2009年9月14日月曜日

■ブログ資料をブレッシュアップしてます

東北縄文文化研究会のブログは、
今までは、一次資料として参考となるものを分類して
引用しただけの資料を掲載していました。

現在、一次資料を見直し、資料の肉付けや、
資料毎の最後に(まとめ)として、私の意見をのせて
ブレッシュアップしている最中です。
既存の資料(ページ)がほとんど変更されております。
改めてご覧いただければ幸いです。

結構まとまり、おもしろい資料となってきました。
(自分で言うのも何ですが)

たとえば、「歌枕のケフの狭布」と「歌枕の錦木塚」、「歌枕の東北の歴史」など
形ができてきました。

今後、驚くような仮説ができそうです。
かなりの部分が「ホツマ」をバックボーンにしていますから、
仮説にもならないと思う人が多いでしょうが、

いつの日にか、日本人のために役立つものと確信して
楽しんでおります。

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2009年9月13日日曜日

01319■錦木を詠んだ和歌



歌枕「錦木」を詠んだ歌をのせます。

    (貼り付け)




後拾遺
錦木はたてなからこそ朽にけれ けふの細布むねあはしとや
能因法師

錦木は立なからこそ朽にけれ けふの細布胸合じとや

詞花集
おもひかねけふたてそむる錦木の ちつかもまたてあふよしもかな
大倉卿匡房

いたつらにちつか朽にし錦木を 猶こりすまに思ひたつかな
藤原永實

千載集
錦木の千束にかきりなかりせは 猶こりすまにたてまし物を
賀茂重保

堀河院百首
いはねとも思ひそめてき錦木の はひさす色に出やしなまし
藤原仲實

錦木の千束の数は立てしを なと逢事のいまたたくなる
藤原顕仲

六百番歌合
錦木にかきそへてこそ言の葉も 思ひそめつる色もみゆらん
藤原顕昭

錦木の千束の数もけふミちて けふの細布胸や逢ふへき
俊成卿

千五百番歌合
たてそめてあふ日をまちし錦木の あまりつれなき人心かな
小侍従

新後撰
人しれぬ心にたてつるにしききの 朽ぬる色や袖にみゆらん
前大納言隆房

うき名をや猶たてそへん錦木の 千束にあまる人のつらさに
花山院内大臣

袖中抄
思ひかねけふ立初る錦木の 千束にたらで逢よしも哉
大江匡房









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(まとめ)

・歌枕はすべて「錦木」ですね。
・「錦木塚」はありませんね。

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01318■錦木とニシキギ










錦木とは大変不思議な木として説明されてきましたが、ここでは「ニシキギ」との関係を調べます。


(貼り付け)


学名:Euonymus alatus

別名:ヤハズニシキギ(矢筈錦木)
花期:春

紅葉がきれいです。実は二つづつつきます。また,枝にはコルク質の翼が付くので,これをみるだけでニシキギであることがわかります。










このコルク質の翼が最も特徴です。













































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(まとめ)

われわれ秋田の人々はこの「ニシキギ」を「錦木」だと思い込んでおります。
・錦木塚のある錦木公園(平成8年頃完成)の垣根には、このニシキギが用いられています。
・5種類の木(ニガ木、大山桜、・・・・など)が「錦木」だとは誰も信じていません。
・まして1mほどの木が「錦木」などとは、とんでもありません。

・「錦木」が「ニシキギ」ではないとすれば、「錦木」とは本当に「木」なのでしょうか。
 「木」以外のことを考えてもいいのではないでしょうか。

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2009年9月12日土曜日

04055■神々の系図

日本の古史古伝を読むために神々の系図が必要となり、主要な神々の系図をつくりました。(平田篤胤の「古道大意」など読むときに役立ちます)

神々の系図(概略)・・・・(古事記を中心にまとめたものです)

アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)・・・この宇宙を造った神

タカミムスビノカミ  カミムスビノカミ

 (高御産巣日神) (神産巣日神)

 

アメノトコタチノカミ ウマシアシカガヒコノカミ

(1)    

クニノトコタチノカミ(国之常立神)

