2014年7月6日日曜日

■逆説・出羽の民族

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秋田県に関することを抜き出します

出羽の民族

 「北鑑 第五十四巻 附書 一ノ二」
 「奥州に先住する民族があった。渡島のクリル族、東日流の阿蘇部族、宇曽利の津保化、陸羽の熟族(にぎぞく)、陸奥の麁族(あらぞく)である。いずれも国をして境を作らず、移住、定住、自在である。古(いにしえ)から山靼とも往来自由であり、異民の帰化も自在である。
 大王をオテナ、長老をエカシという。各地のコタンのエカシによって、大王が選ばれるが、世襲とはせず、エカシに選ばれなければ、退位した。このような政治は、山靼から渡来した帰化人によって律法されたという」

 「丑寅日本国古事抄」[語部録抄壹之巻]
 「歴史をさかのぼれば、丑寅の日本は、国を始める大王の一世を安日彦といい、耶馬台の落人として、東日流に落着した。安日彦を安日王と称し、負傷した弟の長髄彦を助けて、東日流に退却した。
 一族は大挙して奥州にたどり着き、後に長髄彦沢と呼ばれた沢に湧く温泉に湯治して、傷を癒した。この地は今に安日山(あっぴさん)と名付けられている。このようにして東日流という地には稲をもって暮らす民ありとして、この地に永住することを決めた。
 東日流に住む二族があって、それは阿蘇部族、津保化族と称し、その長老エカシは安日彦を奉じて、石塔山に日本国大王一世として、即位させることになった。
 この年、東晋の群公子一族が、東日流に漂着し、安日彦に救済された。以来、国を広め、陸州の麁族、羽州の熟族が、これに従い、坂東までも領域を広げ、富士山を領内に安倍川から越の糸魚川(いといがわ)に至る地域を日本国と称した。
 安日彦王は、領内の部族百八十五族を併せ、これを荒覇吐の民として信仰を統一せしめて、よく国治をまっとうしたという」




 出羽地方は荒覇吐王国の南分倉で重要な役割を果たしている。『總輯 東日流六郡誌 全』[王政処移宮之抄史]において、荒覇吐王国の高倉、分倉について述べている。
 「荒覇吐王国が高倉は、十個処に移れりという。東日流、荷薩丁、厨川、矢巾、閉伊、胆沢、東山、桃生、宮沢、来朝(くるま)である。ただし、この王政処所在地は、年代順ではなく、後代において、北に移ったものもあると伝わる。
 領域の東西南北に置かれた分倉も、高倉の移宮にしたがって、次のように移っている。西分倉は、怒志呂(ぬしろ)、土崎、大内、楢橋、大蔵、朝日、岩船、黒崎、加茂、怒足(ぬたり)である。東分倉は、宇曽利、糠部、久慈、宮古、釜石、大船、吉元、女川、多賀、四郎丸である。南分倉は、鹿角、払田、増田、村山、米沢、会津、白河、矢板、川越、藤枝である。北分倉は東日流、美唄(びばい)、松前、東日流上磯、厚岸、豊頃、江別、志海苔(しのり)、福島、東日流十三湊である。もっともこれも時代順ではないこと、高倉と同じである」

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