2008年12月9日火曜日

01008■鹿角の国を懐うの歌



【資料】
石川啄木の長詩
鹿角の国を懐うの歌」を掲載します。

【問題意識】
・石川啄木がどうしてこれほど鹿角のことを詠めるのか?
・枕詞?「青垣山をめぐらせて 天さかる鹿角・・」
・大日堂の杉を「うば杉」でなく「逆矛杉」と記していること


1、こちらが原文
(クリックで拡大できます)










































「鹿角の国を懐かうの歌」

青垣山をめぐらせる
霊気ただよう鹿角の国を偲べば
感動の涙が流れて太字きます。

錦木塚の大イチョウは、月夜の晩には、
夏でも黄金色に変わり、昔からの
若々しい恋の話を伝えてくれます。
風がふけば、枝から洩れる月の光が、
白糸のように静かに揺れ、
細布を織る筬(おさ)の音のようにゆったりと、
語ってくれるといいます。

十和田湖の嶽のある沢に、
昔から鬼が住むという深い峡は、
霊気こもれる滴りに、人の立ち入った跡もなく、
岩苔のを吸いながら流れ落ちる、
渓流の小路でに、鹿が妻を求めて恋い鳴くのに、
人が近づいても、恐れる風もないという。
そんな鹿角の国を偲ぶと、
感動の涙が流れてきます。

その昔、幾世にも朽ちずに、残る碑や、白石の回廊や、
玉垣、壁画、銅の獅子、それに物語など
確かな証は残っていないが、
その愛は受け継がれ、
太陽や月、星が生まれた
天界から伝えられたかのように
人の輝きや、芸術の基である「愛」に満ちたところ・・・。
若者の相愛が花のように映えて、
錦木の枝も紅く色どりをそえて輝いているところ。
昔から角笛鳴らす猟師たちも
枝により添う美しい雉子が、
つがいであるとみれば、
弓をひかなかったといわれる。
そんな人々が暮らす、鹿角を偲んでいると、
感動の涙が流れてきます。

神の使いのトンボが教えてくれた聖なる泉、
そこから流れ出た尽きることのない、
米白川の水が潤って、草茂る豊かな、
鹿角の国を思うとき、
感動の涙が流れてきます。

その流れに、身も心も清めた、
色白の鹿角の乙女たちが、
夕べの礼拝をする。
肩に白雲を頂いた、神寂びた逆矛杉、
その根元の深い溝の中に、
神が住んでいると伝えられている大日堂
壁の墨絵の大牛が、西陽をあびて、
浮き出てみえる日暮れ時、
沈む秋の陽の黄を映した衣裳の裾を乱しながら、
石段を静々と踏みのぼる。
伏目がちに、供物の神米を捧げ持って、
麻の服に素朴にわらで束ねた乙女達の、
黒髪は、まるで神代から続く水の香りがするようだ。
帰路の足どりは、こばしりに、杉の木陰の路を、
すたすたと、露に濡れた素足で、
ひらひら翻る襟を夕日に染めながら、
さながら神の使いのダンブリ(トンボ)が、
命の泉のあり処を教えに来た日のように軽やかに、
馬を飼う恋人の元へ急いだ。
そのつつましさ、美しさは、米白川流れが、
何時までも絶えることがないと同じように、
かって錦木を贈った、若者達の心を映し出しているようだ。
神代から延々と続いている、
そんな鹿角の国の情景を回想していると、
感動の涙でみたされます。
(訳者:貝沼志津子・一部補筆)



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