2009年9月15日火曜日

013191■ホツマから平安:歌枕の変遷



ホツマのころの枕詞にあって、平安時代からの歌枕につながっているものがあります。






ホツマから平安:歌枕の変遷ホツマ時代枕詞
枕詞の
有無
平安時代の歌枕
和歌の
有無
備 考
勿来(なこそ)
誰もが名前を知る人よ
そこの地名となった
有り
無し
勿来の関
 この関から来るな
有り
関が加わり、重点が関に置かれている
壺(つぼ)
天と地をつなぐ祭祀拠点が壺
有り
無し
本来の意味が忘れられている
壺の碑(石文、石碑)
田村麻呂が弓で書いた碑
有り
壺の意味が不明にいしぶみが石文、
田村麻呂の石碑に
(カモフラージュ)
ケフの狭布
有り
ケフの狭布
有り
何のためなのか
腹帯ということは知らない
錦木塚
無し
錦木塚
 錦木伝説として
有り
錦木伝説完成後
錦木
無し
錦木
 諸説ある錦木として
有り
不思議な異国の木
 錦織として登場
有り
無し
錦織が錦木に変化した。ケフの狭布とセットか?
外が浜
 地名として登場
有り
外が浜
 想像もつかない遠い異国の地
有り
西行の歌にある




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(まとめ)
・ホツマの頃(紀元ころ)から大和朝廷が東北に進出してきた平安時代、謡曲の時代と時間が減るに従って、歌枕が変化(カムフラージュ)してきたことがわかります。
・特に、「壺の碑」「ケフの狭布」「錦木塚」はその典型のようです。

・まだ研究途中です、これからも訂正があるでしょう。

・グーグルのブログでここまで表ができることを発見したことがうれしい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


0 件のコメント: