このブログは「壁を突き抜ける生き方」をする人だけが共鳴できるものです。 北東北の不思議な地域、クロマンタ、大湯ストーンサークルを中心とする縄文文化の真実を探究する研究会です。 ■右側のラベル分類からもお入りください。 ◆スライドショーはクロマンタのゼロ磁場調査の様子!!
2009年2月15日日曜日
03010■平家落人伝説と剣山結界文化
平家落人伝説と剣山菱形結界文化について
剣山周辺の山岳文化については「平家落人」との関連で説明しようとする傾向が強いようですが、はたしてそれで良いのでしょうか。
★記紀で最初に登場するのが「アワ」の国名で、律令国家成立時代には忌部氏や修験者の活動がうかがわれ、平安初期には修験道(陰陽道)・山岳仏教と結びついた空海の霊場結界が設定されています。
★これより剣菱結界における律令時代以前の無史料状況は、ここが単に未開の秘境だったというより、何らかの事情で中央政権とは隔絶した世界があったからと考えられそうです。
★ただその独自の文化性をユダヤ支族やヒミコに結びつけるのはあまりにも短絡で、ここはもっと脚下にある重大な史実「律令国家確立に関わる敗者の動向」に注目すべきです。律令国家は、先住山岳民を「天狗」と呼んで区別し、律令反逆者を「鬼」と呼んで差別しました。熊野や剣山などに見られる山岳結界は、こうした人々への不可侵別世界を用意していたようです。
★平安時代末期の平家落人も、単に屋島で負けて未開の秘境に逃げ込んだというより、そこにある中央政権も手を出せない別世界を意識していたのではないでしょうか。中央に睨まれるという点では平家も山岳民も同じです。
※弥生時代後期での魏志韓伝には「蘇塗(ソト)」という風習が記されており、「逃亡者がそこに逃げ込めばもう追わない」というもので、その標に鈴や鼓を掛けるそうです。「鬼はソト、福はウチ」の淵源でしょうか。
※結界標はこの鈴・鼓のほか、大石や注連縄・御幣など。これは「防衛」というより「棲み分け」結界でしょう(※狭い土地では非常に合理的)。
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