2012年12月15日土曜日

◆大彦命とは

堀貞夫さんのHPから

大彦命(おほひこ=大毘古命)
1,屈指の貴種

 安倍氏族の始祖は大彦命、古事記では大毘古命とされるが、8代「孝元天皇」の長男で、9代「開化天皇」の実兄、10代「崇神天皇」の叔父であり義父でもあり、11代「垂仁天皇」の祖父という王朝内でも屈指の貴種だとされる。

『古事記』孝元天皇
大倭根子日子国玖琉命(オホヤマトネコヒコクニクル=孝元天皇穂積の臣等の祖先、内色許男(ウツシコオ) 命の妹の内色許売(ウツシコメ) 命を娶り、最初に大毘古(オホビコ) 命。次に少名日子建猪心(スクナヒコタケイゴコロ) 命。次に若倭根子日子大毘々(ワカヤマトネコヒコオホビビ=開化天皇) 命を生んだ。また、内色許男命の娘の伊迦賀色許売(イカガシコメ) 命を娶り、生んだ子は比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト) 命。また、河内の青玉(アオタマ)の娘、名前は波邇夜須毘売(ハニヤスビメ) を娶り、生んだ子は建波邇夜須毘古(タケハニヤスビコ) 命。天皇の子は合わせて五柱。若倭根子日子大毘々の命が天下を治めた。
大毘古命の子の建沼河別命(タケヌナカハワケ)は阿倍の臣等の祖。次の比古伊那許士別命(ヒコイナコシワケ)は膳の臣の祖である。
また、木の国の造の祖先、宇豆比古(ウヅヒコ)の妹・山下影日売(ヤマシタカゲヒメ)を娶り、生んだ子は建内宿禰(タケウチノスクネ) 。宿禰の子は合わせて九人(男七人、女二人)。

『日本書紀』孝元天皇
欝色謎命 (ウチシコメノミコト)を立てて皇后とした。皇后は二柱の男子と一柱の女子を産んだ。一人目の男子を大彦 (オオヒコ) 命という。二人目の男子を稚日本根子彦大日日天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒビノスメラノミコト)という。三人目は女子で倭迹迹媛 (ヤマトトトヒメ) 命
(異伝としてさらにもう一子、少彦男心 (スクナヒコオココロ) 命がいたと記載されている)
また妃の伊香色謎命が彦太忍信(ヒコフトオシマコト)命を産んだ。また同じく妃の河内青玉繋の女の埴安媛 (ハニヤスヒメ)が埴安彦(ハニヤスヒコ)命を産んだ。長子である大彦(オホヒコ)命は、阿部臣、膳(カシワデ)臣、阿閉(アヘ)臣、狭狭城山(ササキノヤマ=近江の安土一帯)君、筑紫 (ツクシ) 国造、越(コシ) 国造、伊賀臣ら、全部で七つの氏族の始祖である


2,稲荷山鉄剣
また、欠史八代については、『記紀』の編纂時に適当に創作したものだとする説が有力だったが、この説を覆すかもしれない出土品が発見された。それが『稲荷山鉄剣』と呼ばれる祭祀用の鉄剣だが、そこにも大彦命が大きく関与している。
『朝日新聞(2006.01.18)』
埼玉県埋蔵文化財調査事業団は17日、東松山市にある反町遺跡から、国宝『稲荷山鉄剣』と同時期に製作されたとみられる古墳時代中期の「鉄剣」=写真=を出土したと発表した。
 発見されたのは、同遺跡の前方後円墳からで、長さは75㎝。
さびついた状態のまま分析したところ、やはり同型の稲荷山古墳(行田市)から出土した国宝『金錯銘(キンサクメイ)鉄剣』と形も大きさもほぼ同じだ。

上記は直近のニュースだが、昭和43年(1968年)埼玉県行田市の稲荷山古墳から上記と同様に古代の錆びた鉄剣『稲荷山鉄剣』が出土した。その10年後、奈良の元興寺文化財研究所が保存処理をしていたところ、鉄剣に金象嵌(キンゾウガン)されていた下記の115文字が浮かび上がってきた。
た由来を記す。

上記の文字列のなかに、上祖の名は意冨比(オオヒコ)、獲加多支鹵(ワカタケル)大王の文字があり、意冨比垝は大彦命、獲加多支鹵大王は幼建「ワカタケル」の名を持つ雄略天皇だとすれば、欠史八代の孝元天皇の皇子「大毘古」は実在の人物、欠史八代に記述された天皇も実在していた可能性がでてきた。
  このニュースが日本中に飛び交い、考古学者や史学者に衝撃を与えた。




3,大彦命家系図  
古代安倍氏の系図』参考例
   上記の系図では、大彦命の娘「御間城姫命(祟神天皇の妃)」が欠落している。


4,大彦命の時代

 邪馬台国
鉄剣に付着した錆を分析した結果、その地金は中国の江南地方産の鉱石で、しかも炒鋼法という中国の製鉄技術で製錬された利刀であることが判ったという。
 雄略天皇の死去は470年代と推定され、乎獲居臣(オワケノオミ)は意冨比(オオヒコ)から数えて八世なので、世代交代を20年間隔と仮定すれば160年差となり、大彦命は西310年前後、4世紀前半頃の人物だと思われる

『日本書紀』崇神紀
天皇は、大彦命、武渟川別(タケヌナカワワケ)、彦五十狭芹彦命(ヒコイサセリヒコ=吉備津彦)、丹波道主命(タニワノミチヌシ)の4人を召して、「大彦命は北陸、武渟川別は東海、彦五十狭芹彦命は山陽、丹波道主命は丹波を、それぞれ平定せよ」と命じた。

このように記しているが、大彦命が4世紀前半の人物だとすれば、邪馬台国との関係はどうなっているのだろう。





                                      

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