このブログは「壁を突き抜ける生き方」をする人だけが共鳴できるものです。 北東北の不思議な地域、クロマンタ、大湯ストーンサークルを中心とする縄文文化の真実を探究する研究会です。 ■右側のラベル分類からもお入りください。 ◆スライドショーはクロマンタのゼロ磁場調査の様子!!
2014年3月21日金曜日
2014年2月2日日曜日
❏真澄「水の面影現代語訳」解説(2)現地踏査
菅江真澄の「水の面影」現代語訳に当たって、内田武志さんの解説(2)
「水の面影」解説 菅江真澄全集著者 内田武志
1 文化九(1812)年の著
「古老たちから尋ねながら、現地踏査した」
文化八(一八一一)年の夏から久保田(秋田市)に居住するようになった真澄は、佐竹藩校明徳館の助教那珂通博の推輓を受けて、藩内六郡の地誌を編むことになった。
《みずのおもかげ》には、「寺うち、矢ばせなどの村々のふることを、としたかき処人にたつねて書きたるふみなり」とある。しかし現在知られている《みずのおもかげ》は上巻だけでそれには年次がない。某年の二、三月ごろ、今の秋田市寺内から八橋方面の旧跡を探遊した記録とみられるが、文化九年(一八一二)年七月の日記《つきのおろちね》の冒頭には、次のように言っているから、同じ年の探訪であることがわかる。「この春より、このあたりを尋ねわたりて、『水の面影』という冊子に寺内山のふるあとをたどりて書いてあつめ・・・」
そこの名所十八箇所の由来は当時すでに知るひとも稀になっていたから、真澄は里の故老たちに尋ねながら、実地踏査をした。その記録を《みずのおもかげ》と表題したのである。
3月2日の報告会参加の方に「水の面影現代語訳」無料で差し上げます
あっというまに在庫切れになりました。PDF版を接続します。閲覧なり印刷なりどうぞ! グーグルドライブですから
「菅江真澄 水の面影」をクリックしてください
https://drive.google.com/?hl=ja&urp=http://www.google.com/google-d-s/intl/ja/tour3.htm&pli=1&authuser=0#my-drive
あっというまに在庫切れになりました。PDF版を接続します。閲覧なり印刷なりどうぞ! グーグルドライブですから
「菅江真澄 水の面影」をクリックしてください
https://drive.google.com/?hl=ja&urp=http://www.google.com/google-d-s/intl/ja/tour3.htm&pli=1&authuser=0#my-drive
内田武志さんとは
❏真澄「水の面影現代語訳」解説(1)原本発見
菅江真澄「水の面影」現代語訳完成に伴って、解説をシリーズで行います
1,原本発見
「水の面影」解説 菅江真澄全集著者 内田武志
原本は昭和初年に能代の安農家で発見
真澄の他の著書の中に《みずのおもかげ》の書名が数多散見するので、その存在は明治期の研究者にも早くから知られていたが、原本の所有者は容易に判明しなかったようである。
わたくしが、能代市の安濃家から、真筆本《水の面影 上》一冊を借覧したのが昭和二一年の五月である。それを、表紙の写真を撮り、全文を写し終わってまもなく返却したが、その後の能代大火(昭和二四年二月二十日)で消失してしまったそうである。いま、表紙の図版として、このとき撮影した写真を用いた。また本文には、自分の写本を底本とした。
《水の面影 上》の一冊が、どのような理由で能代の安農家の所有となっていたかについて、わたくしの推察を述べてみよう。消失前の安農家には、真澄の原本として、このほかに、《あさひかわ》および、図絵草稿をまとめた《無題雑葉集》も所有していた。《無題雑葉集》の裏表紙には「千穂屋蔵」と記入されていて、鳥屋長秋の蔵書であったことが知られた。真澄の没後、三回忌を期して長秋らが墓を建てたが、そのとき建碑に寄付をよせ、協力してくれた各人に、責任者長秋から真澄の著書を返礼に贈っている事実がある。
安農家は能代で薬舗川口屋を経営し、また代々庄屋をつとめていた家柄だが、真澄と知己のあった人は安農治兵衛恒長である。恒長は大年と号し、国学、歌道に熱心な人であったから、真澄の墓碑建立にあたって、応分の寄付をしたものと思われる。それで天保三(一八三二)年の春、長秋から真澄の著書三冊を贈与されたと考えられる。
2014年1月24日金曜日
❏十和田湖噴火「青森・六ケ所村に火砕流の痕跡」
日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)の敷地に、火山噴火に伴う火砕流が3万2千年前と1万5千年前の2回到達した可能性が高いことが19日、原燃が原子力規制委員会に提出した資料で分かった。いずれも南西約60キロの活火山「十和田」(青森、秋田両県)の噴火によるもので、原燃の調査で痕跡が確認された。
規制委の「火山影響評価ガイド」は、火砕流が及ぶ可能性が十分小さいと評価できない場合は原発の建設を禁じており、規制委が進める再処理工場の審査で、これらの痕跡をどう判断するか注目される。
(共同)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やませが運んだ説に疑問
なお、本コアには残念なことに10世紀の十和田火山起源のTo-aテラフが認められなかった。この原因については、偏西風や地上風の風向のほか湖底での堆積物重力流による削剥などが考えられるが、現在のところ不明である。
2009・11・20日前後のブログに疑問点をたくさん載せています
・本当に噴火があったのか
・なぜ「やませ」で西の男鹿半島まで飛んだのか
・博物館展示と今回の論文の違いは何か
・・・・・・
謎解きの楽しみが続きます・・・・・
2013・8・24追加です
「やませ」と同じ冷たい空気が動く様子です。
桜島の噴火情報も合わせて
8月18日、鹿児島市の桜島で大規模な噴火が発生し、噴煙が5000mの高さにまで到達。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
❏「錦木塚物語」動画紙芝居と「歌枕」について
錦木塚物語・・・完成アップしました
1,動画紙芝居アップ
「錦木物語」は「錦木」と「ケフの狭布」の歌枕がわからないと
何にも面白くもない、ただの悲恋物語です。下に歌枕のことを記しています
「錦木物語」は「錦木」と「ケフの狭布」の歌枕がわからないと
何にも面白くもない、ただの悲恋物語です。下に歌枕のことを記しています
https://www.youtube.com/watch?v=Bd5fnF8IIbU
2,歌枕とは何か
枕詞とは、土中の闇に眠る種子のようなもので、そこからやがて芽が生じるように歌がでてくるのです。眠るときに使う枕としての言葉が枕詞です。
・足引き・・・泉津平坂(よもつひらさか)を足をひいておりてきた・・・山(やま)
・脚引き・・・葦を引き抜き田となしヤマトの国を固めた・・・大和(やまと)
・枕詞・・・道が徹(とお)る前の状態を表す。
枕詞は単なる修飾的な言葉ではなく、その中に神々が古代に切り開かれた歴史が込められているのです。(ケフの狭布も同じ)
3,ホツマと平安の歌枕
ホツマツタエの歌枕と平安時代の歌枕の比較です
錦木塚物語に出てくる「歌枕」で比較します
ケフの狭布も錦木も何なのかははっきりしないまま
不思議な異国のものとして歌あそびしていたのですね・・・都の人々は!
4,歌枕「錦木」の歴史探訪
「錦木」と「ケフの狭布」の歌枕を通して
東北の歴史を調べています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2013年7月31日水曜日
■915年十和田湖噴火は本当にあったのか?
915年十和田湖噴火の疑問が未だ融けません
1,2009年11月18日のブログ
県立図書館で一の目潟の年縞を見ての疑問でした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
秋田県立博物館の「年縞」展示と、その解説の中での十和田火山に」関する疑問点です。
1、年縞展示です
青札の上が白頭山の噴火の火山灰(938)
下が十和田a噴火の火山灰(915)
左が白頭山火山灰
右が十和田a火山灰
これは別途資料
3、男鹿で確認された広域火山灰

赤の囲いが十和田a火山灰(915年)といわれるもの。
黒の囲いが十和田八戸火山灰(1万5千年前)
4、火山灰・降灰分布図

十和田a火山灰の範囲は西側にはほとんど来ていませんが、どうして男鹿に火山灰の跡が残っているのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2,改めて年縞調査記録
第 3 章
地域環境史調査
本調査研究では、秋田のローカルをグローバルに直結させるために、2006年11月に男鹿市で年縞に
関する国際ワークショップを実施したほか、2007年3月には、国際的機関IGBP、AIMES、GES、IHOPEと日本学術会議、地球環境戦略研究機関、環境省と共催で国際シンポジウム「地球と人類の未来-アジアから考える」を秋田県大潟村で開催した。この国際シンポジウムでは、目潟の年縞に関する分析結果を報告することによって、目潟が世界の目潟として認識された。なぜ年縞のある美しい大地で文明が発展しえたのかを、そしてこれからの地球と人類の未来はどうなるのかについて、年縞を核にした比較調査研究を実施することによって、秋田のローカルがグローバルに直結した。そのことがとりもなおさず美しい年縞のある秋田県北西部の人々の自信と誇りにつながり、美しい地域の風土への愛着をもたらし、秋田県の人類文明史における位置と未来を予測する上で大きく役立つはずである。
〔国際日本文化研究センター教授 安田喜憲〕
3,915年十和田湖噴火が見えない
ネットでこの資料を見つけましたが、この資料発表の後で見つかったのでしょうか・・・
抜き出して記します
なお、本コアには残念なことに10世紀の十和田火山起源のTo-aテラフが認められなかった。この原因については、偏西風や地上風の風向のほか湖底での堆積物重力流による削剥などが考えられるが、現在のところ不明である。
4,やはり疑問
2009・11・20日前後のブログに疑問点をたくさん載せています
・本当に噴火があったのか
・なぜ「やませ」で西の男鹿半島まで飛んだのか
・博物館展示と今回の論文の違いは何か
・・・・・・
謎解きの楽しみが続きます・・・・・
2015・7・12追加です
桜島の噴火情報も合わせて
8月18日、鹿児島市の桜島で大規模な噴火が発生し、噴煙が5000mの高さにまで到達。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012意識のルネッサンスを経て
既存のすべての壁が壊れています。すべての事の真実がわかってきます。
2013年5月2日木曜日
■菅江真澄著「水の面影」現代語訳に着手
秋田市寺内の歴史を探求するためには菅江真澄のお力が重要です。
1,菅江真澄
「水の面影」現代語訳
前半、後半に分けてアップします。
中野みのるさんの訳を活用しましたが、かなりの部分を訂正しております。
前半、後半に分けてアップします。
中野みのるさんの訳を活用しましたが、かなりの部分を訂正しております。
ただいま再度、グループで校正中です
完成したら載せます
登録:
投稿 (Atom)


.jpg)
