日本史授業の拾遺より
東北支配の拡大(蝦夷征討)…9世紀前半には平定
A.伊治呰麻呂の反乱(780)…伊治城、多賀城を攻略 → 征討の必要性
※伊治呰麻呂…蝦夷出身、朝廷に帰順→反乱
B.桓武朝の蝦夷征討
C.嵯峨朝の蝦夷征討
第1回 788 紀古佐美、征東大使に任命 789 紀古佐美、兵力5.3万とともに派遣 →多賀城の北で敗北、失敗 第2回 791 大伴弟麻呂、征東大使に任命 794 大伴弟麻呂を派遣(兵力10万)、坂上田村麻呂が副使 →戦勝、以後数年間は平穏 第3回 797 坂上田村麻呂、征夷大将軍に任命(初の征夷大将軍) 801 坂上田村麻呂、兵力4万とともに派遣 802 胆沢の地を確保 → 胆沢城を築造、鎮守府を設置(遠征の成功) 803 志波城の築造 第4回 804 蝦夷征討計画は中止(藤原緒継の意見)
811 文室綿麻呂(征夷大将軍)の派遣
このあとも小規模の反乱は起こるが、9世紀後半には蝦夷は朝廷の支配下に入る
■大和朝廷による蝦夷平定のまとめ
第1期 斉明朝頃(斉明天皇・中大兄皇子) 渟足柵(647)・磐舟柵(648)の設置 阿倍比羅夫の蝦夷征討 第2期 奈良時代 出羽国の設置(713) 多賀城の設置(724):政庁+鎮守府 第3期 平安時代初期(桓武天皇[嵯峨]) 坂上田村麻呂(征夷大将軍)の征討 伊沢城(802)・志波城(803)の設置 桓武自身による征討中止 文室綿麻呂の征討
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