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2015年7月14日火曜日

▲クロマンタ「国土地理院地図からみた薬師神社の移動」

大湯黒又山・クロマンタについてシリーズで!


1、ネットから

クロマンタ(黒又山)関連事項最新情報さんから



消えた黒又山山頂部…今回は国土地理院発行の地図からの疑問です。
山頂部には薬師神社などがあり意外にも広いです。現在は丁度赤○を付けたあたりに薬師神社があります。
とするとその隣にある北斜面の神社マークは何を差すのでしょう。それよりも驚きは、地図では黄色に着色した三角点が社殿より一段高く表示されています。その高さは地図の倍率によって違いってきますが、等高線が引かれていますから、もしかしたら数メートルの高低差が考えられます。
しかし今は山頂部は平らです。
三角点は一段上どころか、若干落ち込んだような場所にあります。さて、この地図にある山頂部のマウンド(青色着色部分)は何処に消えてしまったのでしょうか。それとも黒又山の山頂部は歴史の闇から私たちの目の前姿を現した時はすでに今日の様に整形された姿だったのでしょうか…


2、改めて国土地理院



2011年8月12日金曜日

2011年1月23日日曜日

■クロマンタの麓に7つの沼が(動画)

地元の人に教えていただきました。

動画でお伝え
http://www.youtube.com/watch?v=ySGiZQLt1_w



グーグルアースが精密な画像を提供してくれます。
米代川添いのみですが。クロマンタは含まれています・・ありがたい!



















2010年11月10日水曜日

01101■クロマンタはゼロ磁場



順番が変わってしまいました。この投稿は2008・8頃のものです。




【問題意識】
・ストーンサークルでゼロ磁場の発見
・神社の踏み石がヤタノ原理!!


【資料】
テラ・インフオーメーションの渡辺広勝氏をリーダーに、古代世界配石研究会の秋田のクロマンタを主体とする現地調査が、2008年7月2~3日に渡り、大湯ストーンサークル、クロマンタ、奥入瀬、秋田白神山地で行われました。クロマンタのゼロ磁場、秋田白神での新たなる壮大な配石遺構を発見する等大成果がありました.以
下はクロマンタの調査分です。



クロマンタ全景
今回は頂上の調査が主です。

地図がでます

(不思議な
事にグー
グルマップの神社の位置が違います)




頂上の神社薬師堂です
グーグル地図とは異なり
奥の方に神社はあります







神社の踏み石です
この石の解読については渡辺広勝氏の「クロマンタレポート2」に詳しく載っています。 ヤタ石といって八角形であった!!








二段重ねで明らかな加工の跡が見えます
今回の事実の判明はこれからです。










踏み石のところで磁石が全く動かなくなりました。
ゼロ磁場です!!!








神社の周囲もそうでした。
10年前の調査で、地盤調査を担当した渡辺広勝氏ですが、彼も初めて知った事実でした。
範囲は踏み石付近が最も激しくく、神社を囲む範囲でした。






エネルギーの発生メカニズム [編集]

エネルギー(「気」)の発生メカニズムについて、現在有力な説の一つに、「ゼロ磁場」がある。これは、電磁誘導の法則によって、2つの同じ大きさの電磁力の磁界の方向を正反対に向けたとき、見かけ上力が拮抗して、磁界が消え、ゼロになるポイントのことをいうが、実際にはエネルギーが双方から常に加えられており、なくなったわけではなく、その拮抗した2つのエネルギーから「気」という波動が生成されているのではないかという説である。
この説の証拠とされているのが、長野県伊那市にある分杭峠である。ここは、中国の著名な気の研究家で元極学の創始者、張志祥氏が日本に招かれた時、分杭峠周辺が強力な気場であることを発見したと言明したことにより、世界有数のパワースポットとして著名となった。この分杭峠は、日本を縦断する巨大断層地帯の中央構造線の真上にあたり、2つの地層の巨大なエネルギーが拮抗しており、ゼロ磁場であることが調査によって判明したという。
元極学の本拠地である中国の蓮花山もゼロ磁場と言われ、蓮花山には元極堂、元明塔が建てられている。
なお、「気」にはプラスのエネルギーとマイナスエネルギーがあるとされる。これまで述べたパワースポットとは、プラスのエネルギーに満ちていると考えられている場所をいい、日本では従来から「イヤシロ地」と言われているものである。これに対し、マイナスエネルギーの溜まっていると考えられている場所を「ケガレ地」といい、この場所にいると、逆に人間の心身や自然に悪影響を及ぼすとされる。

