このブログは「壁を突き抜ける生き方」をする人だけが共鳴できるものです。 北東北の不思議な地域、クロマンタ、大湯ストーンサークルを中心とする縄文文化の真実を探究する研究会です。 ■右側のラベル分類からもお入りください。 ◆スライドショーはクロマンタのゼロ磁場調査の様子!!
2009年7月30日木曜日
01317■世阿弥は錦木を見たのか
2009年7月26日日曜日
■運命の石・スコットランド
スクーンの石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スクーンの石 (Stone of Scone)。代々のスコットランド王が、この石の上で戴冠式をあげた。運命の石 (Stone of Destiny) とも呼ばれる。聖地パレスチナにあって聖ヤコブが頭に乗せたという伝承がある。
運命の石は、500年ごろ、スコット人ファーガス・モー・マク・エルクによってアイルランドから持ち込まれた。ファーガスはキンタイア半島付近に上陸し、ダルリアダ王国を建国。ファーガス2世となった。
846年にケネス1世がオールバ王国の王を兼ねるようになると、運命の石もダルリアダ王国の首都ダンスタフニッジより新首都スクーン(現在のパース)に移された。これより、スクーンの石と呼ばれるようになる。
スクーンの石は、1296年にエドワード1世によってイングランドに奪い去られ、木製の戴冠いすにはめ込まれウェストミンスター寺院に置かれることになった。その後、代々のイングランド王の戴冠式に用いられた。
スクーンの石がイングランドに奪われたことは、スコットランドの人々にとってはイングランドへの敵対意識を高めることになった。
1996年、トニー・ブレア政権によりスクーンの石は700年ぶりにスコットランドに返還された。現在は、エディンバラ城に保管されている。
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もっと詳しくは、hatena..brtishstudiesさんからです
しかしこの「運命の石」とは、いったいなんだろうか。史料をさかのぼっても、その起源は実に曖昧なものであるようだ。
この「石」に関すると思われる記述が登場するのは、1370年代に書かれたフォーダンの『スコットランド人の年代記』における、1249年の即位式についての記述であるという。
いかなる王も、まず最初にスクーンにあるこの石の上に着座して王と呼ばれなければ、スコットランドを統治することはけっしてできない。
これは「運命の石」についての最初の歴史記述ではあるが、具体的な固有名詞として「運命の石」や、「スクーンの石」といった表記は出てこない。それは単に「石」や「王座」と呼ばれているだけである。だから、それが、現在の「運命の石」かどうかはわからないのだが、少なくとも現代の「石」の正統性を、こうした歴史が裏付けていることは事実だ。
「運命の石」という名づけの起源と考えられるのが、1304年から6年のあたりに記述されたと思われる歴史書で、その著者は不明である。そこには、スコットランドの出自神話として、以下のような予言が書かれている。「アイルランドに向かうシモンに対して、スペイン人の王である父ミロは、ゲール=グラスがエジプトから運んできた「この平らな石」をシモンに与え、「この石が置かれたところを、おまえの子孫が支配するであろう」。石はエジプトから運ばれてきたのだ!w
もちろんこれは、「天照大神が~」といった類の、神話にすぎないが、この部分が後代の歴史書によって繰り返し引用、復唱されることによって、「運命の石」という名づけが、いつのまにか出来上がっていた、らしい。先ほどのフォーダンの『スコットランド人の年代記』における、上の場面の記述は簡潔である。
運命が欺かないなら、この石が置かれている、その土地をスコットが支配するであろう。
このように、「運命の石」と呼ぶべきかどうかはわからないが、何らかの石がスコットランド王の即位式に用いられていたことは事実らしい。しかもその石は当時から「神話」を纏い、スコットランドという国家の独立性を担保するものであったようだ。
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(まとめ)
・壺の石碑を調べている途中ですので、「運命の石」が気になりました。スコットランドのことですが、どうでしょうか。
・ホツマではイナナギ・イザナミのことがアダムとイブと同じだとでていますので、こちらもどうかと思ったわけです。
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2009年7月19日日曜日
01210■ストーンヘンジの「五芒星設計」と大湯環状列石(1)
2008年02月12日
147.ハリーポッターの原典
★五芒星は現文明の黎明期まで遡ります★
★ハリーポッターを産んだ魔法使いの国・イングランドはソールズベリーにたたずむ世界遺産「ストーンヘンジ」。
★この遺跡は数々の研究者がその謎の解明に取り組んできましたが、未だ多くの不思議に満ち満ちているそうです。※私がこの遺跡と向き合ったのは、ここ数日間。
