2009年11月4日水曜日

012171■十和田湖の火山活動について

鹿角地域の基礎資料として「十和田の火山活動」を転載します。


(はりつけ)


■地質・火山活動

十和田湖周辺の基盤岩は、新第三紀凝灰岩類(グリーンタフ)で、カルデラの北壁と西壁に露出しており、これを第四紀の八甲田火山及び十和田火山の火山噴出物が広く覆っている。カルデラ形成前の十和田湖は、非火
山性山地であったと考えられる。

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こちらから 青森県御鼻部山展望台の案内板

十和田湖の生いたち(十和田湖火山活動)




















































①約20万年前 十和田湖火山活動のはじまり(はじまり)

②約4万年前 激しい噴火 大量の軽石流が噴出(第Ⅰ期)

③約3回の軽石流の噴出

④約1万年前 湖の東南岸に再び火山活動


⑤約5千4100年前 中央火口丘の噴火

⑥中央火口丘の爆裂により生じたすり鉢に水が入り湖に

⑦湖水が増え現十和田湖に

⑧最後の噴火 915年
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、石ヶ戸火砕流-50万年前
  (火山活動のはじまり)

八甲田火山から50万年前に流下した石ヶ戸(いしげど)火砕流堆積物が、湖の南岸と東岸に露出している。石ヶ戸火砕流堆積物は溶結して堅固で、銚子大滝をはじめとする多数の滝を作っている。
発荷(はっか)峠と青ぶなには、石ヶ戸火砕流堆積物の上に生じた火山の残骸が認められることから、カルデラ形成前には、十和田山や十和利山(とわりやま)に似た中型の円錐火山があったと考えられる)。


2、十和田湖陥没カルデラの形成-4万3千年前~1万3千年前
   (第1期  軽石流堆積物の噴出=火砕流)
 
4万3千年前の奥瀬噴火(奥瀬火砕流)によって十和田湖から噴出したマグマの量は100億tで、

②3万年前の大不動噴火(大不動火砕流)と

③1万5千年前の八戸噴火(八戸火砕流)では、さらに多い500億tがそれぞれ噴出した。

これらの噴火により十和田湖陥没カルデラが形成された。
これらの噴火では、石英安山岩質のマグマが噴出した。

④八戸噴火後まもなくカルデラ南部で噴火が再開し、SiO2※5含有量が18%も低下した玄武岩が噴  出した。玄武岩マグマの噴火は1千年ほど続き、五色(ごしき)岩火山を形成した。

⑤1万3千年前ころから、噴出するマグマのSiO2が増えはじめ、石英安山岩に戻った。これに対応し  て噴火間隔があくとともに、爆発的になり、高い噴煙柱をつくって軽石や火山灰を広範囲にまき散ら  すようになった)。
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Towada History群馬大学早川先生}から


十和田湖のまわりには,奥瀬火砕流(Q, 4万3000年前),大不動火砕流(N, 3万0000年前),そして八戸火砕流(L, 1万5000年前)の堆積物が分布している.白いシラスの崖で縁取られた火砕流台地は,青森県十和田市や秋田県鹿角市などでみることができる.
火砕流は,時速100km以上のスピードでジェットコースターのように山野を疾走した.とくに大不動噴火と八戸噴火では,十和田湖から50kmまでの地表が隈なく焦土と化した.
奥瀬噴火によって十和田湖の地下から噴出したマグマの量は100億トンだった.大不動噴火と八戸噴火では,それよりさらに多い500億トンずつが噴出した.これだけ大量のマグマが噴出したにもかかわらず,それに要した時間はわずか数時間だった.
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3、瞰湖台、中湖の形成-9千500年前~6千300年前
  (第2期 火山灰が天高く舞い上がった降下軽石堆積物) 

①9千500年前の南部噴火の堆積物が、瞰湖台(かんこだい)に露出している。

②6千300年前の中掫(なかせり)噴火では、70億tのマグマが噴出した。中掫噴火末期に、五色岩   火山の北側火口壁の一部が切断されて外湖とつながり、中湖(なかのうみ)が生じた)。
(偏西風に乗って風下、十和田湖の東側に主に分布)

4、毛馬内火砕流-1千年前

①915年8月17日に起こったと考えられる毛馬内(けまない)火砕流の噴火は、平安時代に書かれた『扶  桑略記※6』に記述されている。この噴火では50億tのマグマが噴出した。

この噴火は、過去2千年間に日本で起こった噴火のなかで最大規模である。毛馬内火砕流は、極めて高速で四方に広がり、五色岩火山の上に開いた噴火口から20km以内のすべてを破壊した。毛馬内火砕流の上には、火山灰を多量に含む熱い入道雲(サーマル)が発生し、上空の風で南へ押し流され、仙台市上空まで達したとされている)。
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(群馬大学早川先生解説)

疾走中の毛馬内火砕流の上には火山灰を多量に含む熱い入道雲(サーマル)が立ち上がり,それはやがて上空の風で南へ押し流され,仙台市の上空まで達した.
仙台市の陸奥国分寺では,古記録で870年と934年に対応する遺物に挟まれて,この入道雲から降下した火山灰がみつかった.また秋田県鷹巣町の胡桃(くるみ)館遺跡では,902年の年輪をもつ杉材がこの火山灰におおわれている.
中緯度地方の降下火山灰は上空の偏西風に流されて噴火口の東に分布することが普通であるが,この火山灰が南に分布している異常は,上空の西風が弱まる夏期に噴火が起こったとすると説明しやすい.『扶桑略記』の噴火記述が晩夏であるのは,それを十和田湖の噴火であるとみる考えと矛盾しない.

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