2009年5月11日月曜日

01405■岩田帯とは(現代の)



岩田帯について


現代では、岩田帯(腹帯)の本当の由来を知らないものですから、このように書かれていました。
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  • (貼り付け)

  • 帯祝いの行事
    正式な岩田帯は紅白の絹二筋と白木綿を用いるそうです。この帯は妊婦の実家から贈る場合が多いようです。帯の長さについては六尺ほどですが、健やかな子の成長を祈って七尺五寸三分(七五三)とするところもあるようです。
    岩田帯この帯を既に子宝に恵まれた夫婦が「帯親」となって巻くのが正式ですが、そこまですることは現在は稀なようです(我が家ではそんなことまでした記憶はありません)。
    帯祝いの際の絹の帯はあくまで儀礼的なものなので、普段は木綿の帯を用います(最近はコルセット式のx腹帯などが普及)。
    写真は、「犬印」でおなじみに某社から購入して家内が使っていた腹帯の実物です。木綿製のものです。

  • なぜ「岩田帯」というのか?
    岩田帯は「斎肌帯(いはだおび)」がその名の由来と言われます。
    現在に近い形の行事は既に平安時代ごろにはあったと言われています。建礼門院が安徳天皇懐妊の折り(1177年)に行った着帯の儀の模様が記録に残っていますが、記録されたそれは現在とあまり違っていません。
    「斎」は物忌みの意味がある言葉。斎肌帯には、様々な禁忌がある妊婦に、それらの禁忌を忘れぬように行うという意味合いが含まれていると考えられます。

  • 岩田帯の効能と歴史
    岩田帯は母体と胎児を守る効果が有るとする説がありますが、これに関しては賛否両論があるようです(詳しい話はお医者さんに聞いて下さい)。
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(まとめ)
・残念なことですね、ぜひ皆さんに本当のことを知っていただきたいものです。

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01404■なぜ腹帯が必要なのか・ホツマ


ホツマで解く岩田帯


ホツマ16アヤには深い深いいわれがたくさんのっています。

鳥居礼「言霊ーホツマ」p336~
 
1、大蛇(おろち)の実態は妬み

原文16アヤ)

妬むその息
一万三千   群れて鱗の
大蛇なす   卵巣(たましま)の暇
窺いて     子宮(こつぼ)に入
りて
孕み子を   噛み砕く故
種ならず   片輪生むなり
貧しきは   及ばぬ民を
羨みて    怨みの仇に
種滅ぶ    人をねためば  
日に三度  炎食ひて
身も痩せる 妬む妬まる
皆咎ぞ

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この原文によれば、大蛇(おろち)の本質が妬みという思念にあることが理解できます。そして恐ろしいことには、その大蛇が卵巣の暇を見て子宮に入り、妊娠した子供を噛み殺すとあります。
これに対する教えが、最後の「妬む妬まる 皆咎ぞ」です。 
人を妬んではならないということは当然ながら、人から妬まれる所行もしてはならない、というたいへん難しい教えです。これは、悪い思念が人
に影響を与えるということを前提にしています。現在の科学による思念エネルギーの研究によっても、充分実証可能なことであると思います。



2、大蛇(おろち)の防御策として腹帯

大蛇の防御策として、サッサ腹帯(岩田帯、日立帯)があります。これは、香取、鹿島、息栖三神に関係する神力をこめた腹帯で、



左が鹿島神宮の御神宝の常陸帯

右は現代の常陸帯









のはらおびによって、大蛇の怨念から子孫を守るわけです。腹帯の風習は今でも根強く残っています。そして「ホツマ」にはこのサッサ腹帯に関連して、「慎み」ということが強く説かれています。


3、対処法(1)五ヶ月目のサッサ腹帯

原文 ホツマ14アヤ (ここだけは14アヤです)

五月五日(サッサ)の頃
一巡り     サッサ腹帯
岩田なす   中管通る
天の火と    両親の火と
陰を招き   睦の因みの
露溢れ
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受精した卵子が五ヶ月目の五日頃一つの循環を終え、その頃に腹帯を締める。ということが書かれています。受精した胎児にとっては、この五月五日(サッサ)のころが節目となるので、そこに汚穢(おえ)が寄せやすいのです。それを岩田の帯が防御するのです。 























4、対処法(2)「慎みの教え」

原文16アヤ

花と花     打てば散るんり
諸共に     常に慎み
な忘れそこれ

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(まとめ)

「花」は女性のこと、女と女がぶつかれば身を滅ぼし、子孫を滅ぼす、ということです。日本文化の特徴である「慎ましさ」は、このような必然性をもっていたのです。

(現代に当てはめると、大変ですねエエエ・・・・)



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01403■ケフの細布の構造


ホツマで解く腹帯


「ホツマツタエ」16紋 33ページに、腹帯の教えがあります。
      
   昔豊受神の・・・トヨケ
曰ふは    天より授く
毛羽の帯   天に則りて
父の丈    比ぶる帯に
母の息    日立となるは
抱くなり    天より抱き
埴に編みて 連なり育つ
子の例   父の恵は
頂く天    母の慈し
乗する埴  天照大神も
忘れじと   糸二十四筋
撚り合わせ 陰陽羽二重の
御衣となす この御衣召して
朝毎に    天地祀り
両親に    仕う御心
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1ー①長さは 父の丈に比べる
1-②母の息を込める

2-①天より抱き・・・・・・天からいただき
2-②埴(は)に編む・・・地上で編む

3-①父の恵みは頂く天
3-②母の慈し乗する埴

父母天地の心を織りなすのが腹帯であるという。

天照大神は父イザナギ、母イザナミの恵みを忘れまいと、二十四筋の糸を羽二重に織り、「アワの歌」と同じ四十八筋にして、毎朝天地を祀られたのでした。
















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2009年5月10日日曜日

■男鹿の赤神


鹿三山 お山がけしたら、赤神さんが気になり調べました。

民話「赤神と黒神」

ぶん・まつたに みよこ え・まるき いり 
ポプラ社<むかしむかし絵本>秋田の民話。
,
【話】十和田の湖に一人の美しい機織りの女神が住んでいた。男鹿半島には鹿の群れを連れた笛の好きな赤神が住んでいた。そして、八甲田山のはるか遠くには龍飛の黒神が住んでいた。赤神と黒神の二人の男神に愛された女神。
お互いに「女神はわしのもの」「いや、おれのもの」と争うようになった。このとき、みちのくの神々は、津軽の岩木山に集まって、この神の戦を見物した。戦いは凄まじく、黒神の剣に切られた赤神は野山を血で赤く染めながら男鹿半島の岩穴へ逃れた。
女神は負けた赤神がかわいいといって後を追った。戦いに勝ったが女神はもういない。黒神は石のように重い足取りで津軽の龍飛へと帰った。やっとの思いで辿り着くと、湖を背に向けてどっかと腰をおろした。そして、ほっと溜息をついた。その溜息があまりにひどかったので大地はめりめりと音をたてて裂けてしまった。本州と北海道は離れて、津軽海峡ができた。 

【所感】巻末の“『赤神と黒神』によせて“を読みますと、採集してきたのは瀬川拓男氏と記されてありました。瀬川氏とは松谷みよ子さんの元夫です。
粗野だが逞しい男性と、やさしい文学青年肌の男性。タイプの全く異なった二人の男性に愛された美しい女性。小説に出てくる登場人物みたいですね。
民話も松谷みよ子さんの手にかかると、文学になり、絵まで添えられると子どもたちにも読める絵本へと変化します。津軽海峡にまつわる神々の物語を知り、またひとつ豊かな気持ちになります。黒神の悲しさと潔さに心も奪われるかも。

2009年5月8日金曜日

01402■ケフの狭布は鶴の羽から



ケフの狭布は鶴の羽・・ホツマ
「ホツマツタエ」16紋の「はらみつつしむ帯の紋」の31ページに


②縦 24筋 横 24筋
   と記されています。

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  日高見に鶴
奉る     羽裂き見れば
二十四なり 故諸羽を
撚り直し   雄鶴を縦に
雌を横に  毛羽の細布
織りもって  四十八備わる
御腹帯   母子イサナミ
長はらみ 
 九十六月して
生み給う   
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鶴の羽から啓示を受け、雄雌の羽を二十四筋ずつ、計四十八筋の気を込めて帯を織ったのでした。
(ここが錦木塚伝説:政子姫の織り、鶴の恩返し)
四十八備わるとは、いろは四十八の言霊の力により心身が整う、という意味です。
腹帯は、子種を守る神力を得るために、四十八の言霊の神力をこめたのです。

















「四十八備わる」とは、四十八の言霊の力により身心が整うということです。
これとまったく同じことが、国生みのとき、イザナギ・イザナミの二神が「アワ歌」を、男神が上二十四音、女神がした二十四音、合計四十八音を歌われ民を教育されたときにおこなわれました。
腹帯は、子種を守る神力を得るために、「アワの歌」は、夫婦の力によって子である民の繁栄を図るために、それぞれ四十八の言霊の神力をこめたのです。


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2009年5月6日水曜日

013092■ホツマによる枕詞とは




和歌の枕詞はよく分かっていないのですが、ホツマ(言霊・・ホツマ・・鳥居礼)で解明しています。












1、不明確な枕詞(P-296)
現在、和歌の起源についてはっきりと分かっているものは何一つないのですが、枕詞もその例外ではありません。枕詞の起源については諸説がありますが、発生当時は必然的な意味や、呪術的な意味があったとされています。

2、ホツマの「足引きの山」
『ホツマ』には、「和歌の枕詞の紋」として、第五紋に枕詞に関する章がわざわざ設けられています。それだけでも枕詞がいかに重要視されていたものであったかということがうかがえるわけです。
淡君よ 別れ惜しくと
妻送る 夫は行かず
行けば恥 醜女に追わず
善し悪しを 知れば足引く
泉津坂 

イザナキが醜女に追われ、足を引きながら泉津平坂(よもつひらさか)を降ってこられるところです。ここの部分が「足引き」が「山」に掛かる枕詞の起源となるわけです。「足引き」とは、イザナキが妻の死をいつまでも恨み追慕してはいけないのだということを悟られ、幽界にてイザナミと誓いをされたのちに落胆して足を引き引き帰ってくる様を表した言葉なのです。「山」は、顕幽両界の泉津平坂(よもつひらさか)の坂道を表した言葉です。この坂を降りて、現実の世界に戻られるわけです。死から生へ向かうことを決意されるところです。この時の反省から、「妻送る 夫は行かず 行けば恥」という教訓が生まれます。

そしてついに、「歌も悟れよ マト道の 徹らぬ前の 足引きの 枕詞は 歌の種」
和歌の意義深いことを悟りなさい。死生観が明確でなかったために、イザナキは死の世界に行かれ、泉津の山坂を足を引き引き下りてこられました。後にマトの教えが徹っていなかった民を教育され、葦を引き抜き田となして、ヤマトの国を確立されました。このイザナキの体験から「足引き」は「山」、「葦引き」は「大和」に掛かる枕詞となったのです。

枕詞とは、土中の闇に眠る種子のようなもので、そこからやがて芽が生じるように歌がでてくるのです。眠るときに使う枕としての言葉が枕詞です。

・足引き・・・泉津平坂(よもつひらさか)を足をひいておりてきた・・・山(やま)

・脚引き・・・葦を引き抜き田となしヤマトの国を固めた・・・大和(やまと)

・枕詞・・・道が徹(とお)る前の状態を表す。


枕詞は単なる修飾的な言葉ではなく、その中に神々が古代に切り開かれた歴史が込められているのです。(ケフの狭布も同じ)


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(まとめ)
・中世に出てきたことば「歌枕」とは、その歴史、深さが全く違うようですね。


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01401■ケフの狭布・・・ホツマで解明


ホツマで解明できる「ケフの狭布」

ケフの狭布は他の資料では掴みどころがありませんでしたが、「ホツマ」にすべてのことを書いてありました。
ケフの狭布とは腹帯(岩田帯)のことで、神代の重要な神器だったのです。
「ホツマ」は信頼のできる最高級の資料です)
ホツマ16アヤ 「孕(はら)み慎む帯の紋(あや)
原文全部はこちら)
鳥居礼「言霊 ホツマ」p429~
1、アマノコヤメノの命の縁談
 さて「ホツマ」の腹帯の話は、 鹿島に住むタケミカヅチの命の一人娘が未婚であったために、アマノコヤネの命
との縁組を結ぼうと、タケミカヅチの命が香取宮におられる伯父のフツヌシの命に橋渡しを頼みにいくところからはじまります。











鹿島神宮・・・御祭神はタケミかづちの命
          御神宝の常陸帯・・・「常陸帯は神皇皇后の納めさせ給う神宝にして勅封のまま重々の箱にいれて、古より開拝することを得ず」
香取神宮・・・御祭神はフッツヌシの命、ヒメ神、タケミカヅチの命、アメノコヤネの命
息栖宮・・・クナト神、「ホツマ」の伝承とは異なるが、創建時期は鹿島、香取と同じ時期とある。
■なんと春日大の御祭神はこの系図の神が全員そろっております。
             (タケミカヅチノ命、フッツヌシ命、アマノコヤネ命)

2、妊娠中に守るべき教え
 縁談はめでたくまとまり、二神はご夫婦となられました。いつしか姫は身籠られたので、妊娠中に守るべき教えを子守神(コモリ)に危機に行かれたのでした。
そこで子守(コモリ)神は、「御種文(みたねふみ)」をもって教えを説かれるのです。

3、驚異の古代日本医学「御種文(みたねふみ)」
 驚くべきことに、この「御種文」には、受精してから卵子が母体の中で回転しだすことが詳細に述べられているのです。
近代医学では、つい最近になってはじめてこのことが判明したのです。今までに発見された「ホツマ」のもっとも古い写本は江戸時代のものですが、江戸時代にこのような
ことがわかろうはずがなく、「ホツマ」の内容の深淵さをはっきり物語っている特に重要な部分といえます。
また古代日本の医学がこんなにも発達していたのかと驚かされてしまいます。

4、妊娠過程の中に月の名の由来
(原文)
             父の亀稜精水(かりなみ) ・・・父の精液
卵管(たましま)え   精水走(しはす)る時に
因み合ひ       昼は丹上(にうえ)に ・・・丹(に)とは卵子のこと
左昇り         夜は白上(しうえ)の・・・白(し)とは精子のこと
右降り         明日二巡り
三巡りと        三十日(みそか)に三十巡(みそ)
三十一日踏み    三日足り緩む
たらむとて      母の慎み
男の息吸(いきす) 一万三千六百八十(よろみちむやそ)・・・男子の呼吸数のこと
女の息吸(いきす) 一万三千百八十六(よろもちもやむ)
御種得て      母に増す息
三百六十の    明日は七百二十
三日千八十    三十日一万八百
三十八日に    一万三千六百八十
元と増し      二万六千八百
四十六度     増し止まりて
御巡りは      二月(ふつき)の後の・・・二月
三日走り      皺更(しわさら)に着る
着更(きさら)とて 母の慎み・・・キサラの月ゆえに、キサラキ、二月のこと 
六十四日     六十四巡りに
世嗣(よつぎ)文窮まりて      御巡り総べて
千八十なり    遂に種なる
オノコロの    胞衣(えな)の臍の緒
皮車       やや肉(しし)を盛り
巡り減る     明日六十三度
次六十二    細り巡りて
三月には    三十九となれば・・・三月
三日休む    緑花成り
八夜(やよ)勇む 八夜も慎み・・・八夜(やよ)のヤヨと勇(ゐさむ)のヰで「ヤヨヰ」、三月のこ
四月には    子の身潤うも・・・潤う月ゆえ「ウツキ」、四月のこと
慎みよ      五月(ゐつき)は元の
一巡り      息(い)は二万六千
八百四十六  腹帯のイモ・・・・腹帯とはサッサ帯のことで、五月はサッサ帯を巻く月
慎みよ     天元(あもと)に招く
荒御魂     月は和魂(にこたま)
両親の火と   三つ交わりて
心生き     成りて水通(か)う
露溢れ     六月至れば
乾く故      臍の緒管(おくだ)に・・・・「乾く」、水が尽き乾く故にミナツキ、六月のこと
血汁通う    七月血を煮て
五色埴(はに) これ臓腑(くらわた)と
足踏みなす  ここも慎み・・・「足踏みなす」、踏む月故に「フミツキ」、七月のこ
八月にて   十二歯成り歯の
歯なる時   母の慎しみ・・・「歯成る」、歯ができる月なので「ハツキ」、八月のこと
これなるぞ  父はチ、ト、テ、の
ヲシデなり  九月眉目声(みめこえ)
備わりて   十月倉居し
十二月は  月満ち生まる
御種これなり     
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二月から八月までの月名の語源が記されています。妊娠過程の中で、それぞれ慎みをもつべき月として重要な意味を持っています。
如月(きさらぎ)、弥生(やよい)、卯月(うつき) 、皐月(さつき)、文月(ふみつき)、葉月(はつき)などの漢字は、まったくの当て字であることがわかる。
ただし、更衣(きさらぎ)、水無月(みなづき)だけは、古伝を残したものといえます。
現在一般に言われている語源はこちら

5、なぜ腹帯が必要か
 (原文  16アヤ)
            女は一途(ひとみち)に
思えども       妬み煩う
胸の火ぞ      大蛇(おろち)となりて
子種噛む
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妬みをもった女の怨念が妊娠中の子種を噛み殺そうと狙っているので、慎みをもって処するわけです。
上記のような月には、妊娠過程の節目なので、大蛇(おろち)が子種を狙いやすいのです。その中でも
特に五月(さつき)はハタレの決起と関係がある月なので、サッサ腹帯を締め、子孫を大蛇(おろち)、
ハタレの強い念から守るという教えが書かれているのだといえます。
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6、腹帯は鶴の羽から
(01403  こちらから)
7、腹帯の教え
(01404  こちらから)

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(まとめ)
・ケフの狭布とは魔除けの腹帯のことでした。
・魔除けには深い深い意味合いがあるのですね。
・旧の月名と妊娠過程がわかり、特に五月のサッサ月の危険なことが分かりました。

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2009年5月5日火曜日

01103■黒又山ピラミッドを透視する


雑誌「ムー4月号」に「黒又山ピラミッドを透視する!!」がついに掲載されました。
昨年11月5-7日のクロマンタ調査隊の成果です。


<引用させていただきます>