遺跡の東西南北ラインを求めるのに、今も縄文時代も同じ軸線なのでしょうか。
アチヤ平-出雲大社-北野天神が共有する[西傾4.5度軸]
クリックできれいに大きくなります
縄文後期文化を代表するものに新潟朝日村「奥三面遺跡」があります。1988年「ダムで沈む」ということで発掘開始、「縄文の舗装道路」が確認された所です。
クリックできれいに大きくなります
縄文後期文化を代表するものに新潟朝日村「奥三面遺跡」があります。1988年「ダムで沈む」ということで発掘開始、「縄文の舗装道路」が確認された所です。
★ここのアチヤ平に「環状配石」があり、沼澤茂美さんが「サークルカレンダー」仮説を発表しています(図Ⅰ)。
★この中で南北を示す軸が「真北」より西に4.5度傾いていることに注目、「縄文の北極星」の位置ではないか、との推理です。
★さて、以前発表しました「出雲大社」(図Ⅱ)です。やはり「西傾4.5度」の中心軸でグランドデザインされています。
★出雲は日本海縄文文化を継承する古代遺跡として知られた所で、日本の国造神「大国主命」の故地です。
★そして「北野天満宮」(図Ⅲ)。平安京
の東西路を遮るように立地する、おそらく古代からの宮地も、やはり「西傾4.5度」の中心軸で設定されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