世阿弥はどうして、こんな鹿角の鄙の、というより蝦夷の奥地のことを知っていたのでしょうか。
よりどころは何なのでしょうか。
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ウイキの錦木から
(貼り付け)
世阿弥の錦木
ある僧が、従僧と共に狭夫の里にやって来る。そこへ錦木を手にした里の男と細布を持った女の幽霊が現れ、錦塚のいわれを説明し、塚の中に消える。里の者にいわれを聞いた僧は、塚の前で読経をすると、2人の幽霊が次々に現れ、感謝を述べて、今度は女は男の求婚を受け入れ、男の幽霊は感謝の舞を踊る。朝になると、そこには塚があるだけだった。
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(まとめ)
・世阿弥は鹿角まで来てはいません、やはり袖中抄などから創作したのですね。
・歌枕も謡曲も都人の創作ですね。でも枕詞となれば別です、枕詞には根拠がありますから。
・でもなぜ、この地が歌に詠まれる必然性があったのでしょうか。
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