(2) ↓

トヨクニヌシノカミ

(3) ↓

ウエジニノカミ スヒジニノカミ

(4) ↓

ツヌグイノカミ イグヒノカミ

(5) ↓

オオトノジノカミ オオトノベノカミ

(6) ↓

オモダルノカミ アヤカシコネノカミ

(7) ↓

 イザナギノカミ  イザナミノカミ

     ↓       ↓

アマテラスオオカミ ツキヨミ スサノオノカミ

 (天照大御神)

     ↓               ↓

オシホミミノミコト       オオクニヌシノカミ

 ↓        

                  ↓

ニニギノミコト         コトシロヌシノカミ

     

    ↓                       

ホホデミノミコト

     ↓        

 ウガヤフキアエズノカミ 

     ↓

カムヤマトイワレビコ

(神武天皇)




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03022■日高見と多賀城



















多賀城を中心とした項目を設けます。
ホツマ古代地図より、ヒタカミとはどこなのか、ホツマとはどこか、

地上の高天原とはどこかがわかります。
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鳥居礼著「言霊ーホツマ」より(p278~)
(貼り付け)

1、ホツマ古代地図




古代東北は
津軽と
日高見(ヒタカミ)
勿来の関より北

ホツマは関東










ホツマ原文 2アヤ

常世神     木の実東に
植えて生む  葉木国の神
日高見や   高天に祀る
御中主尊(みなかぬし)
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「常世神」とは、国常立尊(クニトコタチ)のことです。「常世の道」を広められたのでこう呼ばれます。 
その中心地を常世国といいます。


2、天上の高天原と地上の高天原


アメミオヤ神と四十八神が、高天原に還られて鎮座する宮を精奇城(サゴクシロ)といい。それと同時に、地上で神を祀る所を高天原という。「ミカサフミ」にあります。

地上に四十九の言霊神を祀り、天上の高天原に鎮座する四十九の神と霊的なつながりをもつ。(ホツマ)






この地に天上の神を祀り高天原と称した。
五代タカミムスビのトヨケが四十九神を斎き祀られたことがわかります。


3、日高見の中心は多賀
 他の原文を厳密に検討していくと、地上の高天原がある日高見地方が、福島県の勿来以北の東北地方であることがわかります。
「日本古典文学大系」の「日本書記」でも、この日高見を宮城県の北上川下流域と推定している。「ヒタカミ」が「キタカミ」に訛ったものと考えられている。
「ホツマ」から、この日高見の高天原は司法、行政の中枢機関であったことがわかります。


4、オシホミミ朝から多賀が中心
オシホミミ朝からは仙台の多賀が中心となります。
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イザナギ・イザナミ・・・・・アマテラス・・・・オシホミミ・・・ニニギ・・・

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(まとめ)
・天照大神の子のオシホミミ時代からが仙台の多賀が中心都市です。
・そうすれば、天照大神時代の「常世の国」はまだ探し出す余地は残っているのですね。
・「常世の国」を探し出すことが「東北縄文文化研究会」の最大の目標です。

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2009年9月8日火曜日

04012■ホツマツタエは信頼できるか



わたしのブログにはたくさんの「ホツマツタエ」からの引用があります。この「ホツマ」は果たして信頼が置ける資料なのでしょうか、確認します。


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ホツマツタエが本物かどうか、どの程度のものかは、「古事記」「日本書紀」と比較することです。


ホツマ研究の第一歩は、三書の一字一句を厳密に比較していくことにはじまる。
内容的には、
①おおよそ三書に共通して書かれている部分
②「ホツマツタエ」にはあるが、他の二書にはない部分
③二書にはあるが、「ホツマツタエ」にはない部分
に分けることができる。
また三書に共通している部分でも、「ホツマツタエ」が、
より古い記事を残していると思われるところが多くある。


2、比較での内容の正確さ
三書比較での内容の正確さは
一位:「ホツマツタエ
二位:「日本書紀
三位:「古事記
野」順であることが理解されるのである。

3、古事記は本居宣長が
現在は「古事記」が一般に重視されているが、じつは「古事記」が注目を浴びるようになったのは、江戸時代に国学者の本居宣長が「古事記伝」(1798)を著してからなのだ。奈良時代から江戸時代が終わるまでは、国史としての「日本書記」が、もっとも重要な書物だった。「古事記」は雑書だったのである。

