたと、露に濡れた素足で、
ひらひら翻る襟を夕日に染めながら、
さながら神の使いのダンブリ(トンボ)が、
命の泉のあり処を教えに来た日のように軽やかに、
馬を飼う恋人の元へ急いだ。
そのつつましさ、美しさは、米白川流れが、
何時までも絶えることがないと同じように、
かって錦木を贈った、若者達の心を映し出しているようだ。
神代から延々と続いている、
そんな鹿角の国の情景を回想していると、
感動の涙でみたされます。

貼り付け終わり

【問題意識】
・逆鉾とは天の逆鉾(あめのさかほこ)のことで、その昔は「天のぬ矛」(あめのぬほこ)のことで玉で飾った美しい鉾のことです。この地球が生まれるころ、神々が使った由緒ある矛なのです。

(「宇宙原理ホツマ p346引用)
・かってのの本国土は、神の道のままに治まっていました。しかしオモダルノ尊時代は国内不安で、「道」が衰え国政が乱れていました。イザナキ・イザナミ尊は、この「道」を復興し守るべく、東北のトヨウケ神のもとに招かれ、葦原(滋賀・近江)出向の勅命をお受けになります。このときトヨウケ神が二神に授けられたのが、ヲシデと天の逆鉾の神器でした。二神はこのヲシデと天の逆鉾を用いて、「道」を教化し守ったのです。


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