東北縄文文化研究会では、クロマンタがピラミッドかどうかということには、それほどこだわっていませんが、ピラミッドの定義について「日本ピラミッドへの批判的な所論」さんから、一部利用させていただきます。
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(はりつけ)
1、「日本ピラミッド」とは
「日本にピラミッドがある」と最初に言い出した人物は、キリスト教牧師だった酒井勝軍(1874~1940年)という人。
昭和初期にエジプトへ外航し、その帰国後に突然、広島県庄原市にそびえる葦嶽山(標高815m)を指差し「これが日本ピラミッドである」と唱えたことから「日本ピラミッド論」は始まりました。
酒井は葦嶽山の他に、青森県新郷村で大石神ピラミッド、岩手県釜石市で五葉山ピラミッドなどを「発見」。
彼の死後も、この日本ピラミッド説は一部の人々の間で受け継がれました。1980年代には、サンデー毎日編集部が長野県松代市の皆神山を「日本ピラミッド」だとして特集を組み、日本超古代史派の人々の間で日本ピラミッド探しが再燃しました。
1990年代には、大学教授など職業研究者を含めた環太平洋学会という組織が、秋田県鹿角市にある黒又山の地中をレーダーで探査し、この山の表面が7~10段程度の階段状構造に整形されていた可能性があることを指摘。実際に発掘こそしませんでしたが、地中レーダー探査という科学的な調査方法がとられる段階まで発展しました。しかしそれ以後日本ピラミッド分野で目覚しい進展はなく、現在はやや停滞気味のジャンル?
彼の死後も、この日本ピラミッド説は一部の人々の間で受け継がれました。1980年代には、サンデー毎日編集部が長野県松代市の皆神山を「日本ピラミッド」だとして特集を組み、日本超古代史派の人々の間で日本ピラミッド探しが再燃しました。
1990年代には、大学教授など職業研究者を含めた環太平洋学会という組織が、秋田県鹿角市にある黒又山の地中をレーダーで探査し、この山の表面が7~10段程度の階段状構造に整形されていた可能性があることを指摘。実際に発掘こそしませんでしたが、地中レーダー探査という科学的な調査方法がとられる段階まで発展しました。しかしそれ以後日本ピラミッド分野で目覚しい進展はなく、現在はやや停滞気味のジャンル?
日本ピラミッド研究史としてはこんなところですが、ではそもそも「日本ピラミッド」の定義とは何か? これについて述べておきたいと思います。
まず、日本ピラミッド論提唱者である酒井勝軍の定義。
まず、日本ピラミッド論提唱者である酒井勝軍の定義。
(1)日本のピラミッドは人工のものよりも、自然の山を利用してある方がより良い。
(2)日本ピラミッドの頂上には太陽石が配置されており、その周りは列石が配せられていること(註1)。
(3)ピラミッド自体は本殿であり、それとは別に拝殿が付属することがある。それは小山・支峰であったり、方位石、鏡石、環状列石、机石、立石などの石造遺構である。
(4)日本ピラミッドは山以外にも、平地上に祭祀場を築く「平面ピラミッド」がある。
(2)日本ピラミッドの頂上には太陽石が配置されており、その周りは列石が配せられていること(註1)。
(3)ピラミッド自体は本殿であり、それとは別に拝殿が付属することがある。それは小山・支峰であったり、方位石、鏡石、環状列石、机石、立石などの石造遺構である。
(4)日本ピラミッドは山以外にも、平地上に祭祀場を築く「平面ピラミッド」がある。
酒井の考えでは、日本ピラミッドは紀元前10000年より前の築造物で、世界中のピラミッドの祖型であり、その役割は古代天皇の墓(註2)であると同時に「神人交通の神秘機関」であり「天地人一体」の救世主の象徴であるとしていました。そう主張できる具体的な論理・根拠はほとんど明かされていないので検討の余地はありませんが、とりあえず上の(1)~(4)に関してはいやに具体的なので検討の余地があります。
さらに、研究史で触れた環太平洋学会も、酒井の定めた日本ピラミッドの条件には色々問題があるとして、改めて定義を再整理しています。
(1)山容が四角錐・円錐など三角形状をしていること。それは、自然山でも人工造山でも構わない。
(2)山頂部が祭祀場になっており、それに通じる参道があること。
(3)山の周辺にも祭祀場があり、その山と一体となっていること。
(4)エジプトのピラミッド群などと区別して、環太平洋型ピラミッドと呼称する。
(2)山頂部が祭祀場になっており、それに通じる参道があること。
(3)山の周辺にも祭祀場があり、その山と一体となっていること。
(4)エジプトのピラミッド群などと区別して、環太平洋型ピラミッドと呼称する。
