2009年11月3日火曜日

01217■環状列石は二万年前の地層から


(はりつけ)

万座遺跡








発掘された遺跡は、万座遺跡の西側に住居跡、北側にごみを捨てた場所があり
この時期すでに区画によりすみ分けていたことが判ります。

またこの遺跡は、火山灰層の下より見つかっており、十和田山の大噴火以前に
築かれていたものとなっております。
十和田山の大噴火は2万年以上も前であり、この遺跡はそれ以前の遺跡である
ことが確認されています。


発掘途中の遺跡を見てみると、黒土・火山灰・黒土となって下の黒土の部分に
住居跡などがありました。
地層の図はこちらです。
以前は、周辺から出土した土器や土偶からこのストーンサークルは住居跡の
住人が作ったと思われていましたが1993年の渡辺広勝氏(黒又山総合調査団)
が近くにある黒又山を地中レーダで探索するテストを万座遺跡の北側において
行なったところ、万座遺跡の周辺地層が火山灰層の下から約2メートルの深さ
まで撹乱されており、その上に火山灰層があることが判明しました。

また大湯川に近づくにつれ撹乱層の下の構造性地盤が上昇する傾向が見られた
ことによりしゃぶしゃぶの鍋のような格好に作られていたことが判明した。

このことにより「縄文後期の土器・土偶は、人為的に埋められたかした、地層を
形成していない層から出土しており、縄文人が移り住む以前の人々が万座遺跡と
野中堂遺跡を作成したことになる。

また同心円上になっている内側の円は円ではなく完全な正6角形になっており
一つの頂点は、正確に真東を指し、その対頂角は真西を指していた。
(日本超古代文明のすべて 日本文芸社出版)

という大変な事実が判明しました。
定説になっていた、縄文後期よりさかのぼる遺跡であることは間違いないようです

では、誰がなぜ構築したのか今後そのなぞに迫ってみたいと思います。



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