2008年12月19日金曜日

01022■タジマモリの真相










ホツマによるタジマモリ

http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/05/post_f945.html

遺しフミの最重要な文は後半にあります。
「キミ やつかれが モトヒコに
むすぶシズクのミナモトを
おぼして ホヅマ しろしめせ」
ワカミヤ(ヲシロワケのキミ)さま、
私めが、モトヒコと結んだ水の一滴のようなご縁の、
そのミナモトとなりましたのは(父ギミ、イクメのキミのご密命にありました)
それを、良くお考えあそばし(お使いになって)
ホヅマ・・・すなわち、アメナルミチに表される治世を、
(ヒタカミにも)お広めになられますように。

この一文があればこそ、タジマモリさんのお心も良く分かるのです。
この事情を知った上で、あの唱歌を読むならば、
私達は、歌に表してはいない、隠れた歴史のまことを想い、
あらためて心打たれるような気がいたします。
まるで「乃木将軍みたいなお方」と私は書いたのですが、
お役も時代もはるかに違えども、
オオキミのお心を身に受けて、生涯を賭けられたことには変わりなく、
また、その「二君にまみえず」という、深い忠義のお心がそっくりです。
言わせて頂くならば、二君にお仕えできないほど、
全身全霊をすべて捧げつくされ、任務を全うされたのだと思いました。
そして、タジマモリさんは、
キミの御陵の前で、殉死されたのです。
イクメのキミ、垂仁天皇さまの御陵の壕中には、タジマモリさんの小さな墳墓があります。
いまも、キミを守っておられるのでしょうね。
クニの守りを強めたお方、タジマモリさま。
「タジ」とは(イタシ)致しか、足しということでしょうか。
「マモリ」はもちろん守ると言う意味なのですから。
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垂仁記を読む)から貼り付け
■タジマモリを遣わした垂仁天皇とは
(注)活目入彦五十狭茅・・・イクメイリヒコ・イソサチと読む。


垂仁天皇。通説ではイサチと「ソ」を落として読むが、これは古事記の用例イクメイリヒコ・イサチに合わせた読みで、「仲哀紀」「筑前風土記逸文」に見える「五十」は「イソ」と読むようにという要求に反する。古事記がなぜ「伊佐知(いさち)」として「五十狭茅」の「ソ」を落としたかについては、祟神紀でも説明したように古事記の持つ強い「日本王統列島内自生史観」の為せる業である。

そのことを否定するかのように、垂仁紀では本文にも分注にも「朝鮮半島からやって来た王族級の人物・ツヌガアラシトやアメノヒホコ」などが登場する。古事記では応神記に、神功皇后の出自を言うためにアメノヒホコが引っ張り出されるが、これは例外中の例外である。


さてイクメ天皇は私見では「イクメに入ったイソ(五十)の狭い茅葺きの王宮生まれの天皇」で、祟神天皇が半島から九州島は五十(糸島)地方に亡命移住して来た後にそこで生まれ育ち、やがて「大倭」のプリンスとして成長ののち、ヤマタイ女王国の「伊支馬(いきま=イクメ)」という植民地の総督のような駐在武官を経験したことを表す名を負ったと見る。その時代は260年の頃だと考える

■タジマモリとは
田道間守・・・タジマモリ。

3年条の分注によれば、祖は半島人アメノヒホコで、ヒホコ―モロスケ―ヒナラキ―キヨヒコ―タジマモリという系譜。その一方で古事記では「応神記」に、ヒホコ―モロスク―タジマヒネ―ヒナラキ―タジマモリ・タジマヒタカ・キヨヒコ(3兄弟)とする。違いは古事記の方に先々代のタジマヒネとタジマモリの兄弟が二人載っている事だが、おおむね同一といってよい。

それより大きな違いは、古事記ではさらに後嗣を載せていることで、キヨヒコの娘ユラドミとキヨヒコの兄ヒタカとの間に「葛城之高額ヒメ」が生まれるが、これが神功皇后の母親であると記す(古事記では父親を欠くが、書紀では父を開化天皇の曾孫「気長宿禰王」としている)。

それはさておき、半島辰韓人ヒホコの後裔が但馬に居住し、その5世孫タジマモリは垂仁天皇の命令で「トキジクノカクノコノミ(いつも光り輝いている木の実)」を求めて常世国にまで行き、無事に探し当てて十年後に帰ってみると天皇はすでに他界しており、悲しんだタジマモリは墓前に自死した――という説話の主人公として描かれ、その忠節を賞されている。


トキジクノカクノコノミを「橘」であろうとする見方が多いが、橘なら魏志倭人伝に倭国にあると記されているので間違いである。では何なのかと問われると心もとないが、常世国という現実の国ではない所にあるとされているのであるから、具体的な何かの名を挙げるのもおかしなものだろう。不老不死の魂に関する何かであるとだけは言えるが・・・。

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(まとめ)
・垂仁天皇もタジマモリもやはり渡来系ですね。
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