2008年12月13日土曜日

01304■鹿角の伝説の変化



【問題意識】
・蝦夷の時代、鄙の地の、鹿角錦木塚がなぜ世阿弥の謡曲に歌われ、都人の歌枕にまでなったのか?
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【資料】
伝説は時代とともに変わる・・・錦木塚・政子姫の伝説は7つの段階で変わってきた。
鹿角市錦木市民センター資料館による

錦木伝説の変化






















































1、はじめの頃のストーリー
鹿角由来集
鹿角由来記(美しくも素朴なロマンスとして語られていた)

2、名もない機織りの上手な娘が、天皇派遣の貴族後裔政子姫となり、いかめしい物語につつまれるようになった。
奥州峡郡錦木山観音寺延喜

3、天明五年 菅江真澄が古川村で聞き取ったのは、やはりある翁に養い育てられた美しい娘の悲恋の物語であった。
けふのせばぬの

4、天保九年 錦木古人 黒沢覚平が幕府巡見使に語った縁起も、老農夫に養われた女子、というままのものであった。
御巡見御用控帳
錦木塚の伝記

5、万延元年 藩主利剛のお側に随従した中奥御小姓 上山守古の扈従(ごしょう)日記には、錦木山観音寺縁起がそのまま書き写されている。
両鹿角扈従日記


6、昭和六年 曲田慶吉は土地に伝わる伝説と観音寺縁起の融合をこころみた形で述べている。
 曲田慶吉編
伝説の鹿角 (鹿角郡教育会刊行)

7、近年そのほとんどがヒロインを貴族の後裔政子姫として語られている。伝説の特徴である歴史化が完璧に進んだ結果といえる。
伝説の里 鹿角
陸中の国鹿角の伝説 (ともに 鹿角市発刊)



■wikiにも書いてありましたが、
「伝承も、謡曲も小野小町と深草少将との百夜通いの逸話と異口同音であり、袖中抄などから創作されたものと考えられます。


【まとめ】
・WIKIのとおり誰かが創作したものですね。
・昨年設置された現地案内板には「室町時代の世阿弥の創作に由来するとあります。これが上記2の段階でしょうか。
・今は歴史化が完璧となったのですね。


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