2008年12月17日水曜日

02004■出雲のオオナムチをカシマダチ

【問題意識】
・出雲の初代大物主・オオナムチがなぜ津軽に追われたのか。


【資料】
ホツマ縄文日本の宝 池田満著 展望社(P81~)
多賀のオシホミミ(アマテラスの継子)の宮で橘が枯れ始めた。
橘は政りごとの善し悪しの鏡です。・・・
検察官が出雲に着いてみると、はたしてそこは独立国家のような様相を呈していました。出雲の国の国司(クニカミ)はスサノオの継子オオナムチでして、その宮(出雲大社)にはりめぐらした垣をタマカキと呼ばせ、また、人々にウチミヤと呼びならわせているのです。朝廷と同じ呼び名を用いることは朝廷を軽んじている証拠です。そしてさらに、宮はイサワの宮(アマテラスが住む)や多賀若宮(オシホミミが住む)よりも大きく立派だと、オオナムチは自慢しています。これでは、朝廷にとっていわば鼎の軽重を問われていることと同じです。
多賀に戻った検察官はオシホミミに報告します。
「出雲のオオナムチは人々を指導することに秀で、その国は大変豊かに人々も暮らしています。しかし、
『満つれば欠くる』とことわざにあるように、オオナムチは国土経営の成功のはてに、垣根を玉垣と呼ばせ、宮をウチミヤと人々に呼ばせています。これはオオナムチに朝廷を敬う心のない証拠です」

オオナムチはアマテルカミの右の臣(カの臣)であり、右(カ)の締まりを解くことからカシマダチと名づけ出発した。

平定軍が出雲の宮に着いた。
喧嘩腰で迫られたオオナムチは狼狽してしまいました。オオナムチとしては、そんなに悪いことをしでかした罪の意識がありませんでした。悪いことをした思いもないままに、朝廷から平定軍がやってきたのです。
継子のクシヒコに対応策をたずねました。
「平定軍を使わされてしまった今となっては、我々一族はこの出雲から去っていきましょう。出雲の国がいくら栄えているとしても、それはそれまでのことです。多くの国を束ね治めている朝廷は全国民の幸せを考えなくてはならない立場にあります。それなのに朝廷を軽んじるような仕儀は間違っています。朝廷に逆らう者は全国民を的に回したことになってしまいます。だから朝廷はとてつもなく貴いのです」

クシヒコの考えを聞いたオオナムチは、出雲を去る決心をします。しかし残念ながら、オオナムチは自分の犯した間違いについては未だよく分かっていませんでした。ただ朝廷に逆らってはならないといったクシヒコの言葉に従っただけだったのです。

こうして出雲を去ったオオナムチは、謹慎生活をおくることになります。やがて、誠実な態度が評価されて、オオナムチは謹慎を解かれ、当時未開発の津軽の開拓が許されます。津軽の岩木山神社はオオナムチの開拓を記念して建てられたのであったろうかと思えます。神社として珍しく黒ぬりの建物は、あるいはオオナムチの心を映したのでしょうか。
(以上が池田満氏の著から)




ホツマツタエ現代語訳 天の巻 10アヤから


















この時、オオナムチは配下の百八十神を引き連れて天(宮中)に昇り改めて帰順の意を表して忠誠を誓いました。その柔順な忠誠心の蔭には涙をこらえてもなお、忍びえぬ思いが去来していました。
 タカミムスビが今度の不祥事に至った原因を度々問い正した時も、オオナムチは誠意を尽くして素直に答え、それはいちいち理にかなって同情に値するものであったので情状酌量により、アマテル神の詔のりによりこの件は国替えと決まりました。この時正式にツガル、アソベのアカル宮(現・岩手山神社、祭神 顕国魂 うつしくにたま神、オオナムチの別名、中津軽郡、青森県)を天恩(アフユ)により賜り、後に供の百八十神と力を合わせてツガルの国を再開発して良田を広げ再び豊かな国造りを成しとげました。

 オオナムチは賜ったツガルの国にアカル・アソベのウモト宮(天日隅・阿曽部岳の大元宮)の建立を進め、その境内地の建築規模はチ(千・せん)ヒロ(一尋は1.515m又は1.818m)にも及び、宮殿の甍(いらか)は高々とそびえ、木の香も真新しい多くの棟々は掛橋(かけはし)で一体に列なり、それはあたかも緑なすアソベの岳を背景に出現した空中楼閣を思わせる佇まいでした。
 オオナムチに従ってツガルに下った百八十神の新築なった家並を遠望する時、それは丁度アカル宮を中心にオオナムチを守るようにお互い助け合い強い絆で縫い合わせた壮大な服従の白楯(しらたて)
を彷彿させました。国を移された御魂の意からウツシクニタマ(顕国玉神)と称えられたオオナムチは後にツカルウモトノ神(東日隅大元神)となり神上がりました。




(以上が池田満氏の著から)
【まとめ】
・出雲の国譲りの経緯がよくわかります。
・津軽の開拓を行った
・岩木山神社の黒塗りの建物の理由
・アソベがでてきました。
・壮大な宮殿をたてたこと。
・オオナムチに従って百八十の神(臣下)がいたこと。


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