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2014年9月2日火曜日

■菅江真澄の謎「黒頭巾はいつからか」

謎の多い真澄だが、その一つに「黒頭巾」がある!!


・YouTube動画紙芝居はこちら:菅江真澄「水の面影」の謎を解く(上)
http://youtu.be/U4CB3A70s-U?list=UUREMhWUvS8K5Vbn9DVOi1QQ
・静止画 PDF画像はこちら
https://drive.google.com/drive/#folders/0B-lSVQpUarp_Q295U2NrV1FWaVk

1、謎の多い菅江真澄


いつから黒頭巾(常被り)なのか


2、信州では頭巾なし

信州は最初の旅地、不思議なことに「天妙の密偵」といわれるが
最初の一年間(30歳)この辺でいる・・・??
この頃の画像には頭巾はありません。
【引用はじめ】

菅江真澄『すわの海』から「御頭祭 21.9.18

 江戸時代の“ルポライター”「菅江真澄」が書いた「すわの海」があり、その中に「御頭祭」の見聞記があります。最近は、茅野市守矢神長官史料館の『しおり』に収録された「その文」が一人歩きし、それに「グローバルな解釈」が加わって“とんでもないこと”になっています。それを“憂いた”私は、「何とかしなければ」と(大げさとは思いつつも)一念発起しました。
菅江真澄「すわの海」復元展示
【引用終り】
30歳の真澄が、諏訪湖のグローバルな行事(ユダヤ)を克明に記録したことが、地元では
このように大きな話題となっております。真澄はただの使い走りの密偵ではなかった・・!!
大苦難の上、往復した北海道の密偵の仕事(?)を終えて、いよいよ弘前です・・!!


3、秋田に来る前の津軽藩にて



4、秋田では黒頭巾

菅江真澄研究会の没後160年シンポにでました
この時の寄稿文・百目鬼恭三郎氏には
津軽では被っていなかったが、秋田に戻ってきた時は黒頭巾を被っていた。

時期はこれでいいのでしょう・・・!!
理由は・・・津軽藩の仕打ちによるものなのでしょう・・!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
百目鬼恭三郎氏の寄稿文を載せます


2014年7月7日月曜日

■逆説・東日流外三郡誌と菅江真澄

東日流れ外三郡誌の世界さんから引用
秋田県に関することを抜き出します


東日流外三郡誌の世界


☆ 目 次 ☆

1、はじめに
2、「東日流誌」の成り立ち
3、綴史密命之事
4、東日流外三郡誌附巻
5、述言
6、総結編二序言
7、十三湊脚渉記
8、北辰懐古
9、孝季の手紙より
10、菅江真澄殿、津軽藩捕らわれの事


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1、はじめに

  ツ ガル 
 「東日流誌」とは、その昔蝦夷と呼ばれた人たちの記録集である。
1789年蝦夷直系である秋田家(三春藩五万五千石、郡山市近辺)の当主秋田千季(ユキスエ)は、息子の秋田孝季(タカスエ)に蝦夷関係資料の収集を命じた。孝季(秋田県、土崎)が義弟の和田長三郎(津軽、五所川原市飯詰(イイズメ)と二人で、三十三年間にわたり収集記録したのが「東日流誌」群である。ここには、蝦夷一族に関連した歴史、宗教、言語、風俗習慣その他、集められ得る限りの資料が収められている。なお、菅江真澄(スガエマスミ)も一時期この収集に参加している。

 現在、これらの資料は、津軽飯詰の和田家に保存されており、
「東日流外三郡誌」(弘前市、北方新社)(東京、八幡書店)、
「東日流六郡誌絵巻」(弘前市、津軽書房)、
「東日流六郡誌」(津軽書房)
などが発表されており、「東日流内三郡誌」は未発表である。

 この東日流外三郡とは、ほぼ津軽半島部にあたり、内三郡はそれ以南の津軽の内陸部にあたる。「東日流誌」をみての最大の驚きは、蝦夷と呼ばれ蔑まれ続けた人たちが、思いもよらぬ人間的で豊かな文化を持っていたこと。またこの一族が、荒吐(アラハバキ)族-安倍氏-安東氏-秋田氏と名を代えながらも明治維新、そして現在に到達しておりそこに信じられぬような歴史を持っていることである。

1、「東日流誌」のはじめに! 

 初代津軽藩主、大浦為信(タメノブ)は、徳川家から藩政を預けられて以来、津軽の地に古くから残る安東氏関係の事物を総て消滅さすことを計った。そのため、古記録の消却処分、安東氏の信仰したアラハバキ神の壊滅、安東(藤)氏関係の民謡、民話の禁止を命じた。津軽藩では古記録を提出した者を藩士として取り立てる約束、アラハバキ神関係の石塔を地雷で爆破する行為まで行なっている。

