尊敬する安村二郎氏の鹿角市広報掲載文です。
八十(3/10)
要 約
1,平安時代の末、前九年合戦終末期
に端を発した歌枕「錦木」「けふの細布」は、北みちのく風俗の機微を見事に表現する歌ことばとして、その後鎌倉時代・南北朝時代に及ぶ三百数十年間、多くの和歌集・歌学書に連綿と歌いこまれてきました。
・しかし、意外なことに、その長い間、一体歌枕の地とは何処をさすものかなど、具体的な特定はほとんど無かった。
・例えば藤原行家「みちのくのけふの郡に織る布の狭きは人の心なりけり」
2,室町時代初期、世阿弥により、
謡曲「錦木」が作られた。出典は「袖中抄に記された=錦木伝説に細布伝説を織りまぜたもの」としている。
・こ謡曲「錦木」の中の用語が、そのまま近世の錦木伝説に移されているものに、狭布の里、狭布の細布、涙川、錦塚、松桂に鳴く梟、蘭菊の花、狐住むなる塚などがある。
・また間狂言の、鳥の羽根にて布を織り、幼な子をさらう鷲・熊鷹への呪法とするという場面はその通り伝説に取り入れられて、江戸期の錦木伝説が多く謡曲「錦木」に基づいて語られている。
3,なぜ世阿弥が
室町時代に至ってまで謡曲「錦木」が京都の世阿弥の手に成ったのか。
・その背景を想像するに
歌枕発祥の地京都と南部氏の関係は、南部氏が津軽を支配したころ、南部氏は全国第一の馬の大名となり「公方お召の御馬」進上を果たすことで、諸国守護と同格のとなり京都御扶持衆として、たえず上洛、能楽師との交流もあったと想像される。
八十一(4/10)
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