このブログは「壁を突き抜ける生き方」をする人だけが共鳴できるものです。 北東北の不思議な地域、クロマンタ、大湯ストーンサークルを中心とする縄文文化の真実を探究する研究会です。 ■右側のラベル分類からもお入りください。 ◆スライドショーはクロマンタのゼロ磁場調査の様子!!
2009年9月14日月曜日
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2009年8月20日木曜日
■風水図(四神相応図)都市
| ラージスケールの風水 |
| 理想の風水スポットとは? はじめに、山や川といった大きな部分での風水をみてみましょう。 風水では、良い気(生気)をいかに多く取り入れるかが重要です。 気持ちの良い自然を取り入れようとするとき、風水師が判断の基 準としてきたのは、「山、水」と「方位」です。韓国や中国では、建 物は①北、東、西を山に囲まれ、②一方が開けていて、③南方に 川や池など「水」をたたえ得るような地形環境に建てるのが最も 良いとされます。ここで、理想的な風水モデルを説明しましょう。 ![]() 上のイラストは、快適エネルギーを一つも逃さない完璧な吉相図です。 北の山脈aは祖山、bは宗山(そうざん)といい、気のエネルギーが発 生するところです。 fは穴(けつ)と言い、人体で言えばツボにあたる、生気が満ちあふ れる最高の場所です。 気は山の麓へ流れ降りて穴にいったん貯えられます。 集まった気を散らさないように穴を護る、南を向いての左壁dを青 龍(せいりゅう)・左砂(ささ)と呼び、右壁eを白虎(びゃっこ)・右砂 (うさ)と呼びます。しかし、左右の砂がない場合、松のような常緑樹 を抱護(ほうご)の松(c)として植えるのです。 gは明堂(みょうどう)と言い、気が集まる広場です。できるだけ大きく開かれていることが強運を呼びます。 iは集まった気を止めるために川や池があればいいのです。水に は気を鎮め、エネルギーを受けとめる作用があります。北の山から 来たエネルギーを南の水が受ける、南北軸は生命エネルギーの経 路なのです。 hの案山もjの朝山も、穴を護っている南の砂です。小さい方が気 の流れを邪魔しません。 後方(北)に玄武(げんぶ)という亀の怪物(どっしりした山)、前方 (南)に朱雀(すざく)すなわち不死鳥、左(東)に青龍(せいりゅう)、 右(西)に白虎(びゃっこ)。これらの四霊獣が四方を護っているよう に見える地形環境を、「四神相応(ししんそうおう)の地」と呼びます。 |
平安京は風水ハイテク都市!!![]() 山の配置を見ると、北に鞍馬山(くらまやま)と、丑の刻(うしのこく) 参りで名高い貴船(きふね)神社のある貴船山(つまり玄武)、東に青 龍となる東山山系、西に白虎である嵐山があります。これらの山が 強力な砂(さ)になっています。 南に平たい盆地が広がり、鴨川と桂川が合流して淀川をつくるポイ ントになっています(朱雀)。淀川は気を貯えつつ、ゆっくりとこれを 流します。 このほかに案山となるものもあり、船岡山(ふなおかやま)のほぼ 南にある神奈備(かんなび)山がそれにあたります。平安京は、四 方を十字を形成する四つの山に囲まれていたわけです。これを「十 字天心(じゅうじてんしん)の法」といい、都市の中心を決めるため の秘中の秘なのだそうです。これだけという形がきれいに実現され た土地も珍しいのです。 ラージスケールの風水が、古代の京を選定するにあたって使わ れていました。古代において、今でもよくわかっていない都市づく りテクノロジー、つまり古代ハイテク技術を一手に引き受けていた のが、陰陽博士(おんみょうはかせ)という古代日本の万能魔術 博士でした。一般に安倍晴明でおなじみの、陰陽師と呼ばれる 人たちの知識のメインコースに、風水が「でーん!」とあぐらをか いていたはずなのです。 それではわたし達に一番影響のある、家の風水はどう見たら いいでしょうか。 | ||||
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (まとめ) ・ストーンサークル・クロマンタのある大湯地区は何となく当てはまりそうな気がしますが、まだ解けません。 ・でも、時代が・・・大湯の方が古いのです!! 全然的外れ化も知れません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
