1、古四王神社祭典
子供たちも参加(学校を休んでも参加できる)し、神輿も出ています。六角形に鳳凰がついた立派なものです。作画は由緒ある神社です。
2、不思議な「のりつけ棒」
中央の棒が「糊つけ棒」。直径8㎝くらいの杉の棒です。白い部分が米から作った糊。この糊のつく具合で豊作を占うというのです。時代が経っていますからそうなのでしょう!! 本当は下記のようなことだと推定しています。
3、「のりつけ棒」は「糊つけ矛(ぼこ)」
「寺内町史」には「のりつけ棒」は「糊付矛(のりつけぼこ)」とあります(p95)
矛と言えば「イザナギイザナミの国生み神話ですね」・・・古事記なんですよ!
4、平田篤胤「霊の真柱」より
古の伝えとは「古事記」のことです。
そこで、お二柱は天の浮き橋にお立ちになり、そのヌボコを下に向けて指し下ろして、流れ漂っている青海原を、コヲロコヲロと掻き回し掻き鳴らして引き上げなされました。その 時に、ヌボコの先からしたたり落ちた塩が、重なり積もりに積もって島になりました、これがオ ノゴロ島です。 その二柱は、その島に天降りなされて、天ッ神より賜ったアマノヌホコ突き立て、国の御 柱として見立て、また八尋殿(やひろとの)を見立てなさったのです。故にそのヌホコは後で小山となりました。 |
これより次々の図には、天に成坐す 神、地に成坐す神たち、その図に用があるときのみ挙げて、絵は省く。
(ただし、古はこのような物にも玉を飾るのは通常のことであって、ただ何とない飾りと思われますが、未だに詳しくは分かりません)
さて、その玉を飾ることには、不思議な理由があります。それは五柱の天ッ神、特にムスビノカミのムスビの御霊を、二柱の神にお授けになり、国生みを成功させようと、その御璽(みしるし)のお祝い物に飾られたものです。
(これは、私が確かに考え得た説です。それは第八図の下に挙げてある、イザナギノミコトが天照大御神に、御頸珠(みくびたま)をお授けなるところで詳しく申しますので合わせてお考え下さい)
ただしこれは、玉を飾るだけでよいものを、その御矛(みほこ)をお授けになることは、その矛で浮き雲となって固まっていない青海原を、掻きならして衝き立て、中心(なかご)の固め柱としなさいとのお計らいなのです。だからこそ、二柱の神が、掻きさぐられ、自然(おのずから)に固まり出来上がったのです。そのオノゴロ島に衝き立て、国中(くになか)の御柱となされたのです。そうですから、この大地の中心は、このお授かりになった御矛(みほこ)の先なのです。
(このようにして、その柄の方は、小山となったのです)
そうですから、この地球が広大である中で、我が御国は国土の大本であります。またオノゴロ島は、この大地を固めた、御柱たる所になります。
(一つの伝えに、「オノゴロ島を国中の御柱となす」とあるのも、これで分かります。漢(から)の書にも「天柱坤軸などというのも、この古伝が訛り伝わったものと思われます)
(これは私のブログ「務本塾 巡堂講座」からです)
「矛」とはたいへんな代物ですね・・・古四王神社とどう関わりがあるかはわかりませんが!・・・だから古四王神社はただものではないといいたいのです。田村麻呂将軍などとは全くもって関係ないし、大彦命(大毘古命)という四道将軍が祭神ということにも大きな疑問を抱いています・・・すべては大和朝廷のストーリーである「田村麻呂信仰」の一環だと思っています。
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