【引用】
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-4-1.htm
1 日高見国の鬼『大竹丸』
大竹丸の記述をする前に、先に申し上げておくが、筆者は膨大に史料に目を通した結果、大竹丸は安倍氏だと確信している。詳細は別称で述べるが、蝦夷で有名なのは「アテルイ」唯一人と言ってもいいほど、他には名前が知られていない。「前九年の役」の安倍頼良も蝦夷だとされるが、実際はそうではない。
2,ネブタと大丈丸
ネブタ祭と大丈丸
ネブタ(侫武多・倭武多)祭りでは、大丈丸が登場するが、同一人物である。
各地に「ネブタ祭」があり、ネブタの語源は一般に「眠た」が語源とされるが、ネブタ祭りには「ネブタ流れろ」「まめの葉残れ」という囃子(ハヤシ)がある。ネブタとは「賊・土着人」で、まめの葉とは「忠義な味方」だとする説が有力である。
3,,侫武多(ネブタ)の由来』
昔、陸奥きっての悪者の頭であった大丈丸は、遠くは駿河の国から伊勢の国までやってきて、都に上る人々に悪事を働いていた。
そこで武勇の名高い坂上田村麻呂を征夷大将軍として、大丈丸を討伐することになった。田村麻呂に撃破された大丈丸は陸奥に逃げ込み、平内山(浅虫温泉)の砦に隠れた。この砦は海中に突き出て、三方は海だったので田村麻呂も容易に攻撃できなかった。
そこで、部下の一人が「里の人々に太鼓や鉦を打ち鳴らさせれば、悪者の大丈丸とて賑やかな祭りだと思い、物珍しさに気を許すはずです」と言上した。
早速、紙を張って魚や鳥などの形をつくり、たくさんの山車(だし)の上に載せ、その内部に大勢の兵を隠した。張子のなかに火を灯し、太鼓や笛の音を響かせて、砦へ近づいていくと、案の定、大丈丸は砦から出て、華やかな祭り行列にみとれていた。突如、兵士らが紙を破って躍り出ると、不意をつかれた大丈丸には応戦する暇もなく戦いに敗れた。
こうして田村麻呂は大丈丸を征伐して都へ帰っていった。
4,『ネブタはトロイの木馬』
大丈丸をイリアス軍、田村麻呂をギリシャ軍に置き換えれば、ネブタはギリシャ神話の「トロイエ戦争」に登場する『トロイの木馬』の日本版だといえる。
従って、『田村麻呂の張子祭り』と呼ぶほうがリアルだと思われる。
大竹丸(ネブタ)討伐を祝う祭りであれば、征服された人々が侵略者の勝利を祝うという悲惨な祭りだといえるが、江戸時代の藩主が景気づけに考案した祭りだとのことなので、深い意味はなさそうだ。
大丈丸には『大嶽丸伝説』があり、こちらでは青森県の霧山(場所不明)に城を築いたとしており、ネブタと青森県の関係が分かりやすい。
できれば、近い将来、鬼首地区で大竹丸の鎮魂祭としての『ネブタ祭り』をしてもらいたいものである。
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田村麻呂をどう見るかですね、
田村麻呂を東北を救った「神」であったという見方をすれば、殿様のいうとおりです。
こちら
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田村麻呂を東北を救った「神」であったという見方をすれば、殿様のいうとおりです。
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