酒井定義の(1)と環太平洋学会定義の(1)からも分かる通り、「日本ピラミッド」は、エジプトのピラミッドのようなものを連想してはいけないようです。人工に作ったものじゃなくて、自然の「山」でも良いんですから。
そして酒井・学会の(2)は、山の頂上に祀り場があるのが条件という点で共通。酒井・学会の(3)は、山の周辺に「拝殿」的役割を担う祭祀場があるという条件で共通。
酒井の(4)については、なんと平地上に設けられた祭祀場を「平面ピラミッド」と呼んでいます。平べったいのだからそれは単なる祭祀場であって、もはやピラミッドじゃないと思うのですが・・・。
学会の(4)は、つまるところ日本ピラミッドじゃなくて、もっと広範囲の環太平洋地域に散在するピラミッド状構造物を総称して、環太平洋型ピラミッドと呼ぼうとするものであります。しかしこの呼び名は流行らず、どうやら今の状況では日本ピラミッドのほうが定着している模様。
以上の定義を綜合すると、「とある山」が日本ピラミッドと呼ばれるための条件は、下記のようなところです。
・構造については、基本的に自然山であること。山肌の改変の是非は問わない。山の形は、三角形状の山容をしていること。「ピラミッド」と呼称されるゆえん。そして酒井・学会の(2)は、山の頂上に祀り場があるのが条件という点で共通。酒井・学会の(3)は、山の周辺に「拝殿」的役割を担う祭祀場があるという条件で共通。
酒井の(4)については、なんと平地上に設けられた祭祀場を「平面ピラミッド」と呼んでいます。平べったいのだからそれは単なる祭祀場であって、もはやピラミッドじゃないと思うのですが・・・。
学会の(4)は、つまるところ日本ピラミッドじゃなくて、もっと広範囲の環太平洋地域に散在するピラミッド状構造物を総称して、環太平洋型ピラミッドと呼ぼうとするものであります。しかしこの呼び名は流行らず、どうやら今の状況では日本ピラミッドのほうが定着している模様。
以上の定義を綜合すると、「とある山」が日本ピラミッドと呼ばれるための条件は、下記のようなところです。
・山の頂上や山の周辺に祭祀場(祭祀遺構)があること。それは岩石遺構であることがほとんどだが、必ずしも絶対ではない様子。
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《註》
1:酒井は、日本ピラミッドの頂上に必ずあるという「太陽石」を取り巻く配石構造について、独特な定義を付けています。
太陽石は球形であり、それを円形・方形に取り巻く列石の種類は4タイプであると述べるのです。
すなわち「単葉内宮式」「単葉外宮式」「複葉内宮式」「複葉外宮式」の4タイプに分類されるといいますが、ここでもやはりそう分けられるのだという根拠については触れられていません。
2:日本ピラミッドを古代天皇の墓とする説は、酒井は唱えていないとのことです。竹内文献にピラミッド御神体石が登場して以降の説だそうです。
3:靄森山(秋田県)・姫神山(岩手県)・鎌倉岳(福島県)・堅破山(茨城県)・加波山(茨城県)・筑波山(茨城県)・米神山(大分県)・金峰山(熊本県)、さらには剣山・乗鞍岳・富士山なども人によっては日本ピラミッドと呼んでいます。4:宮ノ平遺跡として遺跡登録されています。
5:環太平洋学会によると、黒又山周辺にある神社群は、黒又山の東西南北線上に密集して並んでいるといいます。
さらに厳密に言うと、その南北線は正確な南北から左側に5度傾いているそうです。
現在と昔では北極星の位置が異なっているという事実から、北極星が5度左偏していた年代を計算したところ、紀元前2011年(縄文時代後期)ならば黒又山の南北線が正確に一致するという結果が出ました。このことから、黒又山は縄文時代後期の築成だとする根拠としています。
でも、神社の創建時期と黒又山の整形時期は全然違うはずだから、違う時期の構造物を同一ラインで無批判的に取り扱うのはどうかと思うのですが。1つ1つの神社の創建時期を調査し、創建前からその土地が祭祀場として機能していたことを立証する作業が必要な気がします。
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(まとめ)
・5°というのは偏角のことですね。現在の偏角は8°10′です。
・それに動く北極星でなく、太陽の真北を見るべきだそうです。(「円暦」のソモタニ様)
・酒井勝軍さんの「太陽石」を取り巻く配石遺構は興味がわきますね。図では、太陽石を取り巻く石の数が10個や12個となっています。
でも違うのではないかと思いますが・・・ヤタの原理でも、曼荼羅でも8つですから、8ではないのでしょうか。これからですね。
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