2009年9月20日日曜日

04056■アマテル神の岩戸隠れは日高見の国!

天の岩戸の場所について、大変重要な発見をしました。


(部分)
「ハナコが神去りました」と泣きわめく姫達の悲痛な声を聞きつけ馳せ参じたアマテル神もついに語気を荒げてソサノオをしかりつけました。
 「お前は国を乗っ取ろうとする汚い奴だ」
 「天成る道を教えるこの歌を学んで良く反省せよ」と言って歌をお与えになりました。

 天(あめ)が下 やわして巡る日月(ひつき)こそ
 晴れて明るき 民(たみ)の両親(たら)なり

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ソサノオはこの頃はまだ不幸にして、たとえ過失だったにしろハナコ殺人の罪を自覚できず、益々凶暴になり剣を抜いて振り回し、岩を蹴散らしてもなお怒りが納まらずついにアマテル神に向かって来ました。
 「おれが汚く国望(くにのぞ)むだと。いったい何を根拠に因縁をつけるんだ。ハッキリ言え。偉そうな歌なんぞ知らん。さあ出会え、出会え」

 
アマテル神はソサノオの乱心に恐れをなして、急ぎ岩窟(イワムロ)にお隠れになり岩戸を閉ざしました。この時天の下は突然暗闇が襲い、昼夜が混乱してしまいました。
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その頃ヤス川辺(現・滋賀県守山市野洲川、御上神社か)に居たオモイカネは、この暗黒の闇に驚いて松明(タビマツ)を掲げ、急ぎイサワの宮に馳せ参じて子のタジカラオに国の実状を聞き、神々を集めて緊急会議を開いて知恵を問いました。

 「祈祷法(いのらんや)」皆口々に「祈らんや」を繰り返しました。
 ここでツワモノヌシが祈祷法を発案して諸神に賛成を求めました。 「真榊木(まさかき)の上枝(カンエ)に勾玉(ニタマ)を掛け、中枝(ナカツエ)には真経津(マフツ)の鏡を下げ、下枝(シモエ)には和弊(ニギテ)を付けて祈ろうじゃないか」  「そうだ、そうしよ
う、そうしよう」
 皆、一斉に答えました。ウズメ(天鈿女)等女性陣は、それぞれヒカゲ(日陰草・ヒカゲノカズラ)を襷(たすき)にして魅力的に体に巻きつけて、次に重たい矛を引き出してきて茅(かや)を巻いて茅巻矛(チマキホコ)と名付けて大はしゃぎ、薬草のオケラ(キク科の多年草)を庭火に焚いて笹湯花(ささゆばな・湯立神楽)の用意も上々、さあいよいよ世にも名高い三千年神楽の始まり始まりい。
 「祝詞(のりと)をあげろ、篝火(かがりび)をもっと焚け、どんどん燃やせ、たきぎをくべろ。さあお祭だあ、お祭だあ」

 まわりの闇とは対称的に人の心を明るく照らすこのざわめきは、どこから沸き上がるのだろう。オモイカネは深く謀った後に、常世の踊り「長幸(ナガサキ)」を皆の前で初公演しました。俳優達は一斉に面白おかしく歌い始めました。

香久(かぐ)の木  枯れても匂(にお)ゆ  萎(しお)れても良(よ)や
我(あ)が妻  天地(アワ・神)  我(あ)が妻  天地(アワ・神)
(みかんの木 枯れても良い匂い 萎れても良い匂い 我が妻は 神(かみ)さん
我が妻は 神様や 年取って萎れてもいい女 我が妻は 神様や)
 諸神達は岩戸の前に暁鶏(かしまどり)を放って長鳴を競わせて、これこそ常世(とこよ)の長(鳴)幸(ナガサキ)と手を打ち鳴らし、踊りました。 君は外界が真暗なはずなのに笑い声が絶えず、明るく面白い歌や踊りを聞いておもわず微笑み、そおっと岩戸を開けて外を覗き窺(うかが)いました。
 その時です。岩の陰に隠れていたタジカラオが岩戸をつかんで投げ捨てて、急ぎアマテル神の御手を取り出して奉りました。今度はツワモノヌシが注連縄(しめなわ)を窟(いわや)の入口に張り廻らして閉め、君に向かって一言、「な、帰りましぞ」(再び窟にお帰りにならないように)と、申し上げました。


