2009年7月26日日曜日

■運命の石・スコットランド

エハン・デラヴイ氏の「地球巡礼者」に不思議な石のことが載っていました。
「運命の石」です。ウイキペデアには「スクーンの石」で出ています、同じことです。

スクーンの石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウェストミンスター寺院に置かれたスクーンの石

スクーンの石 (Stone of Scone)。代々のスコットランド王が、この石の上で戴冠式をあげた。運命の石 (Stone of Destiny) とも呼ばれる。聖地パレスチナにあって聖ヤコブが頭に乗せたという伝承がある。

運命の石は、500年ごろ、スコット人ファーガス・モー・マク・エルクによってアイルランドから持ち込まれた。ファーガスはキンタイア半島付近に上陸し、ダルリアダ王国を建国。ファーガス2世となった。

846年ケネス1世オールバ王国の王を兼ねるようになると、運命の石もダルリアダ王国の首都ダンスタフニッジより新首都スクーン(現在のパース)に移された。これより、スクーンの石と呼ばれるようになる。

スクーンの石は、1296年エドワード1世によってイングランドに奪い去られ、木製の戴冠いすにはめ込まれウェストミンスター寺院に置かれることになった。その後、代々のイングランド王の戴冠式に用いられた。

スクーンの石がイングランドに奪われたことは、スコットランドの人々にとってはイングランドへの敵対意識を高めることになった。

1996年トニー・ブレア政権によりスクーンの石は700年ぶりにスコットランドに返還された。現在は、エディンバラ城に保管されている。

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もっと詳しくは、hatena..brtishstudiesさんからです


しかしこの「運命の石」とは、いったいなんだろうか。史料をさかのぼっても、その起源は実に曖昧なものであるようだ

 この「石」に関すると思われる記述が登場するのは、1370年代に書かれたフォーダンの『スコットランド人の年代記』における、1249年の即位式についての記述であるという。

いかなる王も、まず最初にスクーンにあるこの石の上に着座して王と呼ばれなければ、スコットランドを統治することはけっしてできない。

 これは「運命の石」についての最初の歴史記述ではあるが、具体的な固有名詞として「運命の石」や、「スクーンの石」といった表記は出てこない。それは単に「石」や「王座」と呼ばれているだけである。だから、それが、現在の「運命の石」かどうかはわからないのだが、少なくとも現代の「石」の正統性を、こうした歴史が裏付けていることは事実だ。

 「運命の石」という名づけの起源と考えられるのが、1304年から6年のあたりに記述されたと思われる歴史書で、その著者は不明である。そこには、スコットランドの出自神話として、以下のような予言が書かれている。「アイルランドに向かうシモンに対して、スペイン人の王である父ミロは、ゲール=グラスがエジプトから運んできた「この平らな石」をシモンに与え、「この石が置かれたところを、おまえの子孫が支配するであろう」。石はエジプトから運ばれてきたのだ!w

もちろんこれは、「天照大神が~」といった類の、神話にすぎないが、この部分が後代の歴史書によって繰り返し引用、復唱されることによって、運命の石」という名づけが、いつのまにか出来上がっていた、らしい。先ほどのフォーダンの『スコットランド人の年代記』における、上の場面の記述は簡潔である。

運命が欺かないなら、この石が置かれている、その土地をスコットが支配するであろう。

 このように、「運命の石」と呼ぶべきかどうかはわからないが、何らかの石がスコットランド王の即位式に用いられていたことは事実らしい。しかもその石は当時から「神話」を纏い、スコットランドという国家の独立性を担保するものであったようだ。


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(まとめ)

・壺の石碑を調べている途中ですので、「運命の石」が気になりました。スコットランドのことですが、どうでしょうか。

・ホツマではイナナギ・イザナミのことがアダムとイブと同じだとでていますので、こちらもどうかと思ったわけです。

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