★詳しくはリンク先を読んでいただき、それから図Ⅰ・図Ⅱをご覧ください。
★遺跡をよく観察すると、円形広場の隅に4個の基石(キーストーン)と思われる石〔A・B・C・D〕があり、線分ABと線分CDはストーンサークルの中心点で交わります(45度)。
★さて線分ABを直径とする円を描き(Cもこの円に乗る)、この円に内接しAを頂点とする五芒星を描くと、図中・緑色五芒星が得られます。そしてこの五芒星の内包五角形に外接する円を描くと、中央ストーンサークルの外周と一致します(とにかく図を見てください)。
★同様に線分CDから桃色五芒星が得られ、ズレは9度で全周の1/40です。
★そして東北の「参道」にご注目ください。夏至の日の出を指すといわれるヒールストーンに向う参道幅と両五芒星から延びる中軸線が一致します。
★これよりストーンヘンジは、五芒星が創る外・内円と、9度を1単位とする40分度器により設計されていそうです。
★この遺跡は「魔術師マーリンが造った」との伝説があるそうですが、その通りの「星型魔方陣」ですね。
★私の分析はこれまで。あとは皆さんがこの五芒星から謎を解いてみてください。
011054■大円寺略伝記
定朝は平安時代の有名な匠(たくみ)で、仏師「康尚」(こうしょう)の子です。頼通の父、藤原道長が「法成寺」を建てた時、彼は総ての像の制作を担当、その功により「法橋」(ほっきょう・僧の位)が授けられています。
更に、興福寺再興では「法眼」(ほうがん)の位を授かりました。しかし、残念ながら、彼の造った作品のうち、現存するものは平等院の鳳凰堂の本尊、「阿弥陀如来仏」だけだそうです。
少し伏目に優しく私達を見下ろしてくれる。鋭さや仏教の厳しさは全く感じさせない。これは、この時代(平安時代)の極楽往生を願う人々の要求にぴったりの仏像であったに違いありません。
これ以降、平安末期の仏像は「定朝型式」の影響を受けたものが多いと、美術家は力説する。台座、後背、天蓋も彼独特の創意がみられ、その以降の、平安美術に大きな影響を与えたそうです。将に、非凡なる匠「定朝」でした。
011053■大円寺以前の観音道場
大円寺は1643年に現在地に移ってきたものです。
011052■大円寺の大仏さん
大円寺の大仏さんが完成しました。
2009年7月18日土曜日
011051■大円寺の門杉
大円寺護持会が設置した立派な案内板によれば、開創は大永2年(1522)、開山は山形県東村山郡黒滝村の向川寺9世春林禅冬大和尚(私注:現在、該当する地名なし。山形県北村山郡大石田町横山字黒滝の向川寺を指していると思われる)。その後、寺地を幾度か変えて、現在地に移ったのは寛永20年(1643)のこと。
大円寺が移ってくる前、ここは観音信仰の道場だったらしい。大杉は、既に移転前から立っていたのだろう。(2000年はちょっとオーバーな気がするが)
富山県ではしばしば「門杉」の名を耳にするが、その名が秋田県でも使われることは知らなかった。(私が住む新潟県ではまったく耳にしない) 門杉というからには、一対のスギのはずである。案内板には、もう1本の方は江戸時代中期の大洪水で流失したとある。
事実だとすれば、現在の参道のスギは、その後に植えられたものと考えられる。このスギだけが杉並木の列から少しだけはずれていることも頷ける。
訪れたのは8月初旬。西日本では猛暑だったようだが、鹿角市は雨模様。まだ本格的な夏の暑さの前である。ちょっと季節は合わないが、浅井小魚の「秋立つや大樹の梢おのずから」の句碑が大杉の偉容を讃えていた。
県天然記念物であり、これだけの大杉でありながら、環境庁調査から洩れてしまったのが不思議である。
名称 大円寺門杉 (だいえんじもんすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 42m(注2)
目通り幹囲 9m(注2)
推定樹齢 2000年(注2)
所在地の地名 秋田県鹿角市十和田大湯字大湯
〃 3次メッシュコード 6040-36-46
〃 緯度・経度 北緯40度17分26秒
東経140度49分54秒
秋田県指定天然記念物(1955年1月24日指定)
撮影年月日 2007年8月7日
注1)大杉を所有する大円寺が設置
注2)上記案内板による
01209■縄文北極星(ペンタさん)
古代ペンタクロス文化さんからです。
★この唐の直前、隋に使者を送った「天多利思北孤:アメノタリシホコ」(聖徳太子?)は、「以天為兄、以日為弟」の後に「私は夜だけ仕事をして、昼間は弟に委ねる」(図)としています。名前からしても北極星ですね。
★縄文北極星は、大国主命にとって「繁栄を導く星」だったことでしょう。☆出雲大社は(多分)これを拝します。
2009年7月16日木曜日
01208■大湯温泉が塩の源(ペンタさん)
★主な縄文集落の分布を見ると、その地理特徴からおよそ次の二つに別けられます。
①「縄文海岸線」に沿った入江地域
②「火山・温泉地帯」の山麓地域
★中でも際立った「文明」を徴した所で前者では石川・真脇遺跡や青森・三内丸山遺跡、後者では長野・尖石遺跡や当ブログ紹介の秋田・大湯遺跡があげられます。
★さて人間が生きてゆくために欠かせないのが水と塩です。日本
