時は人の記憶を風化させる。否応なしに人の記憶は消え去って行く…黒又山の第三次総合調査(平成5年)以来、すでに4年間の歳月が去ったいま、改めて時の流れを実感している。
これに対し、「秋田県支部通信(環太平洋学会秋田県支部発行)Vol・1」は次のように総括している。
「これまでの研究の成果はその都度公表され第三次調査報告書(平成6年度)に至るまで、4冊出されてきた。しかし、これによって第三次調査終了でクロマンタの解明ができたのではい。むしろ多くの課題が浮き彫りにされたのである。要するに問題が整理された段階といってよいだろう。それによる今後の研究課題としては地中遺物の有無と実態確認、さらに山頂周辺部の発掘調査。周辺祀り場の確認、祭祀方法と祭祀対象。大湯環状列石との関連性。などが上げられよう」
調査研究が終わったわけではない。そればかりか、問題が整理され、今後の研究課題が浮き彫りになってきたというわけであるが、いったい、それによって何を明かにしようとしているのだようか。
つまるところは次の2点に要約できるのではないだろうか。
第1は、黒又山ピラミッド(古代山岳祭祀遺跡)であったのか否か、という点。
第2は、黒又山周辺の神社群は黒又山ピラミッドに付随する古代祀り場だったのか否か、そして、夏
至や冬至、春分・秋分における太陽の運行に対応するものかどうかという点である。
しかもそれらの状況は黒又山だけの特殊例外的な出来事であってはならないし、広い範囲で確認される一般的な現象でなければならない。つまり、普遍的な原理を表するものでなければならないということである。
筆者(鈴木旭氏)は、それを“クロマンタ原理”と名付け、すでに複数の事例を通じて一般的に見られることを確認している。
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もう一つ、吉祥姫さんから、
太陽を拝する山・黒又山(クロマンタ)
クロマンタ総合調査隊員 柳沢 兌衛
クロマンタの頂上には昔から信仰の為の祭祀場がありました。近世中期には大宮が祀られ、くだって薬師神社が祀られ。現在は鳥居に「本宮神社」と掲額されています。この例のごとくクロマンタには様々な信仰要素が付与されて現代につながっていることがわかります。しからばこの信仰形態はどこまで遡りうるかといった場合、それを明言できるところまでは至っていません。
環太平洋学会で調査に取り組んだ際「クロマンタの性格の一つの属性に太陽を拝する信仰があった」として、解明のテーマとしました。
この度は、この点に焦点をあてた調査資料を紹介することにします。
はじめに鹿角(秋田県鹿角市)の盆地の特徴を概観することにします。四方を山に囲まれた盆地は南北に細長く、東に1,000メートルクラスの山が連なり、西側には300~500メートルクラスの山が連なっています。盆地内の河川は一つになって西側低山帯の一箇所「男神・女神の峡谷」から流れ出ています。そして、クロマンタは東側高山帯に近い所に位置しています。
(続きはこちらから)
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(まとめ)
・クロマンタが古代祭祀場跡か・・・そうですね。
・周辺神社の配置がクロマンタに付随するものか・・・そうですね。
・東西南北線、日の出、日没ラインも重要ですね。
・太陽崇拝・・・そのとおりですね。
・東北縄文文化研究会では、まだまだ何かありそうだと考え、追及しております。
だんだん分かってきました・・・・。
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