ドイツ生まれケンフェルの「日本志」が重要なことを書いています!
1、ケンフェル(ケンペル)とは
エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 現代ドイツ語読みではエンゲルベアト・ケンプファー、1651年9月16日 - 1716年11月2日)は、ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学者。ヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した『日本誌』の原著者として知られる。
ケンペルは著書の中で、日本には、聖職的皇帝(=天皇)と世俗的皇帝(=将軍)の「二人の支配者」がいると紹介した。その『日本誌』の中に付録として収録された日本の対外関係に関する論文は、徳川綱吉治政時の日本の対外政策を肯定したもので、『日本誌』出版後、ヨーロッパのみならず、日本にも影響を与えることとなった。
また、『日本誌』のオランダ語第二版(De Beschryving Van Japan)(1733)を底本として、志筑忠雄は享和元年(1801)にこの付録論文を訳出し、題名があまりに長いことから文中に適当な言葉を探し、「鎖国論」と名付けた。日本語における「鎖国」という言葉は、ここに誕生した。
2、平田篤胤の紹介
平田篤胤が「古道大意」で述べています
ケンペルを紹介しています。
「まず日本国の幸せでうらやましいことは、異国の人と交易しなくとも、全く困ることがないことである。それはまず地勢に恵まれていて、外国の産物を取り寄せなくてもよいからです。わがヨーロッパ諸国の者どもが、外国まわりをして、交易をもっぱら行うのは、だいたい物が不足しているからです。例えばここに一つの国があって、天地を造られた天ッ神さまが世にも特別なお恵みをかけられて、生命を保つべき一切のものが不足ないようになされて、国もはなはだ強く、その国民の勇気がすさまじく、外国から攻めてきたときなどによく防ぐ手段を持っていて、外国のものを受け入れなくとも事欠かずに済むならば、外国と交易しないほうが国の風俗は乱れないで、かえって国の大きな利益となることです」と、著者はここらのことを詳しく説いています。
「そんな国はこの地球の内を探してもどこにあると思いますか、それは世界万国に知られた日本であるのです」
3、白柳秀湖が見だしたケンペル
歴史学者白柳秀湖がケンフェルの「日本志」の中に見出したのが
「田村麻呂将軍によって根こそぎ討平された蝦夷が、大韃靼人であったことを主張するのは、一人この著者(秀湖)ばかりでなく、ドイツ生まれのオランダ人ケンペルも、その著書『日本志』の中にこれを韃靼人であったと力強く記述している」と書いている。(太田龍「縄文日本文明1万5千年史」より)
4、田村麻呂将軍のおかげで救われた!
白柳秀湖の文より
「桓武天皇の時(781~806)における大韃靼人の侵入と、後宇多天皇の時における同じく大韃靼人(蒙古人)の襲来(1274,1281)とを、日本の二大外難として相対照している」とまず書いている。
すなわちケンフェルがヨーロッパ人として、虚心に見た眼によると、この二つの外難は同じ程度に強くはげしく日本国家の存立を脅かした大事件であったのだ」とつづけ、さらに
「しかるに当の日本では、ちょうどこの時代のことを記録した国史『日本後記』の一部が湮滅して伝わらぬ為、田村麻呂将軍の英邁を以ってして、わずかに打ち克つことが出来た大韃靼人奥羽地方に於ける動静及び官軍との戦況を、詳しく知ることが出来ない。
原文を載せます
「日本の地は、自然と堅固にして、今に至るまで、外寇の恐るべきもの、極めて少なし。稀には犯し、襲いし事もありといえども、未だかって、敵に利ありしことなし。およそこの勇猛無敵の俗人(俗人は国民の誤記か)未だかって他人の命令を聴くことなし。一千年前なる桓武の御宇に当たって、大韃靼の無庭(その地広大なるをいう)より、大軍を挙げて、頻りに日本の浦に打ち寄せたり。攻撃火急にして、敵軍は早くも陸地を取りて、基地としける程に、日本人もこれを退落する事ははなはだ難なりけり。その故は、毎々に挑戦して、しばしば敗軍して、その勢い大いに衰滅せしかども、韃靼より日を追って、新軍を送り備わって、勢いを助ける程に、ついに五十年(百五十年の誤記か、阿部比羅夫の粛慎人征討から坂上田村麿の奥羽さい定までちょうど百五十年)の久しきに耐えて,なおも日本の地に居て動かざりけり。
然るに西暦七百九十五年国の守護神の威力冥助と、日本軍の鋭き多勢力と」一斉に起張して、ついに彼らを抜き滅しけり。」
要約
「つまり、孝徳天皇、斉明天皇の御代から桓武天王の御代まで百五十年、大韃靼人は大軍を日本(奥羽東北地方)に送り、打ち破られてもまた新手の軍勢を増派してくる。彼らは日本(奥羽)に確固たる武力による支配権を打ち立ててしまう。」
孝徳天皇 645年 大化の改新
桓武天皇 800年
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【まとめ】
すごいことがかかれています!!
①蒙古(大韃靼人)襲来は、田村麻呂時代(桓武天皇時代)と鎌倉時代の二度あった。
②虚心にヨーロッパ人の目で見た、日本の国家存亡をかけた二大外難だった。
③「日本後記」の一部が亡くなっている。
④田村麻呂将軍の英邁を以ってして、打ち克つことが出来た・・・やはり神様です!
⑤これで、田村麻呂将軍が第一期で10万人の軍勢、第二期で4万人の軍勢を引き連れてきて、アテルイと胆沢だけで遊んで(問題ありますね!)いる訳はないと思っていた疑問が解けました。
⑥蝦夷が大韃靼人であった。
⑦田村麻呂将軍によって蝦夷(大蒙古人)が根こそぎ討平された。
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