是川遺跡に近い亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)は縄文晩期(1,000~400年前)のものである。この遺跡を初め東北地方で出土する遮光器土偶は教科書にも載っており、知らない人はない超有名なものである。
しかし、これは何であるのかについては結論が出ていない。まず、殆どが女性像であることから、母性を意識し、豊穣な動植物の繁殖を願ったものとも言われる。又、出土品で完全なものは殆どなく、腕や足が欠けているが、病気や怪我の身代わり人形だったの説もある。
特に遮光器土偶はその奇抜なフォルムから宇宙人を模したものといわれる様に、地球上には存在しないもので、何を根拠にしたのか不思議である。
又驚異なのは、非常に薄いものを硬く焼き上げているその技術である。一緒に出土した土器類も小さな文様や精密な細工、薄くて硬いことから、当初鉄製品と間違われたという。現在のハイテクセラミックにさえ比される。
殆ど実用といえない祭祀用小型土器ばかり出土していることから、亀ヶ岡が神々を祭る神聖な場所であったろうと推定されている。そして、実生活と無関係の物にこれほど高度な技術を注ぎ込むほど余裕のある豊かな社会が築かれていたことは間違いない。
2、岡田康博さんの「縄文悠々学」からです
その名前の由来ですが、そもそも遮光器とはイヌイットなどの極北で狩猟をする人達が、冬の間、雪に太陽の光が反射して眼を痛めないように、スリット(幅の狭い溝)が入っためがねを使用しますが、このめがねのことを指します。明治時代にイギリスへ留学した当時の東京帝国大学教授坪井正五郎が大英博物館に展示されていた遮光器を見て、日本の土偶の眼はこの遮光器を付けているとの指摘から、眼の大きい土偶は遮光器土偶と呼ばれるようになりました。現在では、遮光器を付けていると考える研究者は少ないようです。通常、縄文時代晩期に造られた、眼の大きい土偶は遮光器土偶と呼ばれています。土偶は土で造られた人形のことです。
日本の縄文文化の特徴のひとつに土偶があります。大陸にも土で造られた人形はありますが、あまり多くはありません。土偶は乳房や妊娠した状態を示していると考えられるお腹の大きなものがあり、また、明らかに男性と思われるものが見つかっていないことなどから女性を表していると考えられます。何のために造られたのか、その目的にはいろいろな説があります。安産や子孫の繁栄を祈念する際に使われたまつりの道具説、あるいは病気やけがをした同じ部位を壊すことによって痛みや苦痛を取り去るための身代わり説、そして地母神説、などの魅力的な説がありますが、決定的なものはないようです。
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