2009年10月29日木曜日

01121■フトマニ図と円暦




フトマニ図
トヨケ神(伊勢外宮祭神)が初めてイサナギとイサナミの両神(フタカミ)に天上モトモトアケ(元元明)のサゴクシロ宮に坐す四十九(ヨソコ)神の座席図を五十一文字で表わし授けた。

後にアマテル神(伊勢内宮祭神)は、このフトマニ図で吉凶を占おうと考え自ら編集長となり、八百万(ヤオヨロズ)の神に命じ万葉の情を歌に作らせて添削し、その中から百二十八歌を選んで大占(フトマニ)の紀(フミ)を著して占いの元とした。天御祖神(アメミヲヤカミ)

  1.   中心の輪のアウワ神は天地創造のアメミヲヤ(天祖)神。
    アは天、ウは神の最初の一息、ワは地を表す。

  2. 天元神(アモトカミ)、又の名をクニサッチの神
    二番目のトホカミエヒタメ八神は人の魂(タマ)の緒を地上に吹き降ろし魄(シイ・肉体)と結び合わせて寿命を得る。
    初めて諸国を建国した国常立神(クニトコタチ)の八御子(ヤミコ・八面八降ヤモヤクダリの神)の頭文字。

  3. 天並神(アナミカミ)
    三番目のアイフヘモヲスシ神は、方位と言葉、人の内臓(五臓六腑)を司る。
  4. 三十二神(ミソフカミ)、又の名をタミメヒコの神
    外輪の三十二(ミソフ)神は人の容姿を司り、人の寿命を日夜休み無く守る。


フトマニ図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・円暦はこれです
比較検討はこれから








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2009年10月22日木曜日

01120■クロマンタの日の出入り方位


冬至、夏至などの日の出入りラインを見るために、クロマンタ地点の偏角や日の出入り角度のデータです。


1、偏角について

磁気偏角とは真北と磁北とのなす角度です。


真北:地形図の北,地球の自転軸の方向
磁北:磁気コンパスのN極の指す方向



磁気偏角は時間とともに変化しています。




偏角の変化図は今道(1956)による


磁気偏角は場所によって異なります。




クロマンタの偏角 8° 10′



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「円暦」のシモタニ様より「偏角と真北」についてご指導いただきました(11.3)

①偏角とは磁気に特有の問題です。
②其れに対して太陽の示す真の東西南北は偏角はなく万年不変です。此れを「万古不易」とも言います。
③太陽の示す日影の示す真北に対して、磁気コンパスが必ず西に傾いた方角を示す習性がある事を問題として、西偏、または偏角と言う訳です。
④ストーンサークルの場合も、太陽の示す真北、つまり、子(正しい北)を示している石を配置している筈ですから、
其れを太陽ではなくて、もし偏角を知らずに磁気コンパスで見ては磁北を見る事になり、
折角目の前に第一級の現物がありながら、誤差を見て誤解する事になれば残念ですから、
この点特に一般の方にはご注意願いたいと思います。(現場調査で注意せよ!)
⑤星座の位置も変わります。北極星の位置も無論変わります。太陽の位置は不変ですが、今の天文学が基準としている星座の位置も2.5万年で1周りしてしまうのです。
⑥「フトマニ図」の子、つまりヱは、その2.5万年前の北天の龍座をリアルに示したヲシデかと思います。

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2、日の出入り方位


それは一冊の本との出会いから始まった。
神々のメッセージ-古代祭祀線への挑戦-」(堀田総八郎著・中央アート出版社)がその本である。以下にそのきっかけとなった文章を紹介する。

太陽崇拝族と銅鐸で知る冬至祭祀
この世界には昔も今も太陽を崇拝する民族が各地に存在し、日本でもかって太陽崇拝を行っていた痕跡がさまざまな形で残っています。
弥生時代に入っての稲の栽培では夏至が重要な農業暦の一日となり、古代のシャーマン(巫術師)たちは、この日を人々に告げ、田植えの督促をした。また、冬至の日は一年中で太陽が一番弱くなると見られていて、この日を境にして太陽が再生し、復活すると考えられていました。そこで、これを人間の生命のよみがえりに重ね合せて、生命の復活を願う祭を行ったといわれています。
この夏至や冬至の太陽の日の出線を示す有名な史跡にイギリスのソールズベリにあるストーンヘンジがあります。紀元前1900年頃に形成されたとされるこのストーン・サークルの北東方向には夏至の太陽の日の出線方位が開き太陽観測の要石があり太陽祭祀が行われたのではと推測されています。
南米のインカ文明でも、夏至に太陽神をあがめる大祝典があり、貴族や高官がその首都クスコに集まりました。
日本各地の2至2分(夏至・冬至・春分・秋分)の日の出入り方位を国立天文台編の「理科年表」で見ると下表となり、緯度が高くなるにつれて南北への方位角が大きくなることがわかります。