★ここでもう一度「大湯村」の構造を観察してみましょう(ⅠⅡ図参照)。大湯村は十和田湖外輪山の南麓にある名前どおりの温泉地帯です。源泉は万座から黒又山(クロマンタ)を挟んでちょうど反対側にあり、村の隠し湯のようです。両地帯をつなぐのは大湯川。万座の川岸には「集宮」という、神様が集まったとされるところがあります。そしてこの温泉は「食塩泉(ナトリウム塩化物泉)です(岩塩が雨で溶けたものか?)。
★さてこの日本列島にはこの食塩泉が最も多く分布しており、中には海水の3倍もの塩分を含む温泉(月山)もあるそうで、「塩」の文字を使った温泉地も多々見受けられます(鹿塩、塩原、塩沢などなど)。
★推理です。縄文人はこの食塩泉を製塩原料として活用したのでは。海水を超える濃度なら沿岸部よりはるかに効率的な製塩が可能です(中には析出塩の直接利用もあったかも)。このように縄文の火山麓地帯では、豊富な食料・森林・鉱産資源や良水に加えて「濃塩水」が確保できます。ここに「縄文文明都市」ともいうべき集落が出現しても決しておかしくはありません。縄文土器の夥しい出土がそれを物語っています(単に食物の煮炊きだけではないでしょう)。※注口土器は「濃塩スープ」用か?※湧き出す熱水から塩が析出される状況の観察で、「製塩」のヒントが得られるでしょう。
★大湯に戻ります。今までの分析からは「非常に高度な生活文化」を持っていたようです(※当ブログ「縄文時代」参照)。この大湯を支えたが、クロマンタの背後に隠された一大製塩地だったのでは。「塩」は温泉入口の「大円寺」(二千年杉で有名)付近から大湯川を使って集宮まで運ばれ、ここが縄文・鹿角の中心地として栄えたのでは。
大湯遺跡は「世界文化研究遺産」として早急に保護すべきです
★「火山地帯と縄文」といえばもうひとつ「黒曜石」があります。この石は「天然のナイフ」ともいうべき利器で、この時代の交易品として列島全体に流通していました(有名な所では和田峠(※尖石遺跡)や神津島)。これが日本最高級の強食塩泉を誇る月山にも見られます。「塩鉄論」ではありませんが、「塩と黒曜石」が入手できればまさに「鬼に金棒」。縄文都市形成の原動力になったのでは。
※月山などは温泉水を使った製塩で「縄文塩」として売り出してみては?
「塩化物泉」の特徴 |
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海水の成分に似た食塩を含み、塩辛く無色透明の湯です。
以前は塩化物泉が日本で一番多い泉質だったのですが、掘削技術の進んだ現在は次々と温泉が誕生し、単純温泉が一番多い泉質となってしまいました。
塩化物泉は高齢者向きでよくあたたまります。
入浴することにより、皮膚に塩分が付着し、汗の蒸発を防ぐため、保温効果がよく、湯冷めしにくい事から「熱の湯」といわれるのです。
神経痛、慢性リューマチ、冷え症等の症状に効果があるます。
また、飲用することにより、胃腸の消化液分泌及び運動を促進し、胃腸病や慢性便秘にも効果があります。
ただし、食塩制限のある疾患、高血圧、心臓病、腎臓病、浮腫(ふしゅ)のある時等は控えた方が良いでしょう。
「塩化物泉」の特徴を一言でいうと |
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「温まりの湯」(湯冷めしにくい)
「傷の湯」(塩分の殺菌効果)
「塩化物泉」の浴用の効能 |
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血液の循環を促進させ殺菌力が強くて痛みをやわらげる鎮静効果があります。
切り傷、火傷、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病、消化器、便秘、筋・関節痛、打撲、捻挫、冷え性、月経障害、不妊症、病後回復などに効能があります。
「塩化物泉」の飲用の効能 |
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胃液の分泌を促すので、胃酸欠乏症、慢性消化器病、慢性便秘、慢性胃カタルなどに効果があります。
「塩化物泉」の禁忌症 |
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飲用禁忌→循環器疾患(ナトリウムが体内に水分の貯留をきたすため)高血圧症、腎臓病、心臓病、むくみのあるときは、飲泉は控えましょう。
「塩化物泉」の注意事項 |
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アレルギー体質で皮膚の弱い人、虚弱体質で皮膚の抵抗力の衰えている人は、湯ただれを起こすことがあるので、高温浴や長時間湯船に浸かることを避けましょう。
また、強食塩泉の場合、湯あたりの恐れがあります。
さらに、強食塩泉の飲用は害になるので避けるか、薄めて飲みましょう。
泉質別効能早見表 |
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泉質別効能早見表
泉質・効能別全国温泉地リンク集 |
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