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(部分)
アメカシタ ヤワシテメクル  『天が下      和して巡る
  ヒツキコソ ハレテアカルキ  日月こそ       晴れて明るき  
タミノタラナリ        民の父母なり』  
ソサノヲハ イワオケチラシ  ソサノヲは岩を蹴散らし 
ナオイカル キミオソレマシ  なお怒る      君 恐れまし  
イワムロニ イリテトサセハ  岩室に       入りて閉ざせば  
アメカシタ カカモアヤナシ  天が下       明闇紋無し  
ヤスカワノ ヤミニオトロク  ヤス川の      闇に驚く  
オモイカネ タヒマツニハセ  オモイカネ     手火松に馳せ  
コニトヒテ タカマニハカリ  子に問いて     「タカマに議り 
(タチカラヲ)  ノランヤ ツハモノヌシカ  祈らんや」     
ツハモノヌシが  マサカキノ カンヱハニタマ  「真榊の      上枝は熟玉  
ナカツヱニ マフツノカカミ  中つ枝に      マフツの鏡  
シモニキテ カケノラント  下 和幣        掛け祈らん」と  
ウスメラニ ヒカケオタスキ  ウスメ等に     日陰(草)  
チマキホコ オケラオニハヒ  茅巻矛       オケラ庭火 
ササユハナ カンクラノトノ  笹湯花       神座の外の 
 (岩室)   カンカカリ フカクハカリテ  神懸り       深く謀りて  
[神篝り]  オモイカネ トコヨノオトリ  オモイカネ トコヨの踊り
ナカサキヤ ワサオキウタフ  ナガサキや     俳優 歌ふ  
カクノキ カレテモニホユ    『の木     枯れても匂ゆ  
シホレテモヨヤ アカツマ     萎れても善や  吾が妻  
アワ アカツマアワヤ       あわ  吾が妻  あわや  
シホレテモヨヤ アカツマ アワ  萎れても善や  吾が妻 あわ』
 
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2、天の岩戸はどこか


宮崎県の高千穂に
天岩戸神社があり

天安河原がそうだと
信じていました。

現場も見ております。












WIKIには天岩戸と言われる場所がこんなにも

天岩戸説話は天上界の出来事であるが、神話を現実的に目に見える形で解釈したいという要求から、「ここが天岩戸である」とする場所や関連する場所が何箇所か存在する。




3、「ホツマ物語」には日高見とあり



岩戸隠れは日高見とあります










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天が下   和して巡る
日月こそ  晴れて明るき
民の両親(たらちね)

ソサノオはそれを見ると、歌の真意が解けずなおも怒り、あたりの岩を蹴散らした。
アマテルは身の危険を感じ、日高見に逃げ、岩室の岩戸を閉ざして隠れてしまった。
するとあたりは真っ暗になって、昼と夜の区別がまったくつかなくなってしまった。

ワカヒメとともに、近江の野洲川の宮殿でアマテルの御子を育てていたオモイカネは、その異変に驚き松明を持って伊雑の宮殿(三重県志摩市)に駆け付けた。


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4、記紀によりますと

WIKI古事記では、日本書記もほぼ同じ
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しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていた時、スサノオは機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ馬を落とし入れ、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。ここにきてアマテラスはスサノオの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。高天原葦原中国も闇となり、様々な禍(まが)が発生した。

八百万神が会議をしたとされる天安河原

そこで、八百万の神が天の安河の川原に集まり、どうすれば良いか相談をした。オモイカネの案により、様々な儀式を行った。常世の長鳴鳥()を集めて鳴かせた。天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を採り、鍛冶師のアマツマラを探し、イシコリドメに命じて八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。タマノオヤに命じて八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた、アメノコヤネフトダマを呼び、雄鹿の肩の骨を抜き取り、ははかの木を取って占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、フトダマが御幣として奉げ持った。アメノコヤネが祝詞(のりと)を唱え、アメノタヂカラオが岩戸の脇に隠れて立った。アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った

岩戸神楽ノ起顕(三代豊国)

この声を聴いたアマテラスは、何事だろうと天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜアメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、それを喜んでいるのです」と言うと、アメノコヤネとフトダマがアマテラスの前に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿がその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっと良く見ようと岩戸をさらに開けたとき、隠れていたタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。すぐにフトダマが注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」と言った。こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。


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(まとめ)
・記紀も「高天原」なのですね。
・ホツマでは「高天原」とは「日高見」のことです。
・ということは天の岩戸は、鳥居礼さんの「ホツマ物語」にあるように
 「日高見」の東北にあったのですね。
・日高見といっての多賀城にはそんな場所はないようですので・・・楽しくなってきました。
 「あそこだ、まちがいなく!」

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