2009年2月17日火曜日

01202■ストーンサークルの推理





大湯ストーンサークル解明の資料として「ペンタクロスさん」からです。

「資料」




縄文・大湯村の営みから「環状列石」を推理する
<大湯全体の実測図がないので、遺跡ガイドマップと夏至日没西北約30度から作図>

大湯地図★約1万2千年前の後氷期の始まりに、縄文時代も始まります。高温高潮時代で、そのピークは約7千年前。縄文・大湯村は寒冷化が目立ってきた約4千年前に登場しますが、今のような雪の降り積もる状況ほどではなかったでしょう。

★縄文時代の生計は「狩猟・漁労・採集」とされ、近年では栗栽培もあったことが考えられています。


★さて大湯村民の生計の中心として「採集」を考えてみましょう。関心事は「いつ、どこで、なにが採れるか」です。それには「繰り返す季節の予見」と「採集地点の記録」が重要となります。活動エリアは「日帰り作業」が可能な範囲がメインでしょう。

★上図をご覧ください。まず「日時計状組石」に注目してみましょう。時計なら最低一基で済むはずですが、大湯にはこの組石が林立しています。単に「時計機能」では済まされない問題です。また村の施設配置は確かに「季節を知る」もののようですが、これも単に「夏至」だけではなさそうです。更に「五本柱建物」が<猿賀神社-黒森山>間、正立五芒星の一辺に沿った線に位置することや<野中堂→黒又山>の真北東配置からも、施設づくりで、なにがしかの「位置決めの要」があったようです。

☆これからは推理です。ストーンサークル装置とは「いつ、どこで、なにが採れるか」を示す「ガイドマップ&カレンダー」だったのではないでしょうか。サークル内は「日帰り活動範囲」で、林立する石柱は「目印となる聖なる山」。村民はこのマップに従って採集(あるいは狩猟)活動を決めていたのでは。

☆そしてその方向指示器が「縄一本あれば簡単につくれる五芒星」だったのでは。
(手で扱えるほどの五芒星なら、同じ長さの棒5本の組み合わせでOK)
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(まとめ)
・古代人の行動エリアは 大湯村の日帰り範囲とすることが分かりました。
・ストーンサークルの目的の推理があります・・・・・共鳴はできませんが!!
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