日の出入り方位

北 緯夏 至立 夏
立 秋
春 分
秋 分
立 春
立 冬
冬 至
20°
25
30
32
34
36
38
40
45
50
+25.4°
26.5
27.9
28.6
29.3
30.2
31.1
32.1
35.3
+39.5
+17.7°
18.5
19.5
19.9
20.5
21.0
21.6
22.3
24.4
+27.1
+0.3°
0.4
0.5
0.5
0.6
0.6
0.7
0.7
0.9
+1.0
-17.1°
17.7
18.4
18.8
19.2
19.7
20.2
20.8
22.5

-24.8
-24.7°
25.6
26.8
27.4
28.0
28.8
29.6
30.5
33.2
-37.0
表.各地の日の出入り方位(「理科年表」1990版より)
    (クロマンタの位置は北緯40°17′ 東経140°49′)


古代日本にだけ出土する遺物として有名な銅鐸について、型持ち穴が二至の太陽の日の出線の向きを示しているのではと指摘した方もあったようです。もし、この型持ち穴が二至の太陽の日の出線ならば、緯度によって日の出の方位角が変るため、大和地方(北緯34度30分前後)と九州北部(北緯33度30分前後)とでは、その方位角に一度近くの差があり、同じ銅鐸で大和と九州北部の日の出線を測るとすれば、あくまでも簡易観測器の域しか出ず、地域ごとに型持ち穴の位置を変えた鋳型を作り替えねばなりません。
(「神々のメッセージ-古代祭祀線への挑戦-P25-26.堀田総八郎著・中央アート出版社)とある。
ここで注目してもらいたいのは
「弥生時代に入っての稲の栽培では夏至が重要な農業暦の一日となり、古代のシャーマン(巫術師)たちは、この日を人々に告げ、田植えの督促をした。また、冬至の日は一年中で太陽が一番弱くなると見られていて、この日を境にして太陽が再生し、復活すると考えられていました」の部分と「古代日本にだけ出土する遺物として有名な銅鐸について、型持ち穴が二至の太陽の日の出線の向きを示しているのではと指摘した方もあったようです」の部分である。確かに銅鐸の型持ち穴を以下のように覗いた場合、視点の交差する角度はほぼ60°となる。これは出雲の位置である北緯35~36°での「夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ直線」と「冬至の日の出と夏至の日の入りを結ぶ直線」の交差する角度と等しい。


このことから、銅鐸は「太陽を基準にして方位を測る道具」として用いられていたのではなかろうかと私は考える。ではさらにこの銅鐸を用いて、実際どのように方位を測ることが出来るのかについて考察していきたい。
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冬至:日の出入り

鹿角市(秋田県)
緯度:40.216 経度:140.788 標高: 0.0 標準時:9

日付方位南中時高度入り方位
年月日時:分時:分時:分
2009/12/226:56120.611:3526.416:15239.4




夏至:日の出入り


鹿角市(秋田県)

緯度:40.216 経度:140.788 標高: 0.0 標準時:9

日付方位南中時高度入り方位
年月日時:分時:分時:分
2009/06/214:0757.811:3973.219:10302.2

01100■クロマンタ 目次



01119■クロマンタの東西南北ライン


01118■小林世征氏のクロマンタ透視



01117■鈴木旭氏の「クロマンタ原理」


01116■古代から伝わる地元の歌


01115■クロマンタレポートが解く内部構造


01114■ゼロ磁場とは


01113■クロマンタの内部に人工構造物発見


01112■平成3年調査隊前の薬師神社写真


01111■クロマンタレポート・・・踏み石はヤタの鏡か


01110■クロマンタは神奈備山!!


01109■本宮神社か薬師神社か


01108■クロマンタ頂上の薬師神社の位置


01107■クロマンタの[踏み石]とは


01106■ピラミッドの螺旋・内部トンネル説


01105■縄文クロマンタ(巡堂ブログ)


01104■神奈備(かんなび)山とは


01103■黒又山ピラミッドを透視する


01102■クロマンタ調査隊


01101■クロマンタはゼロ磁場