2009年6月14日日曜日

013131■東北の歌枕とは何か



歌枕は荒俣宏の「歌枕」謎ときの旅がたいへん参考になります。


1、東北の歌枕とは何か


アテルイ
蝦夷軍を率いて「悪路王」と恐れられたアテルイは、坂上田村麻呂との長年の戦の末に投降、都で処刑される。

その後百年を経て「古今集」が編集される頃には、陸奥は戦乱の続いた緊張あふれる土地から「架空の北方」のイメージに転換されていく。

また、奥州藤原氏との争いの時代には田村麻呂伝説が復活。
鎌倉時代には歌がさかんに作られ、やがて、「新古今集」が編集された。
歌枕は蝦夷の事跡を抹殺する詩的な罠であった。

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2、歌枕が消し去った陸奥(東北)の古い実像とは(P180)
歌枕が消し去った陸奥(東北)の古い実像とは、当時高度に発達していた蝦夷独自の文化と、戦闘の傷痕である。
①蝦夷独自の文化とは、「けふのほそ布」「いしぶみ」などの代表される
(筆者注:荒俣宏氏も特記している二つの歌枕は、一つは錦木塚にあり、もう一つは多賀城にあるとされるが、わが鹿角にあるのではないかと確信しているこの頃です)

②戦争の記憶は、巧妙に抹殺されたに相違ない。官軍側を破ったアテルイのような英雄は、「悪路王」あるいは「鬼」として悪役に回され、他方、勝利をもたらした田村麻呂が英雄にまつりあげられるのだ。
(筆者注:鬼にも二とうりあるようだ、それとも陸奥と出羽の違いか、男鹿のナマハゲの鬼は別のようです)




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