2011年11月17日木曜日

■「積もる木の葉」の下は縄文文化

二宮尊徳翁の歌に「古道に積もる木の葉をかきわけ・・・」があります



1、落ち葉の山道
昨年と同じ日に同じアングルで撮って、同じことを書いていますから余り進歩がないようですが!!
ちょっと違うのが、蝦夷感が180度とは言いませんが、90度変わったことです。
蝦夷は我々の先祖のことと思っていました。だからアテルイはわれわれの輝く星と思っていました。
ところが・・・・
この落ち葉はかなりのものです!

2、二宮尊徳翁の歌
「古道に積もる木の葉をかきわけて 天照らす神の 足跡を見ん」
「古道」とは日本固有の大道をいうんだ(縄文文化)。「積もる木の葉」とは儒教、仏教、科学などなどの事ですね。日本固有の大道を見るには、木の葉のような書物をかき分けかき分け探さないといかんのだよ。お前たちが落ち積もった木の葉に目を奪われるのは大きな間違いだ。」
・・・・でも一般には理解できないでしょうね、外国では、ヨーロッパでは、アメリカではこうなっている。というのが日本の姿でしたから。でもこれからは再び日本の原点を見直さないと生きていけませんよ!!


3、「蝦夷」という木の葉
①わらび座の「アテルイ」は東北人の魂の北極星とうたっている。
 我々東北人の先祖が蝦夷であって、誇りにかけてそれを守った。われわれの英雄である!!
坂上田村麻呂は朝廷からわれわれの先祖である蝦夷を征伐に来た・・・よくあるストーリーの悪代官である。私もわらび座のミュージカルを二回も見て、ついこの間まで「そうだよなあ!」と思っていました。
田村麻呂伝説といって、田村麻呂が行ってもいない秋田、山形、青森にも伝説がいっぱい残っているのは、朝廷が東北を治めるために、歌枕などとともに広めたものであるという、荒俣宏の説が正しいと思っていました。
 

②もう一方は「アテルイ=悪路王=鬼」と捉えている。
アテルイが悪路王、モレが赤頭、更には大嶽丸(大竹丸など)が坂上田村麻呂将軍と戦った。
ところが歴史学者・白柳秀湖説をみると
(鬼とは「粛慎」「渤海」「韃靼」「蝦夷」などは同じ、まとめて「大韃靼人」が北東北を征服したという説)
日本書紀に記されている
「蝦夷」「粛慎」「靺鞨」「女眞」「刀夷」「蒙古」後の「満州」は皆違うのか・・・
白柳秀湖は「それは単一民族ではないが、血統、地縁、人種その他の要因によって
「大韃靼人」として包括される

4、糸のほつれがとれた
①阿倍比羅夫が田村麻呂の150年も前に、なぜに180艘もの船団を引き連れて秋田、能代にまで来たのか、征伐対象の粛慎(みしはせ)とは何者か・・・なんで突然・・・誰も分かりません。

②坂上田村麻呂が秋田まで追いかけてきて寺内(高清水)で征伐した、蝦夷の大嶽丸とは何者か
田村麻呂伝説は伝説だけで、本当に秋田に来ていないのか。それにしては我が寺内(高清水)には伝説に係わる地名がたくさん残っているのは・・どぷしてか。

③秋田城へ「渤海」から使節団が何度も訪れている、何故この辺鄙な秋田が外交の拠点とならなければならなかったのか。大きな外壁を備えた、立派な城を築き、迎賓館まで用意したその「渤海」とは何者なのか。

これがみんな「大韃靼人」(タタール)でくくられれば、すべてほぐれた糸が解けました。

落ち葉の頃になると、古道に積もった木の葉をかきわけたくなります。少しは縄文文化が見えてきたでしょうか。



阿倍比羅夫将軍




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