【問題意識】
・錦木伝説が都人もが歌にするロマンの物語となっていることと、古代東北は蝦夷の国でその野蛮な様が述べられていることのギャップ。
(貼り付け)
1、鹿角郡は古代には上津野(かづの)と呼ばれていた。
この地の錦木塚・狭布の里は象潟と並ぶ出羽一級の歌枕ではあるが、出羽・陸奥最果ての賊地中の賊地にあるというこのミスマッチは、歴史の摩訶不思議を垣間見るここちなのだ。
2、この美しくも悲しい人間味あふれる伝説の発生は、日本書紀の蝦夷の性格の記述からは想像できないのです。
『・・・かの東夷たましい暴強(あらびつよく)凌犯(しのぎおかす)を宗とす。村に長なく邑に首(おびと)なし、各封堺(さかい)を貪りて相盗略(かす)む 亦山に邪神あり 野に姦鬼(かたましきおに)あり、ちまたにさえぎり、径(みち)に塞がりて多くの人を苦しまむ。
その東夷の中に蝦夷是れ最も強し。男女交居て父子別なし・・・。恩(めぐみ)を承けては則ち忘れ怨(あだ)を見ては必ず報ゆ・・・・』と。
3、侵略者にはあらゆる下劣な単語を羅列して、蝦夷がいかに野蛮且つ野卑な民族で、文化的大和民族との差異を強調しているのです。
しかしこの歌枕伝説を見ればこの記述がいかに出鱈目であるか分かるはずだ。
4、しかもここは元慶2年(878年)秋田城司良岑近の苛政に対する、土着の蝦夷がついに反乱(元慶の乱)を起こした秋田城下賊地12村の一つで、奥羽山脈最奥地の賊地なのだ。
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【まとめ】
・一級の歌枕の地と賊地中の賊地であることのミスマッチは歴史の摩訶不思議。
・正史に書かれた、蝦夷の性格・状況はいかにでたらめなのか。(勝ったものは歴史を変えて記述)
■東北全体は、田村麻呂伝説や天台宗慈覚大師、そして歌枕、謡曲などのカモフラージュが行われたのです。
しかし、鹿角の「錦木伝説」「歌枕のケフの狭布」などは何か違うのです。都人があこがれた地・物語のような気がします。
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