日本のパワースポット [編集]

日本国内にはパワースポットとされる場所が数多く存在し、自然系では上の分杭峠のほか、富士山阿蘇山石鎚山など、活火山帯や巨大断層地帯などに多いとされる。宗教系では、伊勢神宮熱田神宮箱根神社高野山など、多くのパワースポットが知られており、その他に皇居、鎌倉、大宰府政庁跡などがある。これらは自然系と重なっていたり、風水により「気」の噴出する場所(龍穴)として定められた所も多い。
このほか、国内で多くの場所がパワースポットとして紹介されているが、宗教や風水、スピリチュアリティの観点からエネルギーのあるスポットかどうか著名性に疑問のある場所もあり、すべてがこれらの観点から「本物」のパワースポットとは限らない。
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2010年9月29日水曜日

01125■イギリスのエイヴベリーニに「クロマンタ」が!









久しぶりですね、投稿は
グーグルアースでストーンヘンジやエイヴベリーを見ていたら、この情報に会いました。
エイヴベリーの小高い山のルベリー・ヒル(高さ39・5メートル)がクロマンタにそっくりだと!!

イギリスの巨石めぐり


イギリス巨石めぐりの旅12(ストーンヘンジとエイヴベリーの遺跡)  「ヨーロッパ旅行(23179)」
[ 不思議な世界 ]    

ストーンヘンジとエイヴベリーのストーンサークルが南北一直線上に並んでいるのは偶然ではありません。ちゃんと経線(南北線)を測量して配置したんですね。

なぜそんなことがわかるのか、ですって?

それは、私がその測量をした本人だからです(笑)。

本当に私が測量した技術者集団の一員だったかはさておき、エジプトから日本まで天空浮船で飛来し、東経137度11分に羽根ラインを築いた天空浮船(気球)族なら、ストーンヘンジとエイヴベリーに南北一直線上に二つのストーンサークルを配置するのはさぞ簡単だったろうな、と考えるわけです。

そもそもエジプトにいた天空浮船族がどこから来た一族なのか、わかっていません。もしかしたら、イギリスの巨石群を構築した後、エジプトに渡ったのかもしれないし、あるいはエジプトから四方に散って、一部がイギリスまでたどり着いたのかもしれません。

私たちの古代人や古代に対する見方は偏見に満ちていますから、まさかそれほどの技術はなかっただろうと思い込み勝ちです。しかし、私が退行催眠で見た前世ビジョンや秋山さんの前世リーディングにより浮かび上がった前世の映像を見ると、かなりの古代において、彼らが空を飛んでいた姿が浮き彫りになってきます。

そう考えると、彼らがイギリスや世界各地の巨石群を空から測量しながら、あるいは天空浮船の力を利用しながら巨石を運んで、それらを造った可能性もあるのです。

私たちはストーンヘンジ巨石群の複合施設とみられるウッドサークルを見た後、エイヴベリーのストーンサークルへと車を飛ばしました。もちろん空は飛びませんよ、念のために(笑)。

直線距離で28キロですが、道はくねくね曲がっているので、50分ほどかかったと思います。

エイヴベリーに着いて、最初に出迎えてくれたのが、この小山でした。

silbury hill

ヨーロッパ最大の人工マウンド(盛り土)とされるシルベリー・ヒル(高さ39・5メートル)です。まるで日本の古墳みたいですね。

私はこのマウンドを見た瞬間、エイヴベリーのストーンサークルがこの小山を含んだ複合施設であることを直感します。なぜなら、これはまさに秋田県大湯のストーンサークルと黒又山(クロマンタ山)の縄文遺跡とそっくりなんですよね。大湯のストーンサークルでも、サークルとクロマンタ山の位置関係がいろいろと論じらています。