2009年7月26日日曜日
■運命の石・スコットランド
スクーンの石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スクーンの石 (Stone of Scone)。代々のスコットランド王が、この石の上で戴冠式をあげた。運命の石 (Stone of Destiny) とも呼ばれる。聖地パレスチナにあって聖ヤコブが頭に乗せたという伝承がある。
運命の石は、500年ごろ、スコット人ファーガス・モー・マク・エルクによってアイルランドから持ち込まれた。ファーガスはキンタイア半島付近に上陸し、ダルリアダ王国を建国。ファーガス2世となった。
846年にケネス1世がオールバ王国の王を兼ねるようになると、運命の石もダルリアダ王国の首都ダンスタフニッジより新首都スクーン(現在のパース)に移された。これより、スクーンの石と呼ばれるようになる。
スクーンの石は、1296年にエドワード1世によってイングランドに奪い去られ、木製の戴冠いすにはめ込まれウェストミンスター寺院に置かれることになった。その後、代々のイングランド王の戴冠式に用いられた。
スクーンの石がイングランドに奪われたことは、スコットランドの人々にとってはイングランドへの敵対意識を高めることになった。
1996年、トニー・ブレア政権によりスクーンの石は700年ぶりにスコットランドに返還された。現在は、エディンバラ城に保管されている。
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もっと詳しくは、hatena..brtishstudiesさんからです
しかしこの「運命の石」とは、いったいなんだろうか。史料をさかのぼっても、その起源は実に曖昧なものであるようだ。
この「石」に関すると思われる記述が登場するのは、1370年代に書かれたフォーダンの『スコットランド人の年代記』における、1249年の即位式についての記述であるという。
いかなる王も、まず最初にスクーンにあるこの石の上に着座して王と呼ばれなければ、スコットランドを統治することはけっしてできない。
これは「運命の石」についての最初の歴史記述ではあるが、具体的な固有名詞として「運命の石」や、「スクーンの石」といった表記は出てこない。それは単に「石」や「王座」と呼ばれているだけである。だから、それが、現在の「運命の石」かどうかはわからないのだが、少なくとも現代の「石」の正統性を、こうした歴史が裏付けていることは事実だ。
「運命の石」という名づけの起源と考えられるのが、1304年から6年のあたりに記述されたと思われる歴史書で、その著者は不明である。そこには、スコットランドの出自神話として、以下のような予言が書かれている。「アイルランドに向かうシモンに対して、スペイン人の王である父ミロは、ゲール=グラスがエジプトから運んできた「この平らな石」をシモンに与え、「この石が置かれたところを、おまえの子孫が支配するであろう」。石はエジプトから運ばれてきたのだ!w
もちろんこれは、「天照大神が~」といった類の、神話にすぎないが、この部分が後代の歴史書によって繰り返し引用、復唱されることによって、「運命の石」という名づけが、いつのまにか出来上がっていた、らしい。先ほどのフォーダンの『スコットランド人の年代記』における、上の場面の記述は簡潔である。
運命が欺かないなら、この石が置かれている、その土地をスコットが支配するであろう。
このように、「運命の石」と呼ぶべきかどうかはわからないが、何らかの石がスコットランド王の即位式に用いられていたことは事実らしい。しかもその石は当時から「神話」を纏い、スコットランドという国家の独立性を担保するものであったようだ。
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(まとめ)
・壺の石碑を調べている途中ですので、「運命の石」が気になりました。スコットランドのことですが、どうでしょうか。
・ホツマではイナナギ・イザナミのことがアダムとイブと同じだとでていますので、こちらもどうかと思ったわけです。
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