2010年11月7日日曜日

03033■東北支配の拡大(蝦夷征討)










 日本史授業の拾遺より
 東北支配の拡大(蝦夷征討)…9世紀前半には平定
  A.伊治呰麻呂の反乱(780)…伊治城、多賀城を攻略 → 征討の必要性
   ※伊治呰麻呂…蝦夷出身、朝廷に帰順→反乱
  B.桓武朝の蝦夷征討
第1回788紀古佐美、征東大使に任命
789紀古佐美、兵力5.3万とともに派遣 →多賀城の北で敗北、失敗
第2回791大伴弟麻呂、征東大使に任命
794大伴弟麻呂を派遣(兵力10万)、坂上田村麻呂が副使 →戦勝、以後数年間は平穏
第3回797坂上田村麻呂、征夷大将軍に任命(初の征夷大将軍)
801坂上田村麻呂、兵力4万とともに派遣
802胆沢の地を確保 → 胆沢城を築造、鎮守府を設置(遠征の成功)
803志波城の築造
第4回804蝦夷征討計画は中止(藤原緒継の意見)
  C.嵯峨朝の蝦夷征討
    811 文室綿麻呂(征夷大将軍)の派遣
        このあとも小規模の反乱は起こるが、9世紀後半には蝦夷は朝廷の支配下に入る
 ■大和朝廷による蝦夷平定のまとめ
大和朝廷による蝦夷平定のまとめ
第1期斉明朝頃(斉明天皇・中大兄皇子)
渟足柵(647)・磐舟柵(648)の設置
阿倍比羅夫の蝦夷征討
第2期奈良時代
出羽国の設置(713)
多賀城の設置(724):政庁+鎮守府
第3期平安時代初期(桓武天皇[嵯峨])
坂上田村麻呂(征夷大将軍)の征討
伊沢城(802)・志波城(803)の設置
桓武自身による征討中止
文室綿麻呂の征討

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