そしてこの後、私たちは一つの村を包み込むほど大きいエイヴベリーのストーンサークルを見ることになります。

(続く=おそらく夜の更新となると思います。前回のブログに出てきた岐阜県の金山巨石群については、拙著『竹内文書の謎を解く』のP172「飛騨王朝のその他の巨石群」を、今回のブログに登場した大湯ストーンサークルとクロマンタ山に関しては、同P135「太古の神都・十和田高原 大湯ストーンサークル」をご参照ください)


最終更新日  2010年06月19日 17時17分39秒
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2010年5月9日日曜日

011241■温泉から塩製造は特殊温泉



中央構造線研修で、遠山郷の鹿塩温泉で温泉から塩製造に出会いました。どこでもできるのではないようです。前に書いた大湯温泉でも塩製造か・・・は違うのではないかと想います。

1、鹿塩温泉

ここは、長野県、南アルプスのふもとにある大鹿村。

鹿塩温泉 塩湯荘は、創業明治三十七年。

山奥なのに塩辛い、不思議な温泉の宿です。

【引用はじめ】

ちょっと、寄っておいきて。

みんなは、大鹿村がどこにあるか、知っとるかなむ?

伊那谷から、南アルプスに向かって、まっと、ずう~~~っっ・・・

・・・・・・・・っと(20km)山奥に入った、山奥谷なんだに。

そこには、昔っから海のようにしょっぱい塩の泉があってなむ。

鹿がそれを飲んでおったから、見つかったっちゅうことで、

平安の時代から、ここは、鹿塩(かしお)と呼ばれとった。

こんな山奥じゃあ、塩は何ちゅっても貴重だったで、

ここは特別な所な。

不思議だなむ。

2、塩を製造している



















3、成分はマグネシュウムが非常に少ない
onsen_column_vol4_02.jpg

謎の鹿塩塩泉は、海水と同じぐらいの塩分を溶かしています。

塩分といっても、いろいろな成分があります。

鹿塩塩泉と海水の成分(グラム/リットル)
成分(イオン)鹿塩塩泉海水
ナトリウム10.6010.77
カリウム0.160.40
マグネシウム0.071.29
カルシウム0.360.41
塩化物19.3019.35
臭素0.040.07
硫酸0.012.71
炭酸水素-0.24
サラサラの食塩泉
圧倒的に多いのが、食塩分、塩化ナトリウムです。
ナトリウムイオンと塩化物イオンをあわせて
1リットルに3グラムもあります。
この濃さは海水と同じです。
けれども海水に多いニガリ分、
マグネシウムイオンは、ほとんどありません。

やはり海水に多い硫酸イオンもほとんどありません。
カルシウムイオンは、海水よりやや少なめです。

このように、鹿塩塩泉は海水よりも純粋な食塩水にちかく、
ベトつかない塩水です。
原水の塩分は海水よりも濃い
塩泉は、地下のどこかにある"もとの水"と、
ふつうの地下水がまざって湧いてきたものです。
鹿塩の"もとの水"の塩分は、海水よりもずっと濃いはずです。


4、なぜ山で塩が
海のない信州で塩採取!?