 大浦氏の行為の中でいちばん安東一族を怒らせたものは、十三湊に安東水軍の基礎をつくった藤原秀栄(ヒデヒサ)を、大浦氏が自分の祖と語ったことといわれる。このため安東氏唯一の後裔である秋田家では、大浦氏の偽を発くため証拠書類を揃え徳川家に提出したという。しかし徳川家ではこの書類を全く無視し、あまつさえ秋田家の国替えを命じた。徳川家、大浦氏に対する怒りが、「東日流誌」作成の引金であり、それを完成に導いた刺激剤といわれる。

 一説には、天明五年(1785年)三春藩城下に火災があり古資料が失われ、そのため改めて記録が収集されたともいう。しかしいずれにせよ、秋田孝季(タカスエ)によって提出された記録は、徳川家にとってあまりにも過激だったため、とうてい受け入れきれず返却されている。

 「外三郡誌」の出発時点(1789年)で、秋田孝季は五十才前後、和田長三郎は三十才前後と考えられる。したがって孝季は五十才頃から八十才までの三十三年間を、この「東日流誌」の完成のために捧げたことになる。


2、「東日流誌」の成り立ち


寛政元年(1789年)、私は父、千季(ユキスエ)に呼ばれ三春(福島県郡山市近辺)に出かけた。父は人払いをし、安東一族の故事来歴を諸国を巡り綴るよう申しつけた。もとより文筆つたない自分であるので断わったが許されず、若干の費用を授けられた。自分は秋田の住まいなので急ぎ帰り、津軽に住む義弟、和田長三郎を呼び相談した。まず津軽六郡を巡り、多くの祖歴を得た。更に渡島に渡り原住民にその歴史を尋ねたが、正史に記されたものと実際が余りに違っているのを知り怒りを覚えた。その後六十余州を巡り、一族縁者から史書を得て、ここに「東日流外三郡誌」とし、更に「東日流内三郡誌」を綴った。

  


 


9、「孝季の手紙より」

 菅井殿が訊ねてきて、たまたま荒吐族が話題になった。菅井殿の史観は我々と違っていて、荒吐神とは源九郎義経のアラハバキ、すなわち膝当てのことと強情を張って譲らない。拙者は笑止千万と、どなりつけたいのを我慢し、菅井殿には帰ってもらった。これもいた仕方ない事である。(菅井殿とは菅江真澄のことである。)


10、「菅江真澄殿、津軽藩捕らわれの事」

 薬師菅江真澄は、我々とともに荒吐神、安倍・安東の古事を探り巡っていたが、この秘密を津軽藩関所で発見され捕らわれた。これによって、彼が長年にわたって記述してきた史伝書三十八巻も消却されたのは、誠にやるかたない。本巻の著書に彼の記名があるが、これは本巻成立の証人としてのみ記して置いたものである。

      

2014年2月2日日曜日

❏真澄「水の面影現代語訳」解説(1)原本発見

菅江真澄「水の面影」現代語訳完成に伴って、解説をシリーズで行います

1,原本発見

「水の面影」解説     菅江真澄全集著者 内田武志

 原本は昭和初年に能代の安農家で発見

真澄の他の著書の中に《みずのおもかげ》の書名が数多散見するので、その存在は明治期の研究者にも早くから知られていたが、原本の所有者は容易に判明しなかったようである。

わたくしが、能代市の安濃家から、真筆本《水の面影 上》一冊を借覧したのが昭和二一年の五月である。それを、表紙の写真を撮り、全文を写し終わってまもなく返却したが、その後の能代大火(昭和二四年二月二十日)で消失してしまったそうである。いま、表紙の図版として、このとき撮影した写真を用いた。また本文には、自分の写本を底本とした。

《水の面影 上》の一冊が、どのような理由で能代の安農家の所有となっていたかについて、わたくしの推察を述べてみよう。消失前の安農家には、真澄の原本として、このほかに、《あさひかわ》および、図絵草稿をまとめた《無題雑葉集》も所有していた。《無題雑葉集》の裏表紙には「千穂屋蔵」と記入されていて、鳥屋長秋の蔵書であったことが知られた。真澄の没後、三回忌を期して長秋らが墓を建てたが、そのとき建碑に寄付をよせ、協力してくれた各人に、責任者長秋から真澄の著書を返礼に贈っている事実がある。

安農家は能代で薬舗川口屋を経営し、また代々庄屋をつとめていた家柄だが、真澄と知己のあった人は安農治兵衛恒長である。恒長は大年と号し、国学、歌道に熱心な人であったから、真澄の墓碑建立にあたって、応分の寄付をしたものと思われる。それで天保三(一八三二)年の春、長秋から真澄の著書三冊を贈与されたと考えられる。

恒長の子、恒生は、皇道医学の研究と平田門下の国学者として著名であるが、神職となって、明治十五年創建された大阪阿倍野神社の宮司になり、その後、全国各地の神社に奉職した。安農家に所蔵される真澄の著書三冊が、明治期から昭和初年になるまで未発見だった理由は、安農恒生氏が明治初年から能代に不在だったことにあるように推察されている。




 2,「水の面影」現代語訳贈呈!



3月2日(日)午後1:30~
秋田市北部市民サービスセンターで開催する
報告会にご参加いただければ
現代語訳を無料で贈呈致します
A4 40P



3,内田武志とは