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 そして、ホツマ、記、紀三書を比較していくと、「ホツマ」が原記紀のさらに大もとの文献であったことが充分考えられるのです。
なぜかといえば、内容を厳密に検討していくと、記紀などからいろいろな説話を選び出し、「ホツマ」を偽作することは、とうてい考えられないことが分かります。逆に、「ホツマ」の重要部分を捨てた形で、記紀がつくられていったことが十分考えられるわけです。
・・・しかし、なぜ日本の重要な伝承を捨ててしまったのでしょうか・・・・
 ある政治家が実験を私曲化して奪おうとするためには、それまでの体制を支えてきた伝統的文化、特に国の重要な文献を改ざんしてしまうことがどうしても必要となってきます。西洋では他民族が侵略するときは、必ずその国の美術品を破壊しますね。日本では美術品を破壊することはしなかったのですが、それに近い形で、漢字を入れたり、仏教を入れたり、文献を改ざんしたりしたんですね。

・・・そこで、記紀から読み取ることができない、日本文化の本質部分を明らかにするのが「ホツマ」研究であるのですね・・・

 そのとおりです。日本文化の骨組みを明らかにするという目的を持っています。最近「ホツマ」に関心が高まってきたのは、現在人々が日本の心とでもいうべきものが「ホツマ」の中にたくさん書かれているからなんです。

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(まとめ)

・ホツマツタエが信頼のおける文献だということが納得できます。


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2009年9月6日日曜日

02007■遮光器土偶

遮光器土偶の夢を見ました。クロマンタにも関連がありそうなので、基本を押さえておきます。


(貼り付け)

是川遺跡に近い亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)縄文晩期(1,000~400年前)のものである。この遺跡を初め東北地方で出土する遮光器土偶は教科書にも載っており、知らない人はない超有名なものである。

Photo しかし、これは何であるのかについては結論が出ていない。まず、殆どが女性像であることから、母性を意識し、豊穣な動植物の繁殖を願ったものとも言われる。又、出土品で完全なものは殆どなく、腕や足が欠けているが、病気や怪我の身代わり人形だったの説もある。
 特に遮光器土偶はその奇抜なフォルムから
宇宙人を模したものといわれる様に、地球上には存在しないもので、何を根拠にしたのか不思議である。

 又驚異なのは、非常に薄いものを硬く焼き上げているその技術である。一緒に出土した土器類も小さな文様や精密な細工、薄くて硬いことから、当初鉄製品と間違われたという。現在のハイテクセラミックにさえ比される

 殆ど実用といえない祭祀用小型土器ばかり出土していることから、亀ヶ岡が神々を祭る神聖な場所であったろうと推定されている。そして、実生活と無関係の物にこれほど高度な技術を注ぎ込むほど余裕のある豊かな社会が築かれていたことは間違いない。



2、岡田康博さんの「縄文悠々学」からです

その名前の由来ですが、そもそも遮光器とはイヌイットなどの極北で狩猟をする人達が、冬の間、雪に太陽の光が反射して眼を痛めないように、スリット(幅の狭い溝)が入っためがねを使用しますが、このめがねのことを指します。明治時代にイギリスへ留学した当時の東京帝国大学教授坪井正五郎が大英博物館に展示されていた遮光器を見て、日本の土偶の眼はこの遮光器を付けているとの指摘から、眼の大きい土偶は遮光器土偶と呼ばれるようになりました。現在では、遮光器を付けていると考える研究者は少ないようです。通常、縄文時代晩期に造られた、眼の大きい土偶は遮光器土偶と呼ばれています。土偶は土で造られた人形のことです。

日本の縄文文化の特徴のひとつに土偶があります。大陸にも土で造られた人形はありますが、あまり多くはありません。土偶は乳房や妊娠した状態を示していると考えられるお腹の大きなものがあり、また、明らかに男性と思われるものが見つかっていないことなどから女性を表していると考えられます。何のために造られたのか、その目的にはいろいろな説があります。安産や子孫の繁栄を祈念する際に使われたまつりの道具説、あるいは病気やけがをした同じ部位を壊すことによって痛みや苦痛を取り去るための身代わり説、そして地母神説、などの魅力的な説がありますが、決定的なものはないようです。




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