なぜこの地に塩泉が湧き出るのか解明しようと乗り出したのが、黒部銑次郎でした。

明治9年から黒部は岩塩鉱を求めて発掘を始めましたが岩塩は発見できず、その後黒部は製塩を開始しました。

当時発掘作業時に掘った洞窟が現在も存在し、洞窟には実際に入る事も出来ます。


現在黒部銑次郎が半生をかけた塩泉の遺志を受け継いで製塩事業と旅館を営むのが


「山塩館」4代目主人平瀬長安さん(67)。


明治38年に塩の専売法の施行で途絶えてしまった塩作りを近年復活させ、


宿の敷地に製塩施設を設け、塩を作っています。


隣接して流れる川は真水ですが、川床から10mも掘ると塩泉が湧きでてくるそうです。


一般的な食塩は、ほぼ塩化ナトリウムによって構成されているのに対して、


山塩は口の中で苦味やべったりとした印象を与えるマグネシウムが少ないので、


さらりとし、ショッパイ中に甘みを感じる特徴的な味わいです。


また塩分のほかに、温泉成分も含まれています。


「どうして山でこんな美味しい塩がとれるのか原理を証明する事は出来ないが、


キレイな水と空気、緑から出来る塩だから美味しい。


わからない事を追い求めた男のロマンを受け継いでいきたい」と主人は語ります。


この塩を使って山塩館では、お風呂のお湯も塩泉を使用し柔らかい肌触りで良く温まるそうです。


また食事も岩魚や特産の鹿肉、豆腐を塩で食べるなど山塩を存分に堪能することが出来ます。


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(まとめ)
・塩が取れる温泉はありますがごく少ないようです。
・何故かの原理もよくは分からないようです。
・鹿塩温泉の塩の成分はマグネシューム(にがり)が極端に少ない。
・マグネシュームが少ないことは今の人工の塩に近いのでしょうか。


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2016/4/9
秋田市新屋温泉で「温泉から食塩」
秋田魁新報より

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2010年4月21日水曜日

01124■クロマンタの薬師、大日、阿弥陀



二宮翁夜話に(第90夜)

仏教の考え方というのは誠にすぐれたもんだな。太陽が朝、東方に出るときの恩徳のことを「薬師」と名づけ、中天に照らすときの太陽の功徳を「大日」といい、夕日の功徳を「阿弥陀」といっている。だから薬師、大日、阿弥陀といっても、その実こういう仏があるわけではなく、みな太陽の恩恵をこういう仏の形にして教えたんだよ。
また大地の恩徳を「地蔵」といい、空中の恩恵を「虚空蔵」といい、世の中の情報をとらえ、これを見分ける力を「観世音」と言ったんだ。
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クロマンタに当てはめて調査をしました。

1、クロマンタの東西南北




























1、薬師神社
クロマンタの頂上、東向きになって立っている。

2、大日堂
ほぼ真南に位置する。大日堂舞楽の大日堂です。

3、月山神社
ほぼ西側の茂谷山に位置する。
月山神社は、山形県の出羽三山のHPから、月山の本地仏は阿弥陀如来となっている。

WIKIより
それぞれの山頂に神社があり、これらを総称して出羽三山神社という。羽黒山に3社の神を併せて祀る三神合祭殿があり、宗教法人としての社務所も羽黒山(鶴岡市羽黒町手向7)に置かれている。
現在、多くの参拝者を集め賑わっている出羽三山ではあるが、参拝者の多くは信者ではない観光客であり、出羽三山の数十年後の未来を担う若い世代の信者は少なくなっている。信仰の継承が未来への課題である。
山名社名祭神本地仏所在地
月山月山神社(がっさんじんじゃ)月読命(月山権現)阿弥陀如来鶴岡市・庄内町・西川町
羽黒山出羽神社(いではじんじゃ)伊氐波神・稲倉魂命羽黒権現正観世音菩薩鶴岡市・庄内町境
湯殿山湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)大山祇神大己貴命少彦名命(湯殿山権現)大日如来鶴岡市・西川町境
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(まとめ)
*仏教は神道のずっと後に日本にわたってきたものですから、クロマンタを仏教で解こうとするのもおかしなものでしょうが、薬師についてはまだ途中ですが、おもしろいkン系が出てきました。

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2009年11月7日土曜日

01123■クロマンタ踏み石は石英安山岩


クロマンタの薬師神社まえ踏み石の岩質調査を専門家に依頼しました。
私としては、クロマンタ本体の岩質とは違うのではないかとのイメージからでした。

1、踏み石とは







































2、Aさんの鑑定
黒又山(クロマンタ)を構成するのは、火山性岩石である石英安山岩である。(秋田県総合地質図幅より)
デイサイト(dacite)は火山岩の一種。深成岩の「花崗閃緑岩」に対応する。過去には「石英安山岩」と呼ばれていたが、成分的にデイサイトであっても石英結晶を含まないものもあり、また現在では安山岩よりも流紋岩に近いという考え方が主流であることから「石英安山岩」の名称は使われなくなった。(wiki)

火山岩は岩石全体の成分(特にSIO2の比率)で分類され、デイサイトはSIO2が63~70%でアルカリ成分の少ないもの。通常は斑状組織を持つ。色は白っぽいことが多いが、噴出条件や結晶度などにより多様である。
斑晶及び石基として、有色鉱物である黒雲母・角閃石・輝石、無色鉱物である斜長石・石英を含む。

◆要するにクロマンタを形成する昔の石英安山岩、今でいう「花崗閃緑岩」である。



3、Bさんの鑑定(秋田県総合地質図幅作りに参加したお方)
・石井さん、残念ながら特殊な岩石ではないよ!!
・ごく普通の「安山岩」だよ!!
・従って、クロマンタ本体の「石英安山岩」


4、結論は「石英安山岩」

従いまして、専門家の意見では昔で言う「石英安山岩」、今では「花崗閃緑岩」ということになりました。


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2009年11月4日水曜日

01122■日本ピラミッドの定義



東北縄文文化研究会では、クロマンタがピラミッドかどうかということには、それほどこだわっていませんが、ピラミッドの定義について「日本ピラミッドへの批判的な所論」さんから、一部利用させていただきます。
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(はりつけ)
1、「日本ピラミッド」とは
「日本にピラミッドがある」と最初に言い出した人物は、キリスト教牧師だった酒井勝軍1874~1940年)という人。
昭和初期にエジプトへ外航し、その帰国後に突然、広島県庄原市にそびえる葦嶽山(標高815m)を指差し「これが日本ピラミッドである」と唱えたことから「日本ピラミッド論」は始まりました。

 酒井は葦嶽山の他に、青森県新郷村で大石神ピラミッド、岩手県釜石市で五葉山ピラミッドなどを「発見」。
彼の死後も、この日本ピラミッド説は一部の人々の間で受け継がれました。1980年代には、サンデー毎日編集部が長野県松代市の皆神山を「日本ピラミッド」だとして特集を組み、日本超古代史派の人々の間で日本ピラミッド探しが再燃しました。
1990年代には、大学教授など職業研究者を含めた環太平洋学会という組織が、秋田県鹿角市にある黒又山の地中をレーダーで探査し、この山の表面が7~10段程度の階段状構造に整形されていた可能性があることを指摘。実際に発掘こそしませんでしたが、地中レーダー探査という科学的な調査方法がとられる段階まで発展しました。しかしそれ以後日本ピラミッド分野で目覚しい進展はなく、現在はやや停滞気味のジャンル?
 日本ピラミッド研究史としてはこんなところですが、ではそもそも「日本ピラミッド」の定義とは何か? これについて述べておきたいと思います。
まず、日本ピラミッド論提唱者である酒井勝軍の定義。
(1)日本のピラミッドは人工のものよりも、自然の山を利用してある方がより良い。
(2)日本ピラミッドの頂上には太陽石が配置されており、その周りは列石が配せられていること(
註1
)。
(3)ピラミッド自体は本殿であり、それとは別に拝殿が付属することがある。それは小山・支峰であったり、方位石、鏡石、環状列石、机石、立石などの石造遺構である。
(4)日本ピラミッドは山以外にも、平地上に祭祀場を築く「平面ピラミッド」がある。
 酒井の考えでは、日本ピラミッドは紀元前10000年より前の築造物で、世界中のピラミッドの祖型であり、その役割は古代天皇の墓(註2)であると同時に「神人交通の神秘機関」であり「天地人一体」の救世主の象徴であるとしていました。そう主張できる具体的な論理・根拠はほとんど明かされていないので検討の余地はありませんが、とりあえず上の(1)~(4)に関してはいやに具体的なので検討の余地があります。
 さらに、研究史で触れた環太平洋学会も、酒井の定めた日本ピラミッドの条件には色々問題があるとして、改めて定義を再整理しています。

(1)山容が四角錐・円錐など三角形状をしていること。それは、自然山でも人工造山でも構わない。
(2)山頂部が祭祀場になっており、それに通じる参道があること。
(3)山の周辺にも祭祀場があり、その山と一体となっていること。
(4)エジプトのピラミッド群などと区別して、環太平洋型ピラミッドと呼称する。
 酒井定義の(1)と環太平洋学会定義の(1)からも分かる通り、「日本ピラミッド」は、エジプトのピラミッドのようなものを連想してはいけないようです。人工に作ったものじゃなくて、自然の「山」でも良いんですから。
そして酒井・学会の(2)は、山の頂上に祀り場があるのが条件という点で共通。酒井・学会の(3)は、山の周辺に「拝殿」的役割を担う祭祀場があるという条件で共通。
酒井の(4)については、なんと平地上に設けられた祭祀場を「平面ピラミッド」と呼んでいます。平べったいのだからそれは単なる祭祀場であって、もはやピラミッドじゃないと思うのですが・・・。
学会の(4)は、つまるところ日本ピラミッドじゃなくて、もっと広範囲の環太平洋地域に散在するピラミッド状構造物を総称して、環太平洋型ピラミッドと呼ぼうとするものであります。しかしこの呼び名は流行らず、どうやら今の状況では日本ピラミッドのほうが定着している模様。
 以上の定義を綜合すると、「とある山」が日本ピラミッドと呼ばれるための条件は、下記のようなところです。
・構造については、基本的に自然山であること。山肌の改変の是非は問わない。山の形は、三角形状の山容をしていること。「ピラミッド」と呼称されるゆえん。
・山の頂上や山の周辺に祭祀場(祭祀遺構)があること。それは岩石遺構であることがほとんどだが、必ずしも絶対ではない様子。

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《註》
1:酒井は、日本ピラミッドの頂上に必ずあるという「太陽石」を取り巻く配石構造について、独特な定義を付けています。
太陽石は球形であり、それを円形・方形に取り巻く列石の種類は4タイプであると述べるのです。
すなわち「単葉内宮式」「単葉外宮式」「複葉内宮式」「複葉外宮式」の4タイプに分類されるといいますが、ここでもやはりそう分けられるのだという根拠については触れられていません。
2:日本ピラミッドを古代天皇の墓とする説は、酒井は唱えていないとのことです。竹内文献にピラミッド御神体石が登場して以降の説だそうです。
3:靄森山(秋田県)・姫神山(岩手県)・鎌倉岳(福島県)・堅破山(茨城県)・加波山(茨城県)・筑波山(茨城県)・米神山(大分県)・金峰山(熊本県)、さらには剣山・乗鞍岳・富士山なども人によっては日本ピラミッドと呼んでいます。
4:宮ノ平遺跡として遺跡登録されています。
5:環太平洋学会によると、黒又山周辺にある神社群は、黒又山の東西南北線上に密集して並んでいるといいます。
 さらに厳密に言うと、その南北線は正確な南北から左側に5度傾いているそうです。
 現在と昔では北極星の位置が異なっているという事実から、北極星が5度左偏していた年代を計算したところ、紀元前2011年(縄文時代後期)ならば黒又山の南北線が正確に一致するという結果が出ました。このことから、黒又山は縄文時代後期の築成だとする根拠としています。

でも、神社の創建時期と黒又山の整形時期は全然違うはずだから、違う時期の構造物を同一ラインで無批判的に取り扱うのはどうかと思うのですが。1つ1つの神社の創建時期を調査し、創建前からその土地が祭祀場として機能していたことを立証する作業が必要な気がします。

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(まとめ)
・5°というのは偏角のことですね。現在の偏角は8°10′です。
・それに動く北極星でなく、太陽の真北を見るべきだそうです。(「円暦」のソモタニ様)
・酒井勝軍さんの「太陽石」を取り巻く配石遺構は興味がわきますね。図では、太陽石を取り巻く石の数が10個や12個となっています。
でも違うのではないかと思いますが・・・ヤタの原理でも、曼荼羅でも8つですから、8ではないのでしょうか